(他のMLでの議論です)福島原発事故から12年間にわたり様々な裁判を見て聞いて考える(その1):柳原敏夫弁護士(子ども脱被ばく裁判原告弁護団他)& 「ちょぼちょぼ市民」(田中一郎)=こんな司法・裁判所を放っておいていいのか?
前略,田中一郎です。
(別添PDFファイルは添付できませんでした)
(最初に若干のことです)
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1.2023年統一地方選挙 4/9投票(知事選・政令指定市長選)開票結果
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230409/k10014032291000.html
◆統一地方選挙2023 知事選挙の開票結果- 日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODL208PN0Q3A320C2000000/
◆統一地方選挙2023 政令市長選挙の開票結果 - 日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODL208SS0Q3A320C2000000/
(関連)(別添PDFファイル)立憲危機感 共闘に暗雲、離れる維新「旗振り役」埋没(朝日 2023.4.10)
https://www.asahi.com/articles/DA3S15606814.html
(関連)(別添PDFファイル)札幌五輪の招致継続、秋元氏3選「クリーンな大会めざす」(日経 2023.4.10)
https://www.asahi.com/articles/ASR497HWTR47IIPE00R.html
(関連)伸びた維新、自公の危機感 分裂の奈良に「高市氏の責任」 - 毎日新聞
https://tinyurl.com/2p93pxuj
(関連)立民は存在感示せず、脆弱な態勢を露呈…北海道知事選では活動開始の遅れ響く(読売新聞オンライン)Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa667f6c185da653fdb182040237632fd47eb0d8
<田中一郎コメント>
(1)各地の投票率は軒並み低迷、よくて50%程度、30%前後の自治体多数=日本の地方政治・行政の民主主義は崩壊した。
(2)低投票率の下、伸びたのは「ネオファシスト系」(維新・参政党他)や「ガラクタ系」、自公勢力は堅調、「世直し」勢力は一段と後退(野党第1党の泉健太立憲民主党が今回の選挙でも最大の敗因、そもそも立候補の段階から「闘う気力」なし、維新と「共闘」などして維新を事実上「応援」し、昨今、逆に維新から「縁切り」宣言までされている)
(3)野党第一党の泉健太立憲民主党に「存在感」なし。このまま行けば次回国政選挙で「世直し」勢力は壊滅的敗北となる。「世直し」総大将が泉健太立憲民主党では、もはや闘えない。味方のアホの総大将は敵の優秀な総大将よりも恐ろしい=泉健太執行部は「永遠のゼロ(勝利)」(都道府県議会など地方議会でも「世直し」勢力は議席減)
(4)市民の過半数が反対する札幌冬季五輪を推進する現職市長が当選したり、不倫エロおやじの「ガラクタ系」黒岩祐治が神奈川県知事に当選するなど、有権者のデタラメな投票行動が今回も選挙結果をメチャクチャにし、日本破壊が加速化する勢い(1930年代の日本やドイツに似てきた)。統一教会問題など、自公政治の根本的欠陥を選挙投票で問う態度は見られず(日本の有権者の総ドアホ化か?)。
◆「生放送前のナマだよ~!!」「アワビにバナナ」黒岩祐治・神奈川県知事(68)“11年不倫”〈証拠メール入手〉 - 文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/61913
◆旧統一教会 政界工作の手法を検証、統一地方選を前に改めて考える“宗教と政治”(20230325):TBSテレビ:報道特集
http://www.tbs.co.jp/houtoku/archive/20230325_2.html
2.統一地方選挙:北区区長選
久々に面白い選挙になってきています。投票結果が注目されます。
*大沢樹生(みきお)が出馬を取りやめ。取りやめたけれども、自分は88歳の現職老害区長の花川よそうたを応援すると言っている。やはりいい加減な人物だったということか? これまで街宣活動なども見たことなし。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/242368
*残るは4人、①花川よそうた(立民応援? はっきりしない、青木愛(立民参議院)だけは花川よそうた応援ではっきりしている)、②山田加奈子(自公推薦ながら一部は花川応援へ、自民党候補として統一教会問題を引きずる、小池都政と波長を合わせ大規模都市再開発などがねらいか? 大規模都市再開発=土建利権)、③駒崎美紀(こいつがよくわからない候補だったが、実は前回区議選の際に音喜多駿(都民F➾日本維新)と組んでトップ当選をした人物で、今回はその音喜多を否定しながらの立候補、しかし区議会では区長の花川よそうたの出す予算案に賛成をしてきたとのこと=つまり「(現在の)与党派」ということのようだ。まあ言ってみれば「隠れ維新・半自民」で主義主張の基本は「似非チョイ改革」と「市場原理主義アホダラ教」では?)、
https://otokitashun.com/blog/daily/20444/
*④橋本やすこ、これまでの区長選挙の雰囲気(昭和レトロ)を少し変えて出てきた「世直し」候補。立憲民主党に支持を呼びかけるも青木愛は「NO」、他の区議は態度がはっきりしない。北区立民は「自由投票」になったと聞くがこれも??? 背後に御用組合「連合」がいるとの見方もあるが未確認。「れいわ新選組」は佐藤つかさという区議候補が個人として橋本を支持するが、「れいわ新選組」として支持かどうかは???。共産、新社会(区議1人)は支持、社民も支持ながら区議会に議席はない。北区での「世直し」勢力の選挙の悩みは、市民運動・社会運動が弱く、市民運動・社会運動の延長として完全無所属・市民派として選挙展開がしにくいこと、どうしても旧革新系の政党の支持を得ての選挙となる(昭和レトロ)こと。
(関連)(チラシ)旧統一教会問題、どうする!?北区、区議アンケート&区長要請の結果報告(2023.3)
https://1drv.ms/b/s!ArtBTVAHlosVhGejhGM6aPKdMzWb?e=UIFwae
*北区区長選は、表面的にはわかりにくいが、底流に流れる動きは他の自治体の首長選などと共通していて、①自公候補(場合によっては分裂)、②維新候補、③「世直し」候補、が三つどもえの争いを展開している。
*そして今回の統一地方選挙では、㋐勢いがあるのは維新、ないしは右翼系・ガラクタ系(困ったもの=このままいくと大日本帝国の二の舞=特に若い世代の無関心と政治的トンチンカンさ加減が目に余る状態)、㋑立憲民主党・国民民主党(旧民主党)は存在感ゼロで、せいぜいが自公候補に相乗り、かろうじて独自候補を立てているところもあるけれど、広く野党統一の先頭に立って「世直し」勢力をまとめ、自公政治・維新政治のおかげでボロボロになった自治体政治・行政を再生していこうという気概は感じられない。㋒これは衆参補欠選挙でも同じ(その典型が千葉)。
3.イベント情報
(1)(予約必要)(チラシ)(6.8)オルタナティブな日本をめざして(第86回)「教育基本法改悪と日本の教育:子どものための教育からお国のための教育へ」(前川喜平さん:新ちょぼゼミ)
https://1drv.ms/b/s!ArtBTVAHlosVhGg1zgywm6tSzlXK?e=tQH7wi
(予約の受付窓口)
*たんぽぽ舎(水道橋):TEL 03-3238-9035 FAX 03-3238-0797
https://www.tanpoposya.com/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B9/
(上記にお電話していただき「受付番号」をもらってください)
(2)劣化ウラン弾についての院内集会&記者会見のお知らせ
(2023年4月12日(水)12時~13時に衆議院第一議員会館第一会議室(先着30名))
(3)脱被ばく実現ネット 第18回新宿デモ
(2023年5月21日(日)アピール開始13時 デモ出発14時(予定)、場所:JR新宿駅東口 新宿アルタ前広場)
4.(別添PDFファイル)富士山噴火 降灰で機能まひ、どうする首都圏(毎日 2023.4.1夕刊)
https://mainichi.jp/articles/20230401/dde/041/040/016000c
(富士山が噴火した時、真っ先に懸念されるのは浜岡原発である。原発が止まっていても使用済み核燃料プールがあって冷却が続いている限り、危険性は同じだ。大量の火山弾・火山灰降下や、場合によっては火砕流により、原発は致命的なダメージを受ける。何故、このゴミ新聞はそのことを伝えないのか? 平和ボケか、忖度か、いずれにせよ報道機関としては失格だ。少し前にはNHKが同じように原発震災をすっ飛ばして「南海トラフ巨大地震」を放送してネットで厳しく批判されていた(下記参照)。日本のマスゴミは一体全体どうなっているのか?:田中一郎)
(関連)Nスぺシャル・南海トラフ巨大地震・第1部ドラマ(前編)動画 Dailymotion
https://www.dailymotion.com/video/x8itkl0
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/88ZP2Y7PQZ/
(関連)Nスペシャル・南海トラフ巨大地震・第1部ドラマ(後編)動画 Dailymotion
https://www.dailymotion.com/video/x8itypt
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/2JJWLRZNMN/
5.文科省が露骨な文系差別策 「理系なら奨学金対象」は「教育の機会均衡」に反する憲法違反|日刊ゲンダイDIGITAL
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/321214
(何やねんコレ!? 文科系の学生は大学をバリケード封鎖でもして抗議したらどうか?:田中一郎)
6.(別添PDFファイル)立憲・小西議員、不適切発言が波紋、維新代表「協調は凍結」(朝日 2023.4.7)
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/419501?display=1
(関連)立憲・小西氏「放送法違反で告発できる」自身の発言報じたTV局に:朝日新聞デジタル
https://bit.ly/43j7J0S
<田中一郎コメント>
サル発言など、どうでもいい。言われた方は腹が立つだろうが、今の国会の憲法審査会などは、サル同然と言われても致し方ないレベルの議論しかしていないのだろう。サルがだめなら、ブタかイノシシでもいい、それでもだめならイノブタか?「壊憲」へ向けて猪突猛進ならイノシシかイノブタでいいではないか。問題はそんなガキのケンカのようなことではない。ズバリ、小西洋之議員のこの発言が問題なのだ。
「フジテレビの過去の報道が「国会審議の核心論点を放送してない」と主張し、放送番組の政治的公平を定めた放送法4条に違反していると持論を展開した。元総務官僚である自身の経歴を引き、「元放送政策課課長補佐に喧嘩(けんか)を売るとはいい度胸だ」とも投稿した。」(上記サイトから抜粋)
これでは小西洋之議員自身が国会で追及している高市早苗や礒崎陽輔の言動と大差がない。政権にあるかないかという差はあるが、国会議員としての地位を濫用した恫喝的発言で、極めて不適切である。何らかの処分がなされてしかるべきだ。が、しかし、立憲民主党の泉健太執行部は、小西洋之議員に対する処分理由を「サル発言」とし、そのココロは維新のご機嫌を損ねないように、ということではないのか? もしそうなら、泉健太執行部にも何らかの処分が必要ではないか?:田中一郎)
◆日刊IWJガイド・非会員版「欧州と中国が急接近! 欧州と米国に亀裂! 中仏声明『一つの中国の遵守』『ウクライナの平和を回復』に、米国は『停戦はありえない』と反発!」2023.4.9号~No.3860号 - What's New お知らせ
https://iwj.co.jp/info/whatsnew/guide/52105
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「福島原発事故から12年間にわたり様々な裁判を見て聞いて考える(その1):柳原敏夫弁護士(子ども脱被ばく裁判原告弁護団他)&「ちょぼちょぼ市民」(田中一郎)=こんな司法・裁判所を放っておいていいのか?」をお送りいたします。他のMLでの議論ですが、少し加筆修正しています(表現など)。
1.柳原敏夫弁護士からのメール:【自由研究】(集団)疎開裁判の誤りをくり返した子ども脱被ばく裁判一審判決とその反省
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柳原です。
今回は、自由研究というより、自由反省=自己批判です。
21.3.1付の子ども脱被ばく裁判一審判決を手にした時、あっと驚き、次のように考えた(二審で行政裁量論を全面展開した準備書面(5))のラストで)。
つまり、この裁判は科学裁判であり、科学的知見のレベルで勝負はつく、あたかも殺人を実行したか否かという事実問題で殺人罪の判断が決めるのと同様に考えていたのに、それを足元からひっくり返された、と。
第1は、本書面に新たな事実の主張はない。全て原審で主張済みの事実ばかりである。それならなぜこれほど紙面を費やしたのか。ひとつにはそれは、原審で、控訴人らが血がにじむような努力をして、内部被ばく、低線量被ばくなど放射能の危険性を裏付ける事実・データを収集・主張して、放射能の危険性を証明しても、判決のゴール手前の所でこれら珠玉の事実・データがいとも軽々と無視され、無残に蹴散らされてしまうのを原判決で目撃したからである。その蹴散らす装置が行政裁量論である。
控訴人らは福島原発事故の放射能の暴走を認めるわけにはいかないと同時に、原判決の行政裁量論の暴走も認めるわけにはいかない。そこで、何とか控訴人らが肯定できる「もう1つの行政裁量論」を提示し、その新たな判断枠組みの中に、これまで控訴人らが主張してきた重要な諸事実をもう一度当てはめて検討し直してみた時、原判決が示した世界とどれくらい違って見えるものか、実証したかったからである。
https://seoul-tokyoolympic.blogspot.com/2022/06/5183.html
しかし、この時、気がつかなかったのですが、実は9年前にもこれと同様の痛い目に遭い、やはり足元からひっくり返されたのです。それがふくしま集団疎開裁判仙台高裁判決でした。
この判決も、事実問題のレベルでは、次の通り、ほぼ完全に私たちの主張を認めました。
①.低線量被ばくにより子どもたちの生命・健康に由々しい事態の進行が懸念される。
②.除染技術の未開発、仮置場問題の未解決等により除染は十分な成果が得られていない。
③.被ばくの危険を回避するためには、安全な他の地域に避難するしか手段がない。
④.「集団疎開」が子どもたちの被ばくの危険を回避する1つの抜本的方策として教育行政上考慮すべき選択肢である。
しかし、法律問題のレベルで、原告の子どもたちは危険だと思ったら自分で逃げればよい(避難の自由)、被告の郡山市はそれを妨害していない、よって、郡山市には原告を避難させる義務はない、として訴えを退けました。
法律論の中身は、子ども脱被ばく裁判の福島地裁とは異なるものの、要するに、事実問題では争わず、法律問題で、私たちの主張を蹴散らしたのです。
つまり、明治以来の大学の法学教育のエッセンス「拒絶法学」(市民の要求を蹴っ飛ばし、拒絶するための法の理屈)を最大限活用したのです(以下の戒能通孝の講演参照)。
https://seoul-tokyoolympic.blogspot.com/2022/06/5183.html
この点を明確に自覚していなかったため、仙台高裁の逃げ方を福島地裁が反復するのを許してしまった。
他方、2021年5月から福島地裁で始まった避難者追出し裁判では、冒頭から、裁判所が「拒絶法学」を行使する態度を露骨に示したため、「拒絶法学」に抵抗する市民の理屈を行使することが唯一、最大の争点となり、その中で、国際人権法と行政裁量論を全面展開しました。
https://seoul-tokyoolympic.blogspot.com/2021/08/blog-post.html
http://1am.sakura.ne.jp/Case/220325Yassert9.pdf
しかし、福島地裁は「拒絶法学」の名に値しない判決の体裁すら取らない「拒絶判決」のような判決で幕引きを図り、今から、仙台高裁がスタートします。
ただし、仙台高裁の控訴理由書を準備する中で、1審同様に、国際人権法と行政裁量論を全面展開するだけではどうにもパンチ不足が歴然としていて、その不足をどうしたら補えるのか、分らず、悶々としていました。
その中で、光前さん(光前幸一弁護士)のコメントが光明となり、再び、事実問題に向かうことの重要性を再発見するに至りました。当たり前のことなのですが、いかなる抽象的な法律問題と言えども、それはれっきとした事実問題をバックにして存在し得るものであって、事実を離れて、単なる抽象的な法律論はあり得ない(間違っている)。この原点に還って、再び事実論の重要性を、しかも単なる事実論ではなく、その事実がいかに法律論とリンクして法律論の中身に深く影響を及ぼしているかを指し示すことで、最終的に最も説得力ある議論が展開できることに気がついたのです。
これは単に、事実論と法律論をリンクさせるだけのことではなく、一方で純粋法学を徹底してみて、他方で、純粋事実論を徹底してみて、ともに突き詰めた末に、初めて明らかになる、両者の不可分一体の関連性というものを把握して、それを主張することで、事実と法律の二階建てで出来ている裁判のゴール(判決)を正しく導ける、ということです。
言われてみれば、実に当たり前のことなのですが、しかし、その当たり前のことがガツンと頭の中に入るためには、誤りを潜り抜ける中でそのことに気がつくしかなかったのです。
今からスタートする、追出し裁判の二審では、1審で殆ど手付かずだった避難者が置かれた過酷な環境と避難者の切り捨てしか念頭にない行政の残忍酷薄な政策という現実を全面に主張し、その過酷な現実の中で、国際人権法と行政裁量論という法律論の展開がいかに重要であるかを明らかにして、今度こそ事実と法律の両輪で裁判官を問い詰める必要があると。
以上、自問自答の自由研究でした。
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2.私からの議論:①法律とは元来、支配権力のためにある、②それを転換させ「法の下に平等」実現のためには法曹界と有権者の協力共同が必要、③ホンモノの政権交代が司法改革のためにも不可欠
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前略、田中一郎です。
(朝からの「走り書き」で申し訳ありません)
日本の司法は「ダメ」だということが、もうだいぶ前からはっきりしてきています。大ナタをふるって、いったん叩き潰すしかない、というのが私の考えです。
司法再生の方法は下記をベースに検討すべきと考えています。問題は、法曹界・弁護士たちに、日本の司法改革の志向が弱すぎるということです。日々の裁判に多忙で、勝訴したいという意思が強く働いているからでしょうが、これでは事態の解決はいつまでたてもできず、裁判官に忖度するようなバカな弁護士が、徐々に増えてくる事になるだろうと、私は思っています。
日本は全くバカバカしい世の中になってきました。大日本帝国が滅びたように、ワイマール共和国のドイツが滅びたように、日本国憲法平和国家の日本もまた、滅びる可能性が高くなってきました。
◆(拡散希望)(継続サイト)日本の司法・検察は抜本改革されなければならない:ポイントは(1)「法曹一元化」による司法官僚制度からの解放と、(2)有権者・国民からのフィードバック機能の強化、です- いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2021/04/post-bbc6f8.html
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法律とは、元来、支配権力を守るために存在し、そのための屁理屈の体系になっているのです。一般人にはわかりにくい法律用語(ジャーゴン)などは、わざとそうしてありますし、日本の法律がクソ分かりにくい文章になっているのも、そのためです。一般人にはわかりにくい方がいいのです。よらしむべし、しらしむべからず、ですから。私たちは、法律や裁判に甘い幻想を抱いてはいけないと思います。柳原敏夫弁護士がおっしゃる「拒絶法学」にしろ「裁量権」にしろ、皆そういう類(支配権力を守るための屁理屈)を言葉にしたもので、これからもいろいろな言葉が出てくるでしょう。日本の裁判所・裁判官は、かつての大日本帝国時代を忘れて、「拒絶法学」よりも更に低レベルで下劣な「拒絶判決」(同じく柳原敏夫弁護士の言葉)にまで堕落していますから、「法の下に平等」の建前さえもが消滅の危機にあるということでしょう。
https://kotobank.jp/word/%E7%94%B1%E3%82%89%E3%81%97%E3%82%80%E3%81%B9%E3%81%97%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%97%E3%82%80%E3%81%B9%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%9A-655190
日本人の多くは、未だに裁判所を、江戸城のおシラスと勘違いし、裁判官を水戸黄門か大岡越前か東山の金さんと勘違いをしているところがあります。法廷とは「(階級)闘争」の場であり、ケンカ場です。そして、被支配者どおしのケンカである多くの民事裁判はともかく、支配権力(巨大資本を含む)を相手に闘う「民事・刑事・行政法」裁判は、最初から「市民の負け」という「お決まりの道」を走らされます。
私は若いころから「法律学」「法学」は大嫌いで、法学部自体をバカにしていました。そのトーンは今でも変わりません。福島原発事故以降、多くの裁判を見て、ますますこのことを確信するばかりです。
裁判は傍聴するのではありません、それではヤジウマと大差ありません。こういう表現が使われていること自体、おかしいと思うべきです。法廷に行くのは裁判を監視するためです。裁判官が法廷に出て来ても起立する必要などありません。逆に、裁判官が監視する市民に向かって、事実と証拠、社会正義に基づいて公正な判決を下します、と毎回お辞儀をしながら市民に対して宣誓をすればいい。法廷では、裁判官の座る場所の位置が高すぎます。市民が監視する席よりも低い位置に座れ、などが私の裁判に対するスタンスです。
しかし、資本主義時代(市民社会時代)の法律は、建前として「法の下に平等」が謳われています。ちょうど無産階級が、自由である、などと言われているのと同じです(働かなくては収入がなく死んでしまうという「経済的強制」が働いているので、真の意味での自由など無産階級にはありません)。この建前を盾に取り、ケンカを有利に展開する、という方法はとれるだろうということ、そして、裁判官の中には、法律や裁判を純粋に「それそのもの」と考える人もいるので、裁判官によっては、ごくたまに支配権力相手のケンカでも、市民が勝訴できる場合があるということです。そして、その勝訴の確率は、原告はもちろん、原告弁護団に加え、一般有権者・市民が一体となって支配権力の不当性を告発し、それに共鳴する人々が広がるにつれて高まっていきます。つまり、最初から「市民の敗訴」の宿命を負わされた支配権力相手の裁判でも、場合によってはひっくり返すことができる可能性はなくはない、ということです。その典型事例が、今から半世紀前の、公害裁判でした。
(関連)「原発・原子力の出鱈目てんこ盛り」シリーズ再開(140):①原発訴訟における立証責任転換論(井戸謙一弁護士)、②福島第一原発 ペデスタル破損問題、③小口電力料金値上げ申請に根拠なし、 ④夏目漱石「私の個人主義」他- いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2023/04/post-ef49c2.html
(「原発訴訟における立証責任転換論」=極めて重要です、井戸謙一弁護士に感謝です)
しかし、残念ながら、現状の日本の有権者・国民の状態を見た場合、私はかつての公害裁判のような状況は生まれないだろうなと予測しています。それは私のメール表題の三番目に書いた「法律自体が不当である、まともでない、そんなものが次々と拡大再生産されている」という、アベスガキシダ政権時代と、その前の「口先やるやる詐欺」政権・似非改革の民主党という、政治の世界のことから来ています。
この政治の世界は、有権者の判断次第で一気に転換することが可能で、まともな政策(法律で表現され法律で実現される)を掲げるまともな政治党派が選挙を通じて議会で多数派を形成すれば、すぐにでも実現できるでしょう。しかし、ご承知の通り、これが絶望的な状況になっており、それに日本の有権者の政治的未熟さや、左翼左派リベラル勢力の「スターリニズム現象」も重なって、要するに「世直し」勢力に中心となるものがいない状態です。「世直し」ができない有権者が創る社会での裁判は、おのずとその結果は見えていて、支配されるものが支配する者にねじ伏せられるのです。
言い換えれば、政治が現代日本の諸悪の根源であり、その政治家を選挙で選んでいるのは有権者であり、司法・裁判所はその政治家たちが握る支配権力のために存在しているのですから、上記の判断は常識的なものだと思います。これがいやなら、政治を変えることから始めなくてはなりません。私は第二次司法改革をだいぶ前から主張していますが、それとても、政治が変わらなければ、改革できる可能性はほぼゼロです。脱原発も、脱被ばくも、被害者完全救済も、戦争ではなくて平和も、すべて政治を転換しなければ実現は困難です。政治の転換は「世直し」の必要条件です(しかし、十分条件ではありません=この問題も議論が必要ですが今はやめておきます)。そして、政治の転換は「ホンモノ」でなければ意味がありません。「口先やるやる詐欺」はダメです。
日本の沈滞は、ここにあり、これを突破していくには、志の高い市民だけでなく、私が三大自由業と申し上げている、弁護士、医者、学者(有識者)の大半が、この「世直し」に協力共同し、裁判で申し上げれば、弁護士と市民が一体となって裁判を闘い、返す刀で、日本の司法・裁判所・検察の「体制」「仕組み」を抜本転換させていかなくてはいけないと思っています。しかし、今の法曹界をみていると、これもダメだろうな、という印象を持ちます。法曹界自体が、現在の裁判所のあり方・検察のあり方に対して根本的に疑問を感じていない、避けて通っている、目先の裁判にかこつけて、事なかれ主義で日々を過ごしている、そんな印象を持ちます。「子ども脱被ばく裁判」の弁護団の皆様に皮肉を申し上げているのではありません。幸いにして、この弁護団は、現代の法曹界における「突然変異」とも言うべき、先進的なみなさまです。
日本の司法・裁判所・検察の堕落・低レベル化は目に余る事態となってきています。このことは、個別の裁判でどう闘うかだけでなく、裁判の仕組みそのものの抜本改革=つまりは第二次司法改革を真剣に考える時が来ているということを意味しているのだと私は考えています。そのためには、まずは法曹界が「改革プラン」を打ち出すとともに、有権者・市民は、現存する様々な「建前としての権利」に「実質性」を持たせる権利行使にまい進し、それに同意する人々を増やしていく努力を積み重ねなくてはいけないと思います。選挙でまともな政治家を選ぶことから始まり、最高裁判事の国民審査で、全員に「×××××」を付けて投票する、などもそうしたことの1つです。また、私は、今ある法律を、義務教育である中学卒の人間が読んでもわかるように、法律文章を全て書き換えさせる、などという、途方もないことも考えています。
負けられません、勝つまでは、この精神で、可能なあらゆる努力と取組をする、これが脱原発・脱被ばく・被害者完全救済を含む、我々零細なる「ちょぼちょぼ市民」の長期戦略です。そして、法律を、法廷を、我々有権者・市民の手に戻す、そのよりどころは、日本国憲法です。
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3.柳原敏夫弁護士からの2通目のメール
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柳原です。以下の件、入れ替わりに返信しました。
ひとつ追伸ですが、避難者追出し裁判の中心論点だった「行政裁量論」を論じた時の出発点が、戦後の行政法の権威である田中二郎の次の記述でした。
戦後の行政法学をリードした行政法学者田中二郎によれば、羈束行為と裁量行為の区別は、「結局、‥‥具体的の場合に、法の趣旨目的の合理的・目的的解釈をなすことによって決する外はない」。その解釈の結果、「法が事柄の性質からいって、一般法則性を予定している場合」は羈束行為と解すべきで、「法が行政庁の政治的裁量又は技術的裁量を許容する趣旨である場合」は裁量行為と解すべきである(田中二郎「行政法総論」〔有斐閣・1957年〕289頁)。
これが「概念法学」というものです。概念でもって、裁量行為と羈束行為を分類する。このレベルでは何も間違っていません。しかし、現実の問題を正しく解決する何の手がかりも与えていません。裁判官の腹ひとつでも、現実の事件の処理はどうにでもなる。それで、前は、井戸さんみたいな良心的な裁判官にめぐり合って、適正な解決をして欲しいという他力本願の考えでしたが、そんな宝くじみたいなやり方ではダメだと、どんな悪代官みたいな裁判官でも従わざるを得ないような判断基準を打ち立てなければと思い直すようになりました。
それが現実から遊離した「概念法学」から、現実に密着した「自由法論」への転回です。とはいえ、現実に密着したからといって、生の現実をそのまま法律に持ち込むことは出来ず、かといって、現実から遊離する危険のある「概念」に置き換えてしまうことも潔しとしない。としたら、どうやって、生の現実が法律の世界に登場することができるのか、それは落合さん(落合栄一郎氏:カナダ在住の科学者・化学専攻)に投げた「内部被ばくの現実を、どうやって物理学の世界の言葉に置き換えるのか」と同じくらい、本質的な難問です。
そして、311後の社会の現実は、この問題を解くことを要請している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4.私からの返信:市民科学へ向けて
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下、私の感想です。
*戦後行政法の大御所=田中二郎は私が嫌悪している法学者の1人、「a法学者」と悪口を言う相手です。柳原敏夫弁護士の上記の議論に同感、かつ啓蒙されました。神学にも「解放の神学」というものがあるように(不勉強で内容については詳しくは知りません)、法律にも「概念法学」ではない、現実に密着した「自由法論」があってしかるべきだと思います。
(関連)解放の神学 - Wikipedia
https://tinyurl.com/25c39udn
*21世紀は、科学(者)が支配権力や巨大資本に包摂される時代だと申し上げてきました。法学は科学ではないですが、同じことが言えて、本来の「法学」や「法」がもつ「社会正義」や「道徳・倫理」などの普遍的価値側面が、支配する者の手で捻じ曲げられ、これに抵抗する法曹界の有志は支配権力により排除され、弾圧される運命にあります。まずは法関係の組織から排除されて行きます。これに抵抗して闘うのが「解放の神学」ならぬ「解放の法学」であり、柳原敏夫弁護士がおっしゃる「自由法論」だと受け止めました。
*「支配権力による科学・社会・人文の包摂の時代」には、それぞれの専門分野と、覚醒した自立的な市民との共同・協力・連携が必要不可欠です。運動論的にはもちろんそうですが、概念的・精神的にも同様に「学者と市民が一体となる」ことが求められています。「専門家が幅を利かせる社会が民主主義の機能不全をもたらし、社会を衰退、衰弱化させている」のは、確かに法学者や弁護士を含む専門家・科学者に問題があり責任があるのですが、他方で、私たち非専門家(科学者ではなく法律家でもない)=「ちょぼちょぼ市民」(故小田実)の態度や姿勢にも問題があると私は思っています。柳原敏夫弁護士が言うところの市民専門家=市民科学者を育てるのも、実は究極的には「ちょぼちょぼ市民」であり、そこのところが今日の日本では不十分だと思っています。
*新しい時代へ向けた「ちょぼちょぼ市民」の行動指針
(1)科学者・専門家たちは、その専門領域を一歩でも超えたら、私たち「ちょぼちょぼ市民」と何ら変わらない、ただのおっさん・おばはんであると思っておけばいい。つまり、科学者・専門家の言論は、その専門領域においてのみ尊重される。
(2)科学者・専門家たちもまた人間である以上、言動不一致は日常的に起きる。人間という社会的存在は、人間社会の生産諸関係の一端を担う限りで生存している以上、生産諸関係が持つ経済的社会的利害と無関係ではいられない。それどころか、科学者・専門家たちこそは、往々にしてこの利害の代弁者であることが多いのが現実の人間社会である。従って、人物を評価する場合は、言論ではなく、その振る舞いで評価することが肝要。法律の世界で言えば、裁判官・検察官・御用弁護士・法務省役人・大学教授の大半(いわゆる御用学者・自覚のないものを含む)、は尊重するに値しないどころか、支配権力を濫用する組織のロクでもない構成員=スマートな暴力団員くらいに思っておけばいい。
そして今日的に最も重要なことは、原発・核燃料サイクルについて、毅然として断固として否定しないような科学者・専門家・有識者・知識人は皆、ニセモノと断じてよく、そういう「イカサマ知識人」はこの日本にはワンサといるということを認識しておくべきだ。何故なら、原発・核燃料サイクルは、現代日本社会のさまざまな邪悪を凝縮した最悪の社会的実体であり、これにきちんとした対応ができないような知識人とやらは、他の問題においてもシカリ、と考えていいからである。
(3)ものごとの判断は、誰が言っているかではなく、何を言っているかで、自分の頭と良識で考えて、暫定的に判断を下すことが必要不可欠。暫定的とは一時的相対的と言い換えてもいいが、まず、真実であるかどうかを確率論的に「7:3」(たぶんそうだろう)、「5:5」(どっちかよくわからん)、「3:7」(あやしい限りだ)、といった具合に「とりあえず」認識し、その認識が正しいかどうかは、その後の様々な情報を参考にして、暫時変えていく・変えないで持続する、を日々刻々と繰り返していくこと、間違っても「100%真実だ」などとは思い込まないことである(思い込むのがカルト信者)。
日本の左翼・左派・リベラルは、その多くがこれができていない。だから、①「人工排出CO2による地球温暖化」説、②「新型コロナ」とコロナワクチン、③ウクライナ戦争、で誤った判断や態度をとり、しかもこれらに固執して、反対言論を妨害したり排除したりしている(かつては内ゲバなどもあった)。いわゆる「スターリンのミニブタ」(スターリニズム現象)のことだ。
(4)科学や専門領域での専門用語(ジャーゴン)に惑わされてはいけない。神(真実)は細部に宿り、平易な表現で表わすことができる。自身の専門領域を「ちょぼちょぼ市民」でもわかる言葉で話さない・話せない科学者や専門家は、みなニセモノと突き放しておいていい。日本の学者や法曹界には、アカデミズムの権威に乗っかって胡坐をかいていたり、弁護士バッチをひけらかして自分たちは下々の「ちょぼちょぼ市民」とは違うのだと思い上がっている御仁もいるので、これも要注意(慇懃無礼で表面的な態度ではわからないことが多い)。
(5)運動はプラグマティズムでいくべし。白い猫も黒い猫もネズミを捕るネコはいいネコだ、ということ。AKB総選挙のような好き嫌いで行動せず、目標達成最優先で全力を尽くす。選挙を含むイクサは戦国大名のイクサの仕方を見習う。この点で、日本の野党は今のところ全部ダメ。選挙に勝てなくても当然の結果だと言わざるを得ない。その態度を改めなければ、「いつまでたってもダメな私」が続く。(後ほど簡単にご報告するが、今回の統一地方選での第1回目の投票結果は惨憺たるもの、ネオファシスト(維新他)やガラクタ系、不倫エロおやじまでが当選している。日本の危機はどんどん深まるばかりである)
(6)バブル崩壊以降の日本は、政治が主導して経済や社会を破壊していく「危機の時代」に入っている。諸悪の根源は政治=つまり、市民運動・社会運動だけでは「世直し」はできない段階に達しているということだ。政治からトンズラして市民運動・社会運動だけに専念すれば、政治がロクでもないことを権力を使って次々とやるので、これに対峙する側は「あれもこれも」になって「もぐらたたき」となり、体と時間と頭が持たなくなる。やってられない。臭いにおいは元から立たなきゃダメ、だから、日本の政治の抜本転換を図らなければならないが、これができていない。政治改革の中核勢力が形成されていない。
野党第1党の泉健太立憲民主党は覚悟もやる気もなく、政治センスも悪く、自民党政治の補完物でよい、自分たちの議員の地位が確保できていればそれでいい、という「口先やるやる詐欺」の集団であり失格だ。そして、私が申し上げる第二次司法改革も政治改革の一環である。政治を抜本転換して「オルタナティブな日本」を目指す「共同作業」「最大公約数」としての政治運動を片方で担えない市民運動・社会運動は、危機の時代では、やがて消滅していくだろうと、私は見ている。
以上です。
改めて、柳原敏夫弁護士に感謝です。
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5.最後に柳原敏夫弁護士から一言メール
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(中略)専門家が幅を利かせる社会が民主主義の機能不全をもたらし、社会を衰退、衰弱化させているというのが私見で、これに抵抗するのが市民専門家(科学者・法律家)です。私の中のモデルは、水俣病の川本輝夫さんです。原田正純さんは、自分の医学的研究にとって川本さんの指摘がどれくらい役立ったかを率直に述べています。最も大事な現実はこうした市民の人から提供されるほかないものだからですね。
働く市民が同時に、経営者であるのが協同組合ですが、市民が同時に芸術家であり、同時に科学者であり、同時に法律家であるのがマルクスが描いた未来社会のビジョンですが、これらは今から実現可能なものです。いな、実現していかない限り、民主主義の再生、復活は不可能だと思うのです。
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(「私の中のモデルは水俣病の川本輝夫さんです」=そうですね、私たちの市民運動・社会運動も、少し過去の先人たちの闘いや葛藤、苦悩を振り返ってレビューする必要があるのではないかと、最近は痛感するようになりました。自分たちの先輩・先人たちが、如何に強く、如何に努力家で、如何に「陽気」(根アカ)で、如何に正義感強く闘っていたか、これをもっと具体的に知りたい、そう思うようになりました。:田中一郎)
草々
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