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2024年2月10日 (土)

(報告)(2.6)「第1回 「ENJOY DEBATE 『資本論』(Kマルクス)読書会」(次回は3/5(火曜)午後1時~5時:東京都中央区明石町区民館)

前略,田中一郎です。
(別添PDFファイルは一部添付できませんでした)


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 去る2024年2月6日、東京都中央区明石町区民館において「第1回「ENJOY DEBATE『資本論』(Kマルクス)読書会」を開催いたしました。以下、当日の資料を添付して簡単にご報告申し上げます。


1.資本論 第1章 商品(新日本出版社版 第1巻第1分冊)

◆(別添PDFファイル)(レジメ)(第1回)『資本論』(Kマルクス)読書会レジメ <第1章:商品>(田中一郎:2024.2.6)
 https://1drv.ms/b/s!ArtBTVAHlosVkx7TUH9iCgxl1XFR?e=lPbeAs

(1)2/6の読書会で私から申し上げました「商品市場の価格決定」についての説明ですが、気になりますので再度、下記に再論しておきます。

 現代経済学(近代経済学:近経)が言うような「商品の価格決定は、需要曲線と供給曲線が交わる交点の「均衡価格」として決まる」という「静学的(statics)」認識は誤り(虚構)です。彼らの議論のイメージとしては、全ての商品生産者が毎日、バザールという商品の広場市場に集まってきて、生産したものを他の商品(あるいは貨幣)と交換し合い(原則として売れ残りはない=価格を下げれば全部売れるという前提=近経「セーの法則」という)、それを持ち帰って翌日に向けて購入した商品を消費しつつ、自分が売る商品をまた生産し、翌日また再び「バザール」に持ち寄って、同じことを繰り返す。売れ行きと価格次第では赤字になるので、赤字の人は従前の商品生産から撤退し、別の高い値段の商品をつくるようになる。「均衡」価格は、値段は違っても「均衡」それ自体は維持され、価格が調整して毎回売れ残りは出ず、「バザール」は穏やかな「お花畑」のような営みが続く。まあ、こんなイメージです。しかし、そんなものは資本主義商品市場の実態とはかけ離れた虚構です。

実際の資本主義商品市場での商品価格の決まり方は、貨幣に裏付けられた需要(有効需要)と、様々な事情や支配被支配の関係その他(生産関係)に縛られた供給(BY資本・企業・業者)が、「現金その場限り」の真剣勝負のぶつかり合いの中で、動学的(dynamics)に、ザラバ、として価格が決まっていくのであり、それは言い換えれば、不断の「均衡」の破壊として進んでいくということです。予定調和のような需要曲線も供給曲線も均衡点も、存在などしていないのです。ここで動学的(dynamics)とは、商品の生産 販売(売上=コストカバー+所得の実現) 消費または投資(あるいは貯蓄) 新たな需要の発生と商品の再生産・・・・と、連鎖的に続いていく、時間軸のある経済活動であるという意味です。特に労働力(賃金)については、生産者(資本)にとっては単なる「コスト」ですが、労働者にとっては「所得」(の源泉)であり、それは生きていくための消費の原資=有効需要となるものです。この生産と所得と消費が、商品販売(労働力商品を含む)を媒介にして、表裏一体としてつながり、それが時間軸に沿って展開していく、という点を、常に念頭に置いておかないと、判断を誤るということです。

現代経済学(近経)が、資本主義経済体制の矛盾をしっかりと捕まえ切れず、あるいは捕まえようとせず、現状追認型の認識を、ただただ妙な理屈や数式やグラフで裏付けているだけの謬論であり、これは小宮隆太郎氏においても同様です。みなさまに小宮隆太郎氏の論文を読んでのコメントをお願いしているのは、小宮隆太郎氏をしっかりと(反)批判できないと、資本論を読んだ意味がない=言い換えれば、現在の日本を含む資本主義国の、政治(上部構造)・経済・社会を、その核心に於いて批判できない、と考えるからです。


(2)「田中さんの考えは「価格が高いと需要量は少なくなることがある。価格が安いと需要量は多くなることがある」という傾向・現象は全く存在しない(全面否定)」ですか or 「そのような傾向、現象はありうる」ですか」のご質問に答えて

(「需給曲線など存在しない」ということと、それ以上に「均衡」などしないという点が重要です)
・・・・・
簡単に申し上げます。

(1)価格の決定は有効需要(貨幣に裏付けられた需要)と供給が大きな決定要因ですが、それだけではありません。特に寡占・独占の資本主義体制である現代ではそうです。需給だけで価格が決まるというのは極端な「単純化」です(例:ガルブレイスの依存効果)。

(2)有効需要も供給も、曲線で描けるようなものではありません(虚構です)。しかも時々刻々と変わります。

(3)最もよくないのが「均衡」として価格決定を捉えていることです。価格は「その場限りのザラバ」であり、様々な要因が絡まり合いながら、動学的に(dynamics)、不断の均衡破壊として、決まっていきます。

(4)そもそも資本主義は不断の均衡破壊をもたらす経済体制です。もっぱら需給だけで価格が決まるという「一定の条件」というものは資本主義である限りは存在しません。

(5)更に、国家独占資本主義の時代になると、国家(政府)による修正資本主義的な「経済政策」が価格決定に大きく関わってきますので、益々「需給曲線の交点での均衡価格の決定」などという認識は「空疎」なものとなります。

注)依存効果
 依存効果とは、消費者の欲望を充足させるために商品やサービスが生産されているわけではなく、それらを生産し、企業が働きかけることによって消費者の欲望が喚起される現象のことを意味する。 ガルブレイスによって、消費者の欲望が生産に依存している状況を表すために用いられている言葉である。

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マルクスの資本論のことで、上記に関連して申し上げると、労働価値説における価値と価格の問題があります。労働価値説では、社会的平均的な労働時間で評価される「抽象的人間労働」の量により商品の価値が決まるとされます(価値実体論)が、これが日々形成される価格とどういう関係があるか、という問題が古くから議論されてきました。マルクスによるその1つの説明は、第3巻で出てくる「生産価格」論で、これは様々な部門のたくさんの競争的資本の利潤率が経済社会的に平均化され、それによって直接的な投下労働量からは離れた、商品のより高度化された価格が形成されると説いています。しかし、ここにも、いわゆる商品をめぐる需給関係というものは入っておりません。労働価値説において、価値と価格の関係をどう考えるか、これは現在においても解き切れていない大きな問題の1つです。

(商品が販売され(命がけの飛躍)、価格が付いたこと、そのことで抽象的人間労働の量が「貨幣の分量」(円ドルユーロ等)という形で(貨幣形態という価値形態)、「見える化」される形で、社会的に評価され、実現されたと私は解釈します。私は多くのマルクス経済学者が言うような「コスト積上げ型」労働価値説は誤りだと考えています)

それともう一つ、いみじくもご指摘されたように、マルクスの資本論・経済論では「平均概念」しか使われていないという点があります。しかし、近経の方では、「限界革命」と言われているように「限界概念」が価格決定の最重要概念として位置づけられています。「限界」とは数学でいうところの「微分」です。この点についてもどう考えるのか、大きな問題点と言えるでしょう(例:既存の生産体制(固定資本)を前提に、一単位の生産物を増産した場合に追加的に発生する原材料や労賃その他の費用(流動資本)に利益を足したものの総額が供給サイドの提示価格である、という議論)。
・・・・・


2.(別添PDFファイル)現代資本主義の展開、マルクス主義への懐疑と批判(1)~(4)(小宮隆太郎『週刊エコノミスト 2023.10~11』)コメント付


3.ご紹介の図書一覧

(1)街場の天皇論-内田樹/著(文春文庫)
 https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000034143823&Action_id=121&Sza_id=C0

(2)イスラエル-臼杵陽/著(岩波新書)
 https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032237283&Action_id=121&Sza_id=E1

(3)ユダヤとアメリカ 揺れ動くイスラエル・ロビー-立山良司/著(中公新書) 絶版
 https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033459455&Action_id=121&Sza_id=F3

(4)イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策 1、2 -ジョン・J.ミアシャイマー/著 スティーヴン・M.ウォルト/著 副島隆彦/訳(講談社)
 https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031944443&Action_id=121&Sza_id=F3

 https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031969077&Action_id=121&Sza_id=F3

(5)Amazon.co.jp- 武装せる予言者・トロッキー (1964年) - アイザック・ドイッチャー, 田中 西二郎, 橋本 福夫, 山西 英一- Japanese Books 絶版
 http://tinyurl.com/ycky7yz2

(6)Amazon.co.jp- 武力なき予言者・トロツキー (1964年) - アイザック・ドイッチャー, 田中 西二郎, 橋本 福夫, 山西 英一- Japanese Books 絶版
 http://tinyurl.com/yukkdrkp

(7)Amazon.co.jp- 追放された予言者・トロツキー (1964年) - アイザック・ドイッチャー, 山西 英一- Japanese Books 絶版
 http://tinyurl.com/35wedymx

(8)危機の二十年――理想と現実 (岩波文庫) - E.H.カー, 原 彬久
 http://tinyurl.com/57wy6k89

(9)若者よ、マルクスを読もう 20歳代の模索と情熱-内田樹/〔著〕 石川康宏/〔著〕(角川ソフィア文庫)
 (全部で4冊あります)
 https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032984389&Action_id=121&Sza_id=C0

 https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033146803&Action_id=121&Sza_id=C0

 https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033820502&Action_id=121&Sza_id=C0

 https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000034500965&Action_id=121&Sza_id=C0

(10)経済学批判-マルクス/著 武田隆夫/〔ほか〕訳(岩波文庫)
 https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000001838110&Action_id=121&Sza_id=E1

(11)現代の金融構造 新しい金融理論を求めて-横山昭雄/著(日本経済新聞社)
 https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000000660068&Action_id=121&Sza_id=F3

(12)経済原論-宇野弘蔵/著(岩波文庫)
 https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033383205&Action_id=121&Sza_id=C0

 ご紹介したい本、お勧めしたい本は、他にも山ほどありますが、さしあたり上記12点まで。(3)と(4)と(9)の残り3冊はまだ未読です。(12)は一部分だけ読んでいます。(11)は古い本で、3つの図書館(国会、北海道、東京都)にしか置いていないようです(アマゾンにもありません)。
 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001335842


4.さて、次回ですが、次第は下記の予定です。(歓迎、飛び入り参加・様子見参加)

 日 時:2024年3月5日(火曜) PM1:00~5:00
 場 所:同じ東京都明石町区民館205号室

 <テーマ>
(1)『資本論』 第1章商品の第4節商品の物神性
        第2章交換過程

*商品の物神性の節では、史的唯物論についての断片的な記述が散見されます。ですので、この物神性論とともに、①『経済学批判』(Kマルクス著)の序文におけるマルクス直筆の史的唯物論をめぐる意見交換、資本論の物神性論と『経哲草稿』(Kマルクス著)における疎外論との関連について、をテーマにします。のちほど、の資料をメールでお送りします。

*この後4月は、『資本論』の第3章貨幣のところは飛ばして、その次=第2分冊「第4章貨幣の資本への転化」に行きたいと考えています。本日申し上げました通り、マルクスの資本論における貨幣論は、いわゆる古典的な「商品貨幣論」であり、現代世界の経済・社会における貨幣=「信用貨幣」とは異なっていて、この議論は現代経済・社会では(価値尺度とか流通手段だとかいった「当たり前」の記述を除けば)、通用しないものとなってしまっています(古典的な議論を経済史学、ないしは経済学史的に読むという意味はありますが)。

また、貨幣論として、あるいは貨幣成立史として、マルクスの資本論の記述は誤りである、と主張する経済学者もいて、私としては、あまりこの問題について深入りせずに先に進みたいと考えています(言い換えれば、古典的な「商品貨幣論」(=金銀貨幣論とその発展形態である中央銀行制度や金本位制)の是非について議論するよりも、現代の貨幣である「信用貨幣」のさまざまなことについて議論する方が、よほど建設的で、その機会は、また今後の『資本論』読書会で、第3部のところで出てくると予測しています。

私はむしろ今までのマルクス経済学の議論を振り返った時に、マルクス『資本論』における貨幣論が、現代貨幣論ないしは現代金融論におけるたくさんの誤った認識をマル経学派の中に生み出してきたことを鑑み、あえて飛ばしていった方がいいと思っています(宇野弘蔵もその1人)。しかし、もしみなさまの中で、この「第3章貨幣」のところで、現代の経済社会を理解する上で、どうしても知っておかなければいけない記述がある、と言われる方がおられたら、当日は、それをレジメとして紙に抜き出してきていただいて、それについて具体的にご説明いただければと思います。その内容を参加者で点検・確認いたします。

 <関連資料>

(1)経済学批判 序言(カールマルクス 1859年1月)

(2)マルクス『経哲草稿』における疎外論(『若者よ、マルクスを読もう』(石川・内田:角川ソフィア文庫)

(3)労働の自己疎外とその止揚  マルクス「経済学・哲学草稿」と「資本論」(杉原四郎1951:関西大学学術デポジトリ)
 https://core.ac.uk/download/pdf/228700265.pdf

(参考サイト)物象化 - Wikipedia
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E8%B1%A1%E5%8C%96 

 マルクスの資本論は、経哲草稿著作の頃(1844年)から資本論第1巻執筆(1867年)まで、上記の杉原四郎氏論文にもありますように、史的唯物論(唯物史観)、剰余価値学説(労働搾取の発見と論証)を軸にして、英国近代経済学、フランス政治革命論、ドイツ哲学の3つの要素を批判的に継承し、資本主義社会からの人間解放の理論を組み立てました。言い換えれば、史的唯物論は資本論を含むマルクス学説やマルクスの思想と表裏一体です。ですので、この史的唯物論をどう見るか・どう評価するかは、マルクスや資本論の評価と一体と言えます。慎重な判断を多面的にしていく必要があります。①生産力と生産関係と歴史の発展(ないしは展開)、②土台上部構造論、③世界史の発展段階説(5段階=別添の「経済学批判序言」を参照)、に加えて、④あらゆる観念論・唯心論哲学を徹底的に批判、⑤現状追認型の思想や言論に加え、改良主義的な改革論などにも、「口が悪い」表現で徹底的に批判、などがその特徴です。

3/5に読書する「商品の物神性」(呪物的性格、フェティシズムともいう)のところでは、人間疎外論が労働疎外論に高度化し、さらにそれが、資本主義社会での経済的な倒錯形態として把握され、商品・貨幣・資本の物神性論として議論されています(フォイエルバッハ著の『キリスト教の本質』という本の影響が大きい)。そして、この物神性論の底流に厳然として流れているのが史的唯物論です。ですので、史的唯物論に関する議論は次回も継続します。

(参考)杉原四郎 - Wikipedia
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%9B%9B%E9%83%8E

(私の若い頃はマルクス研究者として結構、著名な学者でした。上記にご紹介した論文は、実にわかりにくいですが、それは元来わかりにくいマルクスの著作からの引用を切り貼りして書かれているせいでもあります。一種の訓詁学的研究です(マルクス研究もマル経もこうした訓詁学に終始して、その多くが自滅していきました)。この論文で言えば、後半P64の最後の行以降の数ページに、マルクス労働疎外論の全体的な位置づけが書かれていて、なんとなく理解できると思います。ご参考までに)

(2)小宮隆太郎論文(5)~(6)(独占及び国家独占資本主義)(『週刊エコノミスト 2023.12.12、12.19』)
 この2つの経済学的な概念は、現代の資本主義経済ないしは社会を理解する上で必要不可欠な非常に重要な概念ですので、みなさまも小宮隆太郎論文をしっかりと読み込んでください。

(3)時事問題=日本の安全保障・防衛・外交
 今回2/6は議論する時間がありませんでしたので、3/5にやりたいと思います。この日だけで終わらなければ、また、その次に議論を伸ばしてもいいと考えています。この問題は今現在焦眉のことであり、少し徹底的に議論した方がいいと思っています。
 つきましては、本日私からお配りしたレジメを再度、3/5にお持ちください(コピーの重複は避けたいと思います)。

◆(別添PDFファイル)(討論資料1)日本の安全保障の現状と外交(田中一郎 2020年9月22日)
 https://1drv.ms/b/s!ArtBTVAHlosVkx8eSKEfEIJQkrGA?e=54DfJc

◆(別添PDFファイル)(討論資料2)対米従属下での日米密約同盟(この条約は日本を守るためのものではない)(加筆)(田中一郎 2018.3.14)
 https://1drv.ms/b/s!ArtBTVAHlosVkyAoVhxCSPGWd-vG?e=OFaOKS

◆外務省- 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約
 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/jyoyaku.html

第五条
 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。

 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。

◆北大西洋条約 - データベース「世界と日本」
 https://worldjpn.net/documents/texts/docs/19490404.T1J.html

第五条
 締約国は、ヨーロッパ又は北アメリカにおける一又は二以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなすことに同意する。したがつて、締約国は、そのような武力攻撃が行われたときは、各締約国が、国際連合憲章第五十一条の規定によつて認められている個別的又は集団的自衛権を行使して、北大西洋地域の安全を回復し及び維持するためにその必要と認める行動(兵力の使用を含む。)を個別的に及び他の締約国と共同して直ちに執ることにより、その攻撃を受けた締約国を援助することに同意する。

 前記の武力攻撃及びその結果として執ったすべての措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。

(参加ご希望の方は田中一郎までご一報ください:関係資料等をお送りいたします) 
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草々

 

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