昔はこういう大学教授がたくさんいらっしゃった:水田洋名古屋大学名誉教授:国家は手段、まず先に個人がある、権力への抵抗 行動で示す
前略、田中一郎です。
●(別添PDFファイル)水田洋名古屋大学名誉教授:国家は手段、まず先に個人がある、権力への抵抗
行動で示す(東京 2021.5.3)
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(関連)社会思想史概論-高島善哉/著 水田洋/著 平田清明/著(岩波書店)
https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000000264781&Action_id=121&Sza_id=G1
(関連)「公権力が保障すべき肝心な自由をひっくり返した」 水田洋・名大名誉教授が懸念 - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20201013/k00/00m/010/302000c
(関連)戦後75年:歴史に学び権力監視を 戦時中の思想抑圧に「逆戻りしてはならぬ」 水田洋・名大名誉教授(100) - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20200813/ddq/041/040/001000c
<田中一郎コメント>
少し前の東京新聞記事です。水田洋先生がまだお元気でご健在だということをこの記事で知り、驚くとともにとてもうれしく思いました。ご年齢は101歳、これからもお元気でいらしてほしいです。
私は水田洋先生とは、お会いしたこともなければ、お話したこともなく、もちろん文通もありません。でも、上記でご紹介した岩波書店の先生の著書を、私が大学に入学をして直後の18歳の時に先輩に勧められて読んで、とても感銘を受けたことで、水田先生のお名前が頭に刻み込まれました。今、こうして東京新聞の記事を見ると、その頃が思い出されて大変懐かしく感じます。同じく上記著書の共著者の2人の先生も著名な方で、既に故人となっておられたと思いますが、このうち、高島善哉先生は、私が在学中に大学でご講演をいただくためにお呼びしたことがあります。
その時のお話はすっかり忘れてしまいましたが、唯一点「資本主義というものは、悪いこともたくさんするけれど、いいこともするんです」とおっしゃっていたのが記憶にあります。高島先生とご一緒した送迎の車の中で、高島先生の子息の高島光郎教授(経済学史:1997年退官)他の経済学部マル経教授たちと私たち大学祭実行委員会とがその開催を巡って対立し、大学当局の非民主的で権力的な開催中止(当局の中止口実は確か中核・革マルの内ゲバ殺人事件が大学構内で起きたことだったように思います)を宣告したことに対して私たち学生が実力行使を含めて抵抗していたことをお話しし、ご子息の光郎氏は問題です、と申し上げたところ、「まだまだ修行が足りず、不十分な息子で申し訳ない、よろしくお願いしたい」とおっしゃたので恐縮してしまったことも思い出になっています。結局その大学祭は、多くのマル経の教授たちが機動隊を入れてつぶせと言っているのを、近代経済学の教授たちが強く反対をし、開催してもいいではないか、ということで「黙認型」開催ということになりました。私のマル経大学教授たちへの不信感はこの時からスタートしています。「お前ら、教室で言っていることや著書に書いていることとは真逆のことをやってんじゃんか」と、その後はそのマル経学者たちに詰め寄ることしばしばだったように思います。(私の追及を受けて、自分は教授を辞める、と言い出したマル経学者もいたそうで、当時はまだ、それでも大学教授に「まともな部分」はあったようですが・・・・・)
水田先生と平田先生は、その当時は名古屋におられたように思いますので、接点はありませんでしたが、その後もいくつかの書籍や文献でお会いすることになったように思います。水田先生は西洋社会思想史、平田先生はマルクス思想(平田氏の「個体的所有論」というのは大塚経済史学とも通じるところがあり当時話題の理論でした)で、多くのことを教わっています。
さて、この東京新聞記事には、注目すべきことがいくつか書かれています。そのうちの一つがこれです。
「府立一中(現日比谷高)在学時代は、路面を走る市電で通った。明治神宮前から乗ると、発車したとたんに周囲の大人から神宮に向かって敬礼するように促された。神田に本を買いに行けば、靖国神社前で同じようにさせられる。『天皇制と国家神道、つまり前近代的権力の象徴に嫌悪感を持った。自分はやりませんでした』」
今、東京都や大阪他、全国各地の教育現場で教員らが罰則付きで強制されていることと全く同じことが、当時の日本では(大正の終わりから昭和の初めにかけて)日常茶飯に行なわれていたということです。水田氏はこれに対して拒否を貫いた=大日本帝国憲法下の当時としてはさぞかし勇気がいることだったでしょうが、今日の教育現場では、日本国憲法があるにもかかわらず、かようなことを「一部の心ある例外的な教員」以外は、平々凡々と追従しているようです。情けない限り、です。日本の教育は、文部科学省からはじまり各教育委員会経由、小学校から大学まで腐っている、だから学校いじめなども根絶できず、事故事件が起きると学校関係者どもはその隠蔽工作に全力を挙げ、被害者児童を踏みつぶし、そしてそれを裁判所が追認するという構図である。こんなものは、小学校から大学、そして司法まで、全部叩き潰せばよろしい。事は関係当事者の「やる気」の問題です。
それはともかく、こうした水田先生が嫌悪感を持った「『天皇制と国家神道、つまり前近代的権力の象徴』を拝み奉る日本社会はその後どうなったか。それがこの記事に簡単に書かれていて、皆様が熟知されているとおりです。2.26事件、日中戦争、アジア太平洋戦争へと突き進む中、他方では、学生たちの研究会が弾圧され、マルクス関連書籍などは保有するだけで逮捕され、社会は大学も含めて軍国主義一色になった、ということです。今、現代日本も再び、右翼や維新や自民党などの頭のイカレたゴロツキ連中に先導されながら、「平和ボケ」の情緒の中で、まるでバビロンの捕囚のごとくトボトボと「また来た道」を逆戻りさせられているようです。「いつまでも、あると思うな、親と民主主義」「いつまでも、あると思うな、親と人権」です。日本国憲法を改悪などしたら、それこそ「ドアホ団子」が坂道を転げ落ちるように、どうしようもない社会に転落して行くことになるでしょう。バカは死ななきゃ治らない。
それともう一つ、申し上げておかなければ、と思うことがあります。それはついこの間、私がメールに書いた「スターリンのミニブタ」のことです。日本はどうも、個々人が近代的人格として独立していないためか、他人様を独立した諸個人として認識できず、なんだか自分たちと同類の延長・自分の分身、ないしは目下の分際、くらいにしか意識していない連中が多いのでしょうか。その結果、他人様のふるまいや服装や生活の仕方や、その他さまざまなことにちょっかいを出す・容喙する・押し付ける・説教する、ような連中が少なくない。上記の、明治神宮や靖国神社に向かって敬礼しろ、とか、教育現場で日の丸を掲揚しろ、君が代を声を張り上げて歌え、などというのも、そうしたものの一つです。国防婦人会の「ぜいたくは敵だ!」などというのも有名なそんなことの1つでしょう。こうしたことは、たとえば「はだしのゲン」という中沢啓治さんの名作漫画にも出てきます。お読みでない方は図書館で借りて是非読んでいただければと思います。
(関連)はだしのゲン 完全版 7巻セット-中沢啓治/著(金の星社)
https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000034006970&Action_id=121&Sza_id=C0
https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000034044470&Action_id=121&Sza_id=GG
オレサマ意識丸出しで、オレがサマ、になるのは、右派・右翼の場合には、自分の背中に国家権力がしっかりと味方に付いていて、自分をがっしりと支えてくれているという愚かな自己意識過剰ないしは安心感があるのでしょう(しかし、こんな連中は、いざとなったら国家権力の使い捨て雑巾のようなものなのに、それに気が付かないのです)。まさにこれは「東条英機のミニブタ」ないしは「ナチスのミニブタ」ということになります。
(関連)時事問題4つ:(1)正念場を迎える日本のアカデミズムと日本学術会議(2)新型コロナを巡る議論(3)「朝日カバカバ新聞」が益々「カバカバ化」(4)(メール転送です)ふくかな(福島原発事故賠償裁判
神奈川)他- いちろうちゃんのブログ(「スターリンのミニブタ」については、このサイトの中ほどにあります)
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2021/05/post-c1a37b.html
では、左派・左翼はどうか。いるいる、あちこちにいますよ。しかも、右派・右翼とは違って、たいていの場合が裏側へ回って、イベントの主催者とか、運動の(自称)幹部に、こそこそと「あれ、やめさせろ」とか「あんなのよくない」とか「ほっといていいの」とかやっている。中には自己顕示欲が強くて、直接ちょっかいを出すやつもいて、「マスクをちゃんとしろ」とか「大声出すな(右翼の街宣車はいいのだそうですが)」とか、「チラシは配ってはいかん」とか、いろいろいってくる。ある弁護士どもが主催した憲法集会では、参加した市民に対して自分たちの署名への協力を呼び掛けながら、他方で、参加市民が他の署名を持ち込むことは困る・ご法度だ、などと言っておりました。弁護士のくせして、どういう神経をしているのかと思いましたね。
私はこういうのを「スターリンのミニブタ」と呼んでいます。「スターリンのブタ」というのは、この前に申し上げたように、ジョージ・オーウェルのソ連を風刺した小説「アニマルファーム」からきています。この小説は映画にもなっています。下劣にも水面下に隠れてコソコソやっている、その(似非)左派・左翼ありようは、まさに「スターリン主義」行動様式そのものであるように見えます(ナチスもスターリン主義も秘密警察が必須の道具でした)。そして、「ミニブタ」は情勢次第では「ブタ」になっていくのです。今の中共中国や北朝鮮がその典型事例です。「東条・ナチスのミニブタ」も「スターリンのミニブタ」も、右派・右翼と左派・左翼の違いはあっても、その社会的精神構造は似たようなものです。早い段階で摘み取っておかなければ、日本のように危機が深まっていく情勢下では、近未来に新たな全体主義が台頭してくる危険性大なのです。全体主義の芽は、ちょっとしたところからスタートします。何故なら「人間はみなチョボチョボや」(故小田実)だからです。また、市民運動・社会運動は、参加する市民こそが主役であり、事務局員や(自称)リーダーは、そのお世話係にすぎないのであって、ボトムアップで湧き上がる参加市民の自由や活力こそが「命」だからです。
(関連)実験記録 No.02 - 【日本語訳】動物農場(Animal Farm)
https://bit.ly/33nGjsX
(関連)ユーチューブ アニマルファーム
https://www.youtube.com/watch?v=pkpWVWq7ywM
https://www.youtube.com/watch?v=yEC3z6oM5Z8
https://www.nicovideo.jp/watch/sm8190578
話が少し脱線しましたが、水田洋先生のご健在を確認できた記事を見つけていろいろ考えました。私が学生時代の昔には、水田先生や高島善哉先生のような大学教授が全国各地にたくさんおられて、戦後日本の保守政治体制の下で、日本がおかしくなっていくのを必死でストップをかけておられたように思います。しかし、1970年前後の大学騒乱後に大学に入った私の時からそうでしたが、その当時のいわゆる一般学生の大半は、もはや「ダシガラ」のような感じの連中がほとんどで、社会的な行動様式で言えば、ご都合主義的で、言い訳上手で、自己保身が強くて、自己中心的で、自分に関係する組織以外の人々にどのような不都合や被害が出ても気にしない、そんな姿勢の学生があふれていたように感じます。そして今、その連中の世代が日本を牛耳っているのですから、日本が政治や財界が主導しておかしくなっていくのも、さもありなん、という話だと、私は思います。これを転換するには、牛耳っていないものが、牛耳っているものを引きずり下ろす、というところから始まるのです。
大学で申し上げれば、水田先生には申し訳ないとも思いますが、今日の日本の大学は腐っています、日本の大学は今こそ解体されるべきです。
草々
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