(他のMLでの議論)「「命の選別」と反緊縮は相容れない 」という「薔薇マークキャンペーン」について=「命の選別」を肯定するか否かは「緊縮か反緊縮か」とは直接関係はありませんし、一過性バラマキ政策は正当化できません
前略,田中一郎です。
(最初に若干のことです)
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1.(予約優先)(8.25)「山本太郎「れいわ新選組」の経済政策と衆議院選挙」(ちょぼゼミ:田中一郎)- いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-dda34a.html
(関連)(報告)(7.28)「山本太郎「れいわ新選組」の経済政策」(その1)(「新ちょぼゼミ」:田中一郎)- いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-eaddb8.html
(8/25は上記7/28の続きです:田中一郎)
2.キャンペーン · コロナの危険の中で学ぶ子どもたちに、少人数学級と豊かな学校生活を保障してください。 · Change.org
https://cutt.ly/IdeCzAe
3.立民代表、玉木氏に不快感 合流「まとめる気あるか」:東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/44627?rct=politics
(田中一郎コメント)
枝野さん、あなたは御用組合「連合」(自民党や国民民主党の支持団体)から尻を叩かれて、本来なら相手にする必要がない玉木雄一郎やら前原誠司やら野田佳彦やら電力総連バックに国会議員になっている連中に声を掛け、「反自民・非自民野党の総結集」を「口先交渉」でやろうとしていますね。そんなもの、うまくいきませんよ。彼らはあなたの「弱み」につけ込んで、ああしろ・こうしろと言っているだけで、その狙いは彼らが単独で衆院選に臨めば、一部の選挙に強い国会議員を除いて、その大半が落選するので、それを回避するためにあなたの党を「踏み台」にしようとしているのです。何と言っても彼らは有権者・国民の信頼を喪失し、支持率は今でも1%程度の過ぎないですから。
あなたがなすべきことは、まずもって自分たち自身=つまり立憲民主党の覚悟と姿勢をはっきりさせ、断固として安倍政権・自公政治に立ちはだかり、この8年間で壊されてしまった日本を必ずや回復させ、21世紀の「オルタナティブな日本」へ向けた政治を実現する、ということを「口先」ではなく「行動」でもって示すことです。そのためには、地方選挙も含めてあらゆる選挙で「自民党との相乗り」(例:京都市長選挙)をやめると同時に、山本太郎「れいわ新選組」や共産党ともしっかりと肩を組み、彼らを最大限に尊重してWINWIN関係を築き、一丸となって政策公約を明らかにしたうえで街頭に出ていくことです。有権者・国民に繰り返し繰り返し訴えていくことです。その際に、山本太郎「れいわ新選組」が言う「消費税5%減税」や、共産党が言う「安保法制即時廃棄」は、絶対に避けて通れませんよ。
あなたや立憲民主党が、衆議院選を目前にした今、依然として低支持率で低迷している最大の原因は、上記で申し上げていることを実現する努力を怠ってきたからにほかなりません。このまま行けば次期衆院選はボロ負けです。東京都知事選の結果を見たでしょう! 仮に国民民主党と形だけの統合をしてみたって、ことは変わりません。有権者・国民は、「またあいつら負け組選挙互助会をやってんのか」と見ていますから。ポイントは、あなたや立憲民主党が、真に有権者・国民のための政治をして「オルタナティブな日本」を必ずや実現しますという「有権者・国民」との約束をしっかりと態度で示し、志を同じくする政治家を結集して、有権者・国民の信頼と支持を回復させることです。
そうすれば、国民民主党に在籍するリベラル系議員を中心に、五月雨式に、雪崩現象的に、国民民主党から立憲民主党への移籍の動きは自然発生的に起きてくるのです。その結果、上記で申し上げたような「国民民主党や無所属のカスみたいな議員」たちは孤立していくでしょう。無視できる存在に落ちていきます。そして、革新系の諸悪の根源とも言うべき労働貴族・御用組合「連合」の中でも「動き」が出てくるでしょう。「連合」は分裂して「真の労働運動」ができる「働く者のための労働組合」にならなければ未来はありません。今は自民党を最も支持するクソ労働組合です。
要するに、あなたや幹事長の福山哲郎は、野党第1党のトップとして、なすべきことをしていない、困難突破の処方箋の認識を誤っている、ということです。「善は急げ」で、一刻も早く態度を改め、国民民主党ではなく、「オルタナティブな日本」の選挙公約と候補者統一に協力してくれる他の政党(とりわけ山本太郎「れいわ新選組」や共産党)との協議を開始することです。そして「街頭へ」。
4.(メール転送です)村田光平さん(元駐スイス大使)からのメールです(英文は省略)
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皆様、バッハ・IOC会長宛メッセージをうっかりして英文のまま送らせていただきました。失礼の段お許し願います。その趣旨を所感を交えお伝えいたします。
インドの傑出した政治家からいただいたインドの主要紙が「五輪の中止は選手にとり耐え難いこととはいえ、人命を危険にさらすスポーツはいかに大事なものであれ挙行するに値しない」と報じていることをバッハ会長に伝えました。また、日本ではコロナ危機が第2波の到来で深刻化を深めており、児玉龍彦教授が7月17日にテレビで新型コロナヴィールスの「エピセンター化」(ヴィールスを発生させる震源)となりつつある可能性がある新宿区の全員のPCR検査を必死に訴えたにもかかわらず、いまだに放置されているのは五輪配慮が障害となっている旨、また、全世界はこのような政治の介入は五輪憲章に反すると確信している旨を伝えました。
五輪開催は既に世論調査では半数以上の国民の反対意見が開示されているにもかかわらず、白血病から生還された池江璃花子さんまで世界に発信させたりまでして、日本のメディアが宣伝をしていることを市民社会は嘆いております。国際社会も確実に上記のインド紙にみられる通り中止を求める動きを強めつつあります。福島事故に由来する放射能の危険を無視し続け、同事故の教訓「経済重視から生命重視」が忘れられている現状は、先行きが危ぶまれる「Go To Campain」と共通するものがあることが改めて想起されます。
マスコミやSNSの一部の参加者は来年の五輪が織り込み済みのような既定事として報じています。五輪開催は既に世論調査では半数以上の国民の反対意見が開示されているにもかかわらず白血病から生還した、池井選手を発言させたり、宣伝をやっています。こういう宣伝工作のお先棒を日本のメディアは担いでいるのです。
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5.末法の世・ニッポン=諸悪の根源は政治(家)でありオバカの有権者である
(1)各地で最多「再拡大」鮮明に - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6367100
(2)【安倍政権】八方塞がりの安倍政権 野党の国会召集要求無視で時間稼ぎ|日刊ゲンダイDIGITAL
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/276644
(3)「国民への説明できないなら首相辞任を」 共産・小池氏:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASN7W6DG3N7WUTFK015.html
(4)布マスク8千万枚、一律配布を断念へ 余剰分は備蓄に [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASN7Z4PYCN7ZUUPI001.html?ref=mor_mail_topix3_6
(5)【小池百合子】小池知事は自信満々も…“夜の街”ステッカー義務化の危うさ|日刊ゲンダイDIGITAL
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/276647
(6)コロナ拡大の中、2週間で5回不倫デート 厚労省の橋本岳副大臣と自見英子政務官が交際 - 文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/39350
(7)タービンの羽根、腐食などで破断 熊本発日航機の部品落下で運輸安全委(熊本日日新聞) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/53e397918960261da0e99042cb88ac757be54d35
(8)国会中に机の下で本熟読 波紋 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6366862
(9)ALSは業病 石原慎太郎氏謝罪 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6367061
(これで何度目か!? 何を「国士」気どりしてんだよ! )
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他のMLでの議論です。「「命の選別」と反緊縮は相容れない」という「薔薇マークキャンペーン」についてですが、「命の(政治的)選別」を肯定するか否かは「緊縮か反緊縮か」とは直接関係はありませんし、一過性バラマキ政策(ヘリコプターマネー、ベーシックインカムなど)は、こんな理屈では正当化できません。以下、「薔薇マークキャンペーン」の出した声明と、それに対する私のコメントをご紹介します。
「薔薇マークキャンペーン」もまた「命の(政治的)選別」は許さないとしていますから、その点ではほっとしてしますが、しかし他方では、「オルタナティブな日本」を目指す政策の基本的な考え方=「反緊縮」の方針が「濫用」され、MMTなどという「世間知らずの机上の空論」が駆り出されながら、日本がおかしな方向へと導かれるのを看過するわけにはいきません。修正資本主義ならぬ「修正市場原理主義」とでもいうべき「バラマキ型反緊縮」政策(その認識の根底に「どん底へ向けての競争」の容認ないしは受入があります)に対しては、しっかりと「NO!」を突き付けなければ、私たちはアベ政権・自公政治の後に、また再び愚かな政治をつかみ取ることになるでしょう。
(「バラマキ型反緊縮」政策の誤りは、①1人・1社に対する交付金額が小さくて効果が薄い割には、のべつくまなく配布するので必要財源が巨額になること、②それを国債の日銀引受(事実上を含む)で調達しようとしていること(黒田日銀の異次元緩和をもっと激しくやれということと事実上同じ)、③一過性であること、④税制抜本改革や社会(保障・福祉)政策などのきめ細かな制度改正が視野に入っておらず不勉強な対症療法的な考え方であること、などです)
(関連)(増補版)ベーシックインカム待望論の危うさ(大崎明子『週刊東洋経済 2020.7.18』)と『週刊エコノミスト』のベーシックインカム特集=竹中平蔵もこよなく愛する究極の市場原理主義政策、それがベーシックインカムです。- いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-2c2fe4.html
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1.【声明】全ての個人が尊厳ある人生を送れる社会の実現をーー「命の選別」と反緊縮は相容れない - 薔薇マークキャンペーン
https://rosemark.jp/2020/07/31/2020073101/
https://rosemark.jp/2020/07/31/2020073101/
(このメールの最後にコピペを張り付けておきます)
2.私からの発信メール:「命の(政治的)選別」を肯定するか否かは「緊縮か反緊縮か」とは直接関係はありません(一部加筆修正)
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先般も申し上げましたように、「命の(政治的)選別」を肯定するか否かは「緊縮か反緊縮か」とは直接関係はありません。
私は「反緊縮」ですが、(「緊縮」=「命の選別を認める」、「反緊縮」=「認めない」)こういう恣意的な区分けをしたら、「緊縮」の人たちは怒りだすのではないかと思います。たとえ「緊縮」の立場であっても、「人は生きているだけで価値がある」という思想を持つこととは矛盾しないですし、仮に「反緊縮」の考え方であっても、1人当たりわずかばかりの現金をのべつくまなくバラまいて、巨額の財源を浪費するような「放漫財政型反緊縮」なら、経済的な観点から見た事態はちっとも改善されません。
要するに、「反緊縮」型財政政策論を「命の選別」問題と結びつけて自己正当化するのは、私は変だと申し上げているのです。
(関連)松尾匡立命館大学教授「大西つねきさんの発言をめぐって」に関する私からの若干のこと- いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-be37bc.html
(関連)「命や人間の「選別」は絶対に許さない」=「れいわ新選組」の大西つねき氏除籍処分と山本太郎代表記者会見録画=世の中よりも高いモラルや規律水準をもち、初心を忘れずに「世直し」に邁進してください- いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-2dfe11.html
そして案の定、上記「声明」の最後には、一過性型で1人or 1社当たりわずかばかりの現金をのべつくまなくバラまいて、巨額の財源を浪費するような「放漫財政型反緊縮」政策が並べられています。こんなことをやっていても問題の解決にはならず、日本経済はますますの苦境に陥っていくでしょう。(際限なき円安リスクが浮上してくる可能性あり)、ということです。本命は「必要な人に必要なだけ」という原則を、さまざまな制度として法制化し、それを恒久化していくことです。その最重要なものが「生活保護」ならぬ「(権利としての)生活保障制度」であり、拡充された「支援付失業保険制度」であり、「地方振興公社」によるロスジェネ世代を中心に数百万人の人を正規職員として採用して地方に派遣し、そこで定住してもらって、そこで地域振興の仕事をしながらスキルアップをし、まっとうな住宅に住み、相応の所得収入を得て生活を安定させていく、そんなキャリアルートを政府が責任をもって用意することです。
(関連)ロスジェネ世代の救済(正規職員として安定雇用)は日本経済の救済・再建と同義である=ニュー・ニューディール政策(NND)による「地方振興公社」(新設)を軸に経済政策の抜本転換をはかれ- いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-5333dd.html
また追記しておけば、この会(「公正な税制を求める市民連絡会」:下記参照)の事務局は、未だに「選別政策」「普遍主義政策」などという市場原理主義イデオロギーに毒された用語を使って、社会政策を表現しているようです。何度言ってもわからない人たちだなという印象です。およそ政策というものは「ターゲット」を決めて行われるものであり、それをいちいち「選別だ」などとは言わないのです。(中小零細企業にターゲットを絞る)中小企業対策が「選別主義だ」とも言わないし、(過疎化する地域にターゲットを絞る)「過疎地域振興政策」も「選別主義だ」などとは言いません。
(関連)公正な税制を求める市民連絡会 - 広がる貧困と格差の是正に向けて
http://tax-justice.com/
(上記サイトのイベント情報のところに「「諸外国に学ぶコロナ危機対応⑤」は、選別主義の日本とは異なる普遍主義の国、世界幸福度ランキング第2位のデンマークを取り上げます」という記載があります)
しかし、こうした(ターゲットを決めて実施する)「政策」として当たり前の在り方を、「生活保護」や反貧困対策についてだけ「選別主義」だなどと言っているのは、市場原理主義者たちによる社会保障政策への誹謗中傷のたぐいなのであって、そのイデオロギー攻勢を受入れるかの如く、「世直し」をしようとする側が「我が国の選別主義的な政策」などと表現していては、お話にならないのです。かつてガット・ウルグアイラウンドやWTO設立問題の折に流行した「貿易歪曲的農業政策」はダメだ、という市場原理主義的イデオロギー表現と似たり寄ったりと言えるでしょう。ダメなのは「貿易歪曲的農業政策」ではなくて「農業歪曲的貿易政策」なのです。「貧困の哲学」ではなくて「哲学の貧困」です。
(関連)20200620 UPLAN 田中一郎「マイナンバー&カードの危険性」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=g_ISO_ZJTrs&t=375s
https://www.youtube.com/watch?v=8PECMRMDlQU&feature=youtu.be
(上記VTRの最初のところで「選別主義」「普遍主義」という用語の批判をしています)
(関連)バラマキ政策の根拠となったアメリカ生まれの「納税者反乱論」(2020年4月27日)
https://cutt.ly/as6LkfX
「人は生きているだけで価値がある」という思想は、日本国憲法第25条の「生存権保障」と表裏一体です。そして生存権保障は、経済的な貧困や困窮に追い込まれている方々に対して「選別」をして施し物をすることではありません。まさに「生存権」という、一人一人の人間としての「生きる権利」の発現として政策がなされるのであり、政府側から見れば、「健康で文化的な最低限度の生活」という生存権をどんな方々にも保障する「責任と義務の履行」として、なされるのです。「選別」も「普遍」もありません。
*日本国憲法
(関連)〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
*安倍晋三とあかねちゃん
https://cutt.ly/udrtk7u
(それぞれ下記に読み替えてください)
安倍晋三「戦争に行ってくれませんか?」⇒「選別政策をやめてバラマキで行きたいと思います」
あかねちゃん「ポツダム宣言読んでから言えよカス!」⇒「日本国憲法読んでから言えよカス!」
草々
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(追)【声明】全ての個人が尊厳ある人生を送れる社会の実現をーー「命の選別」と反緊縮は相容れない - 薔薇マークキャンペーン(全文コピペ)
https://rosemark.jp/2020/07/31/2020073101/
【声明】全ての個人が尊厳ある人生を送れる社会の実現を――「命の選別」は反緊縮と相容れない:2020年7月31日
薔薇マークキャンペーン代表
松尾 匡(立命館大学経済学部教授)
薔薇マークキャンペーン呼びかけ人
西郷 南海子(薔薇マークキャンペーン事務局長)
朴 勝俊 (関西学院大学総合政策学部教授)
池田 香代子(翻訳家・作家)
稲葉 振一郎(明治学院大学社会学部教授)
色平 哲郎(佐久総合病院医師・社会運動家)
岩下 有司(中京大学名誉教授・経済学)
北田 暁大(東京大学大学院情報学環教授)
岡本 英男(東京経済大学学長)
小田中 直樹(東北大学大学院経済学研究科教授)
梶谷 懐(神戸大学大学院経済学研究科教授)
桂木 健次(富山大学名誉教授・経済学)
岸 政彦(立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)
西郷 甲矢人(長浜バイオ大学教授・数学)
斎藤 美奈子(文芸評論家)
橋本 貴彦(立命館大学経済学部教授)
森永 卓郎(獨協大学経済学部教授)
山本 圭(立命館大学法学部准教授)
菊池 恵介(同志社大学GS研究科教授)
内田 樹(神戸女学院大学名誉教授・京都精華大学客員教授)
ブレイディ みかこ(保育士・ライター)
(順不同)
目次
反緊縮は「命の選別」を許さない
新自由主義の人間観に対決する「人は生きているだけで価値がある」という思想
全ての人が尊厳のある人生を送れる社会を実現しよう
薔薇マークキャンペーンへのご賛同のお願い
反緊縮は「命の選別」を許さない
7月23日、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した京都市の女性に薬物を投与して殺害したとして、2人の医師が逮捕されました。この事件を受けて、一部の政治家が安楽死や尊厳死についての議論を呼びかけましたが、これは決して許されるものではありません。
逮捕された医師の一人は「高齢者への医療は社会資源の無駄、寝たきり高齢者はどこかに棄てるべきと優生思想的な主張を繰り返し、安楽死法制化にたびたび言及していた」と報じられています(「京都新聞」7月23日)。ここには、2016年に起きた「津久井やまゆり園」の大量殺傷事件において、植松聖死刑囚が、自らの行為を正当化する根拠として、社会保障費の増大による財政危機を持ち出していたのと、同根の考え方があることは否定できません。
財政危機論が煽られ緊縮政策が進められる現在の日本において、少なくない人々が、自力で生活できない人のために社会保障費を増やし続けて大丈夫だろうか、という漠然とした不安を抱かされています。こうした不安に付け込む形で、安楽死や尊厳死についての議論が進められることは、非常に危険といわざるをえません。死についての自己決定権の問題であるかのような外見の下に、生きたいと願う人に死を選ぶ強い圧力を感じさせてしまう社会がつくられてしまいかねないからです。
さらに、いわゆる延命治療を望まないとしても、緊縮政策は「生きてきてよかった」と思える丁寧なケアを実現するために、決定的な制約となることを指摘しておかなければなりません。本当に当人にとって「生きていてよかった」と思える丁寧なケアを実現するためには、緊縮政策下での延命治療よりも、多くの人手と医療資源が必要でしょう。医療をめぐって、当事者の自由な自己決定は、緊縮政策の下では実現できないのです。
このような「命の選別」を絶対に許さず、全ての人が「生きていてよかった」と感じられる社会を目指すのが、反緊縮の思想であったはずです。
ところが、反緊縮を掲げる勢力の中から、「命の選別」を正当化する主張がなされるという重大な出来事が起きてしまいました。れいわ新選組の構成員であった大西つねき氏が、労働供給の制約を根拠に、「命、選別しないとダメだと思いますよ」「その選択が政治なんですよ」と発言し、れいわ新選組を除籍されたのです。この大西つねき氏の発言は決して許されるものではなく、反緊縮の根本思想と絶対に相容れないものです。
たとえ、経済的な理由から肉親の延命治療を断らざるを得なくなったり、医療資源の不足で医療労働者がトリアージ(災害などで多数の患者が同時に出た時、治療の優先度を決定して選別を行うこと)を余儀なくされたりする状況があったとしても、そこで何よりも問題にすべきなのは、現場の関係者にそのような苦渋の選択を強いる貧弱な医療体制であり、こうした貧弱な医療体制をもたらしてしまった緊縮政策です。反緊縮運動がやるべきことは、現状の貧弱な体制を前提にして、外部の者が聞きかじった情報をもとに、現場の関係者が思い悩まなくて済む方向へ公的制度を向けるよう議論を急かすことではなく、現場の関係者の苦渋の思いをみんなで分かち合いながら、緊縮政策への怒りに向けていくことであるはずです。
新自由主義の人間観に対決する「人は生きているだけで価値がある」という思想、緊縮政策をもたらしてきた新自由主義の思想には、人間を「使える」「使えない」で選別する能力主義があります。その根底には、「理性」を身体の上位に置き、身体は「理性」の入れ物に過ぎないという人間観があります。ここから、お金儲けのための理性的な計算や、公共的な事柄についての理性的な考察を個人に課し、その優劣によって個々人をランクづけして、不遇な結果を自己責任として突き放すのです。資本や国家への貢献度によって個々人を優劣づける思想の蔓延こそ、この社会を生きづらいものにする根源になっています。
こうした新自由主義の人間観と最も鋭く対決するのが、「人は生きているだけで価値がある」という考え方です。これは、理性に代えて「生きているだけ」で存在する生身の身体を政治的舞台の主人公に据え、空腹の胃袋や筋肉痛の手足の感覚・感情をも根拠にして、エリートの「理性」が押し付けてくる強者の都合に反逆するものです。私たちは、この「人は生きているだけで価値がある」という言葉こそ、反緊縮思想の核心であり、現在の生きづらい社会に対する最も確かな対決軸となるものだと考えます。99%の側の全ての庶民に——明確には言語化されていないかもしれないけれども——共通する、まっとうな怒りや願望に依拠し、それを汲み取ってスローガン化してこそ、様々な場面で立ち上がった広範な人々に支えられる形で、緊縮勢力に勝つことのできる政治的な連携をつくっていけるはずです。
理性的な自分が、自身の発言をうけた大衆の判断による負託にもとづき生身の命を救うか否か判断を下していくという大西つねき氏の発言(※1)は、こうした考え方と対極にあるものです。これは、生身の個々人のコントロールのきかない外から、エリートの理性の選択が生身の個々人の誰彼を選別して損壊してくるということであり、絶対に容認するわけにはいかないものです。
全ての人が尊厳のある人生を送れる社会を実現しよう、「人は生きているだけで価値がある」という思想は、「生きているだけ」で存在する生身の個人を主人公に据え、全ての「生きている」人を尊厳ある権利主体として扱うことを要請します。身体反応レベルの選択は、いわゆる理性的選択と優劣なく、最大限尊重しなければならないものです。ここに「命の選別」が入り込む余地は全くありません。この立場は、大西つねき氏が「命の選別」の根拠として持ち出してきた(※2)労働供給の制約の問題を考慮しても、変わるものではありません。
たしかに、将来的に、高齢化の進行により医療・介護などに人手がたくさん必要になり、それらの部門で必要になる物財の生産のためにも人手が必要になって、労働不足が発生することを心配する人も少なくないでしょう。しかし、この場合でも、社会の合意によって選別されるべきは「命」では絶対にありません。全ての生身の個人の尊厳を守ることを絶対に譲れない大前提として、労働の配分をどのように選択していくかが問われるべきなのです。
例えば、機械や工場の生産が過剰な場合はそれを抑えるために法人税を上げたり、カジノなど一部の富裕層の利益にしかならない事業に財政支出することを止めたりすれば、これらへの労働の配分を減らして、介護分野にまわすことが可能になります。また、今後、介護分野を含む様々な産業においてロボットやAIの開発・活用が進んでいくことも考慮すれば、既存の予測の延長線上で考えるよりもはるかに、労働配分の選択の余地が広がっていくはずです。
介護(ケア)は、対象者の命や生活をサポートする重要な仕事です。実際、介護の仕事にやりがいを感じ、個人の尊厳を守るために奮闘しているたくさんの人たちがいます。しかし,同時に、介護の現場では、その責任の重さとつり合いの取れない厳しい労働条件を強いられています。ケア労働が正当な社会的評価を受けるためにも、政府の支出を傾けていくべきなのです。とりわけ、現在、介護分野における人手不足の根本原因となっている低賃金を解消することは急務です。高齢者の介護のために若者の時間を費やさせるのが気の毒だという理由で、介護労働の節約を考える必要は全くありません。
いうまでもなく、ケアを必要とするのは高齢者だけではありません。子ども、病気になった人、障がいを持つ人など、様々な人たちがケアを必要としています。その全ての現場において、生身の個人の尊厳が守られる体制をつくっていく必要があります。
いま緊縮政策がもたらしているのは、「生きているだけ」で存在している生身の個人が損壊されるか否かが、所得の大小や雇用にありつけているか否かで選別されてしまうシステムです。こうした選別が、分別ぶった財政規律論のお説教で押し付けられてくることに反対するのが反緊縮の思想です。「財政」も「通貨」も、人が生きていくための決まりごとにすぎません。それを自己目的化して、生身の個人を犠牲にするのは本末転倒です。私たちは、全ての人が尊厳のある人生を送れる社会の実現に向けて、反緊縮プログレッシブ運動の形成を目指していきます。
※1「私が「政治家が命を選別しなければならない」と思わず言ってしまったのは、このように命の選別になりかねない考えも恐れず発信し、場合によってはそれに賛同する人々の負託を受けて、代理人とし実行する仕事であるということです」(https://www.tsune0024.jp/blog/7-17<7/17 大西つねき会見全文>)
※2「お金がいくらでも作れることが理解されれば、上限はお金ではなく、それで動かせる人の時間と労力という「実体リソース」の有限性になります。少子高齢化で人口バランスがとてもいびつになる中、果たして十分な人材を確保できるのかどうか」(同上)
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