(他のMLでの議論です)実際の政治、ないしは政権を目指す政治活動を、何か知的な研究活動か社会運動の1つ、あるいは趣味的なサークル活動であるかの如く誤解をしている「アマチャン議論」を少し叩いておきます
前略,田中一郎です。
(他のMLでの議論です)
下記は他のMLでの議論で、私から発信したメールです。最初の私のメール(メールその1)に対する批判として、あるVTRをご紹介いただいたのですが、それに対する反論として書いたのが2つ目の私のメールです(メールその2)。一部加筆修正して、ご参考までにお送りいたします。繰り返しますが、都知事選挙は山本太郎「れいわ新選組」の立候補があった段階で常識的に考えて敗北が決定、現状は、主戦場は、来たる衆議院選挙(今年秋を予想)に移っています。しかし、その見込みも昨日お送りしたように悲惨な状態にあります(下記参照)。客観的な情勢は厳しいものがあり、必ずしも当事者・市民だけの責任とは言えませんが、しかし、立憲民主党現執行部を中心にして、当事者能力というか、当事者の意思というか、主体性の欠陥とでもいうべきものが事態を悪化させていることもまた、事実だろうと私は考えます。
自分の好き嫌いを先頭に建てて、それを後から合理化する理屈を考える・くっつける、こういうことはやめなければダメです。現在の日本の政治選挙が、まるでAKB総選挙のようになり、本音は政治をシニカルに冷笑・軽蔑し、自分は距離を取り、あるいは高みに身を置いて、政治家や政治活動に取り組む市民を突き飛ばす、それでいて自分たちもまた、アベ政権や自公政治のヘドロをしこたま食わされるという、いかにも愚かで悲惨な事態が生れてしまっています。もっと真摯に、もっと真剣勝負で、諸悪の根源である(自公)政治を一刻も早く抜本改革していく道筋を考え行動しなければいけないのです。それは「誰かがやってくれる」ということでは絶対にありえません。
(関連)来たる衆議院選挙を巡る政治情勢と危ぶまれる日本の未来=自公の議席が変わらない中で維新がどこまで伸びるかという「最悪の展開」、立憲民主党を総大将とする「体たらく野党」の末法的情勢- いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-c96e8d.html
(メールその2)
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*山本太郎代表の都知事選出馬について(Live配信2020-6-15) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MGCvIqLRkdU&t=2871s
(最初の部分では音が割れていますので、そこは飛ばしてください)
実際の政治、ないしは政権を目指す政治活動を、何か知的な研究活動か社会運動の1つ、あるいは趣味的なサークル活動であるかの如く誤解をしている「アマチャン議論」を少し叩いておきます。こんな議論をしているようでは、いつまでたってもダメな私たち(政権取れない、政権維持継続できない)、ということになるでしょう。自民党の連中が、もっとヤレヤレ、と喜びそうな言辞が並んでいます。
その前に「いまだにご丁寧に」(山本太郎氏の立候補を批判している)ではないんですよ。これからですよ。下記にも書いていますが、今回の山本太郎氏の都知事選立候補への批判は、都知事選をどうこうとか、どうするかとか、山本太郎氏と宇都宮健児氏のどっちがいいか、好きか、嫌いかとか、そんなこととは直接関係がありません。世直し政治勢力の総大将として、今回の山本太郎氏の政治判断が決定的に誤っていると言っているのです。ですから、「いまだに」どころか、これからことあるごとに、今回の山本太郎氏の都知事選立候補は私から「悪しき事例」として、つまり、二度とするなよ、という意味を込めて、厳しく批判されることになります。
政治における政権を取りに行く行為は、学校の学級委員を決めるようなものでもないし、大学サークルの代表者を選ぶようなものでもありません。まさに食うか食われるか、昔はこれに一族郎党の「命」までがかかっていましたが、そういうものです。少し前の経済成長の時代であれば、選挙で負けてばかりでも、それなりに立候補する意味もあったし、選挙運動も何らかの意味もありました。時代が右肩上がりで時間がたつと解決へ向かうこともあったし、政権側=つまり自民党の側もそれなりの批判の受け止めをして、一定程度まで異議申し立てを受入れてもいました。当時の日本や日本政府には、経済的に余裕があったということかもしれません。
しかし、今日のように、市場原理主義アホダラ教がまん延し、チンピラ似非右翼が跋扈するような時代となり、政治主導・政治家主導で日本がメチャクチャにされていく時代では、私たち改革勢力=「オルタナティブな日本」を目指す勢力は、選挙に勝って、しかも政権交代をした後も、長期政権として、じっくりと時間をかけて世の中を変えていかなければ、もうダメなところまで来ているということです。しかし、このVTRの論者には、(これ以上私たちの国や社会が没落するのを食い止めるため)何としても選挙に勝たねばならない、というエネルギーなり気力なりを感じません。政治で半分遊んでいるのではないかと、私には見えますね。しかも、都知事選に勝った後のことなど、ほとんどまともに考えていない様子です。
「根底に、自分の考えは正しい、自分の考え通りにいって欲しい、そうじゃない人たちを変えたい・コントロールしたい、なんとかしなければならないというおごりがあるのではないかと思っている。」
政治というものについて、政治活動というものについて、少し考え方がおかしいのでは? 政治というのは、こういう風に変えていきたい、こういう風にしたい、をぶつけあう場であり、そうでない人は変わってほしい、変わらない人はどいていてほしい、無関心の人は適切にコントロールしていく、そういう人間の営みなのです。それがいやなら政治になど首を突っ込まなければいい。支配権力がなすがままに流されていけばいいのです。政治とは、闘争であり、利害の激突であり、奪い合いであり、自己合理化であり、他者へのコントロールです。政治は、精神修養をして、いかに自分がきれいに美しく生きていくか、この人物の言葉で言えば「おごり」なく生きていくか、という「修練道場」ではありません。闘争の場なのです。争いです。しかも、そこには、支配・被支配や貧富の格差などという冷徹な社会関係があるし、それは歴史的に形成されています。
今日でいえば、一刻も早くこの自公支配・アベ政権にやめて貰わないと死活問題だという人は、非正規の労働者や地方で農林水産業を営む人たちを中心にたくさんいらっしゃる、一刻も猶予はならない、選挙は世直し勢力に絶対に勝ってほしい、そういうことです。あるいは原発・核燃料サイクル施設問題でも同様です。それに対して、今般の山本太郎氏の振る舞いは、ダメだということ=つまり政治判断を間違ったということです。どのように間違ったかは既に申し上げています。都知事選に道草などせずに衆議院選へ全力投球せよ、衆院選へ向けてなすべきことは山のようにある、都知事選は自分とほとんど同じ主張をしていて、かつ信頼が置ける人物である宇都宮健児氏にまかせて、自分はその応援に入ればいい、それが山本太郎「れいわ新選組」への評価や有権者の好感を高めることにもなる、そういうことです。それが今回の都知事選の場合には唯一の合理的な政治選択だ、と申し上げているのです。そして国政へのチャレンジでは宇都宮健児氏に全面的に応援してもらえばいい。
「太郎さんが出たことにいろいろ言ったり書いたりして、怒りや不満を表現するのも自由かもしれないけれど、それで他人をコントロールしたり意見を変えようとするのはそれ自体要らないくだらないことだと思っている。脱却しなければならないこと。」
そう思うのなら、政治から退けばいいだけ。政治というのは、まさにこういうことをする場所なんです。
「野党共闘という枠組みは自由とは全く対極にある。選挙区の中で誰は出て良いけど誰は出てはいけないとか出たい人を降ろすとか」。
自民党の連中が聞いたら泣いて喜びそうな話です(こういうことを言うのなら、まず真っ先に自公共闘=自民党や公明党の候補者選びに対して言えばいいでしょう)。選挙で勝たねばならない場合には、そういうことも十分にありうるし、それはケースバイケースで、最適な政治選択をしなければいけないということです。頭から排除するものではありません。「それ自体要らないくだらないことだと思っている」と思うなら、この人物が黙っていればいい、今回ご紹介いただいたような議論こそ、この人物がしなければいいのです。つまり、それこそが「それ自体要らないくだらないことだ」ということです。何故なら、繰り返しますが、政治とはそういうものだからです。
「仲良くする必要もないが余計なことは言わない。議論は大事という考えもあるが、そもそも相手を尊重する態度で議論できない人とは議論しても時間の無駄。」
それは、政治改革の方向を同じくする人たちの間での話、政治的に対立する相手に対してはあり得ない。そして、同じ方向の人々の間でも、異論が出たり、議論が激しくなるのを「余計なことは言わない」などと言っていては、およそ政治への取組はおぼつかなくなるでしょう。「余計なことは言わない」とこの人物が思うのなら、まさに今回ご紹介いただいたようなこの人物の議論こそが「余計なこと」なのです。
議論の後半の部分は、都政改革についての山本太郎「れいわ新選組」の政策評価の話になっていますが、これも私は財政論のところが決定的にダメだと申し上げています(山本太郎氏は、左派リフレ派の影響を強く受けていて、この財政論こそが宇都宮健児氏と違うところだと強調しているようです。愚かというほかありません)。そもそも全体として、都政政策の評価の議論にさえ、なりえないようなお粗末な内容です。
(1)山本太郎「れいわ新選組」は、国政においては、巨額の国債の日銀引き受けで財源を確保し、それを現金バラマキなどに使おうとしている(私はこれを取り下げるべきだと申し上げているし、こうした議論が出てきた源泉は左派リフレ派(例えば松尾匡立命館大学教授)の経済政策論にあるから、その人たちとは距離を取れ、と申し上げています)。山本太郎氏は、これをそのまま都政に援用して、都債の日銀引き受けだなどと言っている。お話にならない。都政についてもバラマキは決定的にダメ。むしろ都政だからこそ(財源制約が国政よりもきついから)ダメです。これについてはさんざん申し上げてきました。まともな反論など聞いたことがありません。
(2)そもそも山本太郎「れいわ新選組」は、都知事選への準備をちゃんとしていない。ダボハゼ立候補であること。だから地方自治制度や地方財政制度への知識の乏しさを感じるし、また、都区制度の欠陥などについても無知。都議会対策(来年の選挙を含む)も皆無でしょう。
今回展開されているこの(VTR)人物の都政改革(評価)論は、およそ検討にも値しない幼稚で乱暴な、にわかづくりの「似非政策論」で、まともには相手にはできないような代物です。「ドカーンと実弾をぶち込め」くらいの話で、何をトチ狂ってるの、そんなことでは「貧困の解消」すらできまへんわ、ということです。小池百合子氏の「東京大改革」と私は大差なしではないかと思います(しかし、山本太郎氏は都知事になったら本気で巨額バラマキをやろうとするでしょうから、小池百合子氏とは別の意味で困ったものだということになります)。
(3)地方巡回までして衆議院選に備えてきた、その蓄積がご破算になっている。東京中心主義=中央集権主義が発想の根底にある様子がうかがえる。そういう考え方を転換することこそ、山本太郎「れいわ新選組」の取るべき政治方針。経済的に恵まれた東京よりも、衰退していく地方を何とかしていくこと(「生きさせろ」(雨宮処凛氏)という意味)の方が重要であり、また、東京を変えるには国政を転換しないと、本当の意味で変えられない。今日的な状況下では、都政よりも国政の方がはるかに重要だと私は思っています。
この辺で止めておきましょう。
書けばいくらでも出てきます。
危機の時代に、選挙に立ち向かう場合は、勝つため、だということを肝に銘じるべきです。どっちでもいいけれど、もめごとがなくやってほしいですね、と思っている方は、その「お気楽気分」を少し転換した方がいい。危機の時代とは、時々刻々、社会や経済が政治主導で悪化していき、私たちの生存や生活が根底から危険にさらされていく時代です。上記のような(物事を相対化してしまって)「お気楽」なことを言っているという、そのココロは、危機感が欠如している、ということでしょう。選挙は勝つために死力を尽くせ、それも選挙の時だけではダメだ、そして、選挙戦で大将となる人は、その政治判断を文字通り適切にしなければ、選挙には勝てないし、世直しもできないし、危機的な日本も救えない、ということです。
(原発・核燃料サイクル施設の過酷事故再発が近いような気がします。政権交代をして原発・核燃料サイクル施設即時廃棄=使用済み核燃料プールおよび高レベル放射性廃液タンクの安全対策を緊急にやらないと、本当に危ない。しかし、それはホンモノの国政レベルでの政権交代がなければ実現しない、それをやるのが山本太郎「れいわ新選組」の歴史的使命だ、と申し上げてもいいでしょう。反貧困や、社会保障制度改革や、税制抜本改革なども、みなそうです)
従って、私は、いまでも、ではなく、これから、今回の山本太郎「れいわ新選組」の都知事選への愚挙としての立候補とその稚拙な取組について、その選挙結果いかんにかかわらず批判していくことになるでしょう。そのココロは、山本太郎「れいわ新選組」は、国政政権奪取へ向け、まっしぐらに走れ! 今日的な政治情勢下では、山本太郎氏以外に、この沈滞した政治情勢を突破して行ける人間は今のところ見当たらない、全エネルギーを国政政権交代へ注ぎ込め、それが圧倒的多数を山本太郎「れいわ新選組」への支援者・支持者として集めうる「最善・最適」の政治判断だ、ということです。
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(メールその1)
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今回の都知事選挙は、常識的にはほぼ敗北です。同じような改革を訴える2人が立候補して、自民党・公明党の保守連合に勝てる可能性は、過去を見る限り、皆無に近いでしょう。私は山本太郎氏が立候補を表明した時に、この選挙は負けだと思いました。もちろんハプニング当選もないではないでしょうが、仮に当選をしても、都議会の構成や東京都の政治勢力関係から見て、ほとんど身動きが取れないでしょう。もし、山本太郎氏か宇都宮健児氏の2人のどちらかが勝てば、早急に都議会選挙への取り組みを開始しなければなりません。私はその可能性はほぼゼロと見ていますので、この選挙については、両陣営とも、近々到来する衆議院選挙に「あとくされ」を残さないように、仲良く敗北していただきたいと願っています。
(関連:追記分)都知事選2020:小池氏、大幅リード 山本、小野、宇都宮3氏追う 毎日新聞情勢調査 - 毎日新聞
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20200628/ddm/041/010/050000c
私がこのMLでいろいろ書いてお送りしているのは、今回の都知事選をどうするか、という話ではありません。最初の頃は「山本太郎氏は可能ならば立候補を辞退していただきたい」と申し上げていましたが、それも基本的にはあり得ない話です。「あなたの都知事選立候補には、強いアゲンストの風が吹いていますよ」という意思を伝えたかったくらいの話です。愚かな立候補なのですよ、ということを悟っていただきたかったということです。
私が申し上げていたのは、今回の山本太郎氏の都知事選への立候補は、「オルタナティブな日本」を目指して政治の抜本改革を目指す総大将の人物として、その政治判断が決定的に間違っているということを、これでもか、これでもか、と申し上げているのです。そもそも、山本太郎氏自身にとってマイナスにしかならず、これまで苦労して積み上げてきた自身の政治資源の浪費に過ぎないからです。そして、代表の山本太郎氏をして立候補へと追いやった「れいわ新選組」の支持者・支援者には猛反省を求めたいと思っています。政治的判断がきちんとできる支持者・支援者ならば、山本太郎氏に立候補せよと激励するのではなく、来たる衆議院選挙へ向けて山のようになすべきことがあるのだから、都知事選挙などで道草を食わないでくれと、強く抑制することでなければいけません。それをまるで「選挙の時だけお祭り騒ぎ」のごときパフォーマンスで都知事選へ突入してしまっているのです。「どんな選挙もダボハゼ立候補」はダメです。
私は今回の山本太郎「れいわ新選組」の都知事選への取組を、敵対する批判者としてではなく、支持者・支援者として、厳しく批判するつもりでいます。それは、今展開されている都知事選挙の去就とは直接関係はありません。というのは、もう走り出してしまっているからです。しかし、その都知事選への立候補という愚かなる行為は消えていませんし、こんな行為を、まあまあ、などと言って容認していては、また同じようなことをやりそうだからです。
既に何通かの私のメールで、どこが間違いなのかの主旨はお伝えできていると思います。近々、それらをまとめないといけないと考えています。私はかならずしも「野党統一」を至上命題にはしませんが、しかし、今回の選挙に限って言えば、宇都宮健児氏と別々に立候補する理由などありません。
政治主導で危機の時代に突入した現代日本では、あらゆる選挙は勝たなければ意味がありません。頑張って奮闘したが、残念ながら及ばずだった、というのではだめなのです。そしていろいろな選挙での敗北を重ねれば重ねるほど、有権者からの信頼はしぼんでいきますから、ダメだったは強いマイナスダメージであるという認識も必要です。言い換えれば、どうしたら勝てるかを真剣に考えて行動しなければいけないということです。
私は賢明な山本太郎氏のことなので、そんなことは重々承知していて、実は山本太郎氏は衆院選へ向けて、今回の都知事選挙を自身と「れいわ新選組」のプレゼンス強化のために使ったのではないかとも疑っています。新型コロナPANDEMICの影響で得意の街宣活動が出来なくなっており、そこに「焦り」のようなものがあったのではないかということです。本人に聞いてみても否定するとは思いますが、そうした疑いをもたれること自体が山本太郎氏にとってはマイナスです。
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草々
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