山本太郎「れいわ新選組」の都知事選挙立候補は、政治的未熟による「愚挙」であり、また、それを促した「れいわ新選組」の支援者・応援者には大きな問題がある
前略,田中一郎です。
これまで2020年東京都知事選挙における山本太郎「れいわ新選組」の立候補について議論をし、近々実施される衆議院選挙や最高裁判事の国民審査にも言及して、下記の2つを私のブログに掲載していますが、本来は最初にこれからお送りする前段の議論をご紹介しておくべきでした。これらは、あるML上での議論で私から発信したものですが、時間的な制約もあって、みなさまにお送りする順序が逆になってしまい、少しわかりにくくなっていました。申し訳なく思っています。以下、補足させていただく意味でお送りしたいと思います。
繰り返しになりますが、私の下記の議論は、山本太郎氏や「れいわ新選組」に敵対し、やっつけるために書いているものではありません。その逆です。私はこれまで山本太郎氏の活動を、現在の日本における閉塞低迷する政治情勢を打ち破っていく唯一といっていいくらいの活力ある動きと評価し、非力ではありますが陰ながら支持し応援してきました。それは今も変わりません。だからこそ、今回の彼の都知事選立候補は残念でならないのです。何故なら、今回の同氏の立候補は、没落し「末法の世」と化していく日本の「世直し」パワーを弱体化させ、これまで山本太郎氏が苦労に苦労を重ねて積み上げてきた「政治資源」獲得の努力を減衰させるものであるからです。「世直し」総大将は、常に適切・的確な政治情勢分析と政治判断を持ち続けなければいけませんし、選挙に打って出る時は「必勝」を期して挑戦する必要があります。その意味で、今回の山本太郎氏の立候補は、彼にとっても「れいわ新選組」にとってもマイナスにしかならず、残念でならないのです。
更に申し上げれば、今回の山本太郎氏の立候補には、おそらくいくつかの思惑があり、その1つが、自分=つまり山本太郎氏を熱烈に支持・支援してくれている方々への「サービス」としての意味もあったように思われます。しかし、これは、真剣勝負の政治の世界、政治闘争や選挙の場合には致命的な失敗につながりかねません。そして、本来であれば、山本太郎氏の支持者・支援者は、今回の山本太郎氏の都知事選への立候補を「やめなさい」と抑止すべきところを、その逆に「デロデロ、イケイケ」とやってしまっているのです(立候補の賛否は半々だったそうです)。まさに時々の情勢や雰囲気に流された情緒的で政治的に未熟な反応と言わざるを得ません。かようなことをくり返せば、やがて山本太郎「れいわ新選組」は多くの有権者からの信頼を喪失し、その他大勢の中の1つとしての孤立した「仲良し集団」となっていくでしょう。
私は今日の立憲民主党現執行部を中心とする「野党統一」を最優先すべきであるとする「統一候補至上主義」者ではありません。時と場合によっては、立憲民主党他の野党とたもとを分かち、彼らとは異なる主義主張を訴えて選挙戦を闘うということもあり得ると思っています。しかし、今回の都知事選で言えば、そんなことをする必要などさらさらなくて、山本太郎氏は都知事選では宇都宮健児氏に自分の都政に期待するところを伝えて、それを極力彼の政策公約に反映してもらうよう努力するとともに、彼を全力で応援すればよかったのです。そして他方で、来たる衆議院選挙に向け、様々な尽力を続けていく中で、今度は逆に宇都宮健児氏とその仲間たちに山本太郎「れいわ新選組」への応援・支援を求めればよかったということです。
山本太郎「れいわ新選組」の主戦場は、「関ケ原の合戦」場は、都知事選ではなく国政選挙だからです。山本太郎「れいわ新選組」の歴史的使命は、東京都の改革などではなく、日本という国全体を大きく転換すること、とりわけ具体的に申し上げれば、真っ先に、国を亡ぼすかもしれない危険極まりない原発・核燃料サイクル施設の即時廃止と、使用済み核燃料ならびに高レベル放射性廃液の安全対策に早急に着手することだからです。
私は政治のことや選挙戦のことを、NHK大河ドラマなどで描かれている戦国大名のイクサの仕方に学べ、と申し上げています。そのアナロジーで申し上げれば、今回の山本太郎「れいわ新選組」の都知事選への立候補は、敵勢力への普段からの怒りや不満を爆発させ、何の準備もないままの向こう見ずで突出的・突発的なイクサの仕掛けであり、緒戦の小さな勝利にこだわって大局を見失う、愚かな負け組大将のやることだと言えるでしょう。かつて満州を侵略占領した大日本帝国軍が、更に熱河省から華北へ、更には華中・河南へと、ずるずると戦線を拡大しては小さな小競り合いに勝利して酔いしれるという、愚かなことをくり返していました。準備もなければ、勝利後の計画もない、補給路は長く伸びてその維持もままならず(従って現地での略奪・殺戮が一般化する)、ただ戦って小さく勝つことだけが目的の戦争です。それと似たようなことを山本太郎「れいわ新選組」は今回の都知事選でやってしまっているということです。
こういうことは二度としてはいけないし、また、支持者・支援者は、こうした動きを止めなければいけません。しかし、事態は今回は逆に動いたということです。そして愚かにもそれを理屈で合理化しようとする動きも強い。しかし、そんなことを認めたら、また同じような過ちを繰り返すことになるでしょう。昨日のメールにも書きましたが、自分の好き嫌いを先頭に建てて、それを後から合理化する理屈を考える・くっつける、こういうことはやめなければダメなのです。
以下、これまで私が議論の最初の段階で発信したメールをご紹介します。既にお送りした2つのブログ掲載のものと併せてご参考にしていただければ幸いです(一部加筆修正しています)。なお、下記の議論は、今現在進行中の都知事選の去就とは直接関係がありませんし、どの候補者に投票すべきなのかを論じるものでもありません。選挙期間中は各候補者がそれぞれで全力を尽くし、また有権者は立候補者の中で自分がBESTだと思う候補者を選んで投票すればいいということです。投票を棄権することだけはおやめいただきたいと思います。
(関連)(他のMLでの議論です)実際の政治、ないしは政権を目指す政治活動を、何か知的な研究活動か社会運動の1つ、あるいは趣味的なサークル活動であるかの如く誤解をしている「アマチャン議論」を少し叩いておきます- いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-de29a7.html
(関連)来たる衆議院選挙を巡る政治情勢と危ぶまれる日本の未来=自公の議席が変わらない中で維新がどこまで伸びるかという「最悪の展開」、立憲民主党を総大将とする「体たらく野党」の末法的情勢- いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-c96e8d.html
なお、山本太郎「れいわ新選組」の政策に関しましては、経済政策を中心に、来たる7/28の「新ちょぼゼミ」と、その次の8月下旬に予定している「ちょぼゼミ」で詳しく論じたいと思っています。とてもよくできた内容豊かな政策ですが、唯一点、左派リフレ派の影響を受けた巨額バラマキ政策という欠陥が含まれています。そしてそれが新型コロナPANDEMIC後の経済不況の深刻化に伴って、より膨れ上がってきているという困った問題があります。その辺のところも含めてコメントしたいと考えています。
*(予約必要)(7.28)オルタナティブな日本をめざして(第49回):「霞が関改革をどうする:日本の官僚組織」(前川喜平さん:新ちょぼゼミ)- いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-ed9e26.html
(メールその1)
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山本太郎「れいわ新選組」が今般の都知事選挙で宇都宮健児氏を応援し、返す刀で、来たる衆議院選挙での「日本政治の抜本改革」へ向けて、大きな力を発揮してくれることを期待します。
山本太郎「れいわ新選組」が、消費税減税を「市民と野党の共闘」の共通政策の柱の1つにすることに加え、税制の抜本改革と並行して、財源浪費のバラマキ政策をやめて、「必要な人に必要なだけ」の支援を行っていく、生存権保障(基本的人権)に基づいたソフィストケイトな政策を打ち出してくれることを願っています。その点でも宇都宮健児氏は、山本太郎「れいわ新選組」の最有力な協力者であると私は思います。
消費税減税について、旧民主民進系の各政党と「妥協」などする必要はありません。消費税に固執するのであれば、彼らもまた「歴史のゴミ箱」へ行っていただくしかないでしょう。消費税を改めず(奢侈品物品税へ移行せよ)、大企業・金持ち特別待遇の税制を抜本改革しないような政治が、私たちのための、有権者・国民の生活と生存を最優先する政治ではありえないからです。今回の都知事選挙と来たる衆議院選挙は「一体」として考えるべきです。
(参考)オルタナティブな日本を目指して(新ちょぼゼミ バックナンバー)- いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-cddae1.html
(経済政策については、このサイトの下の方に並べてあります)
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(メールその2)
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改めて詳しく論じたいと思っていますが、とりあえずということでお送りします。
山本太郎「れいわ新選組」の今回の都知事選挙への立候補については、まことに残念ですが支持できません。それどころか、今回の山本太郎氏の立候補判断について(多くの「やめたほうがいい」のアドバイスを無視して)、私はこれまでの山本太郎「れいわ新選組」への支持・応援を見直す時が来たのかなとも思い始めているところです。それは、山本太郎「れいわ新選組」よりも宇都宮健児氏を強く支持し応援しているからではありません。それは、山本太郎氏が、1つしかない自分の身を都政と国政にどう割り振って使うのか、しかも現段階での自身の政治力の限界をわきまえて、どう判断するのか、という、政治決戦の場合の基本中の基本の判断を間違えているからです。詳しくはメールを改めて論じたいと考えています。
昨日(6/14)、私のところに送られてきたあるメールには、次のように書かれていました。「今日はスペイン風邪でマックス・ウェーバーが亡くなって100年目の命日。ウェーバーは「政治とは、情熱と判断力の二つを同時に用い、堅い板に力をこめて、だんだんと穴をくりぬいていく作業である」と書いています。情熱と判断力を同時に用ることのできる政治家いでよ、です」。
これに準じて申し上げれば、情熱は人一倍大きくても、政治的「判断力」に乏しい人物は結局は闘いの勝者にはなれず、自分の熱き思いを胸に燃え上がらせながらも、いつまでも政権を取れぬままに消えていく、ということだろうと思っているのです。山本太郎氏を都知事選立候補へと追い立てたのは、私は「れいわ新選組」の少なからぬ支持者・支援者たちではなかったかとも思います。山本太郎「れいわ新選組」支持者・支援者は、もっと政治的に成熟していただかないと、いつまでたっても、この哀れなる日本社会を抜本転換することはできないのではないかと思われてなりません。
<ある方からいただいたメール>
(中略)彼が立候補の理由としている都財政運営問題、とくに地方債の発行問題についての、彼の認識は、少し浅い。
かつて、鈴木都知事の四期目、臨海副都心の建設を打ち出し、それこそ湯水のように財政支出をしすぎた結果、彼の最終年度の、起債残高は、13兆円におよび、都財政そのものを破たんさせたのでした。
(中略)いま「コロナ感染対策」で、国債発行を頼りにせざるを得ないという現実については、私はこれを、緊急措置として認める立場に立ってはいます。しかし、この国が行うべき対応に、地方を巻き込むことについては、一歩、二歩、私は距離をきちんと置くことが求められているという判断に立ちます。その区別が、山本太郎氏にはありません。
地方からの財政出動は、真に格差社会の拡大の中で、苦しむ人々を最優先にした、施策の展開に限るべきというのが私の考えです。そのために必要な起債の発行は必要でありますが、中央政府は、建設債の発行を認めてはいても、福祉、教育、医療関係にかかわる起債の発行は、ほとんど認めていないという現実があるのです。これでは結局は、真のコロナ感染対策とは、ならないでしょう。
これを無視して、まだ起債発行が、出来るのだからという理屈だけで、勝負しようとしているのでは、すぐに足下をすくわれてしまいます。したがって、山本氏の今回の立候補の理由とする起債問題に関しての理論的根拠は、きわめて薄弱なるものと言わざるを得ません。
<上記に対する私からの返信>
まさにおっしゃる通りです。国債発行や国家財政と、地方債発行や地方財政を、同じように考えることは決定的な誤りです。中央銀行制度についての理解も浅いようにも思えます。この辺のところが山本太郎「れいわ新選組」に十分に理解されていないように思えます。
*総務省|地方公共団体の財政の健全化|「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」とは
https://www.soumu.go.jp/iken/zaisei/kenzenka/index1.html
*総務省|地方公共団体の財政の健全化|健全化判断比率の算定
https://www.soumu.go.jp/iken/zaisei/kenzenka/index2.html
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(メールその3)
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これで都知事選敗北はほぼ確定ですので、どうするかをあまり論じても意味がないように思います。もし候補者を絞るというのなら、山本太郎氏が立候補辞退をするしかありませんが、それはおそらくあり得ない話です。ひょっとして、ひょっとして、山本太郎氏が、候補者乱立の中でかろうじて薄氷差で当選する可能性はないわけではありませんが、当選したところで、おそらく何もできないだろうと私は見ています。まずは都議会構成、そして、地方財政に関して理解ができていません。直接の支持者・支援者以外の協力政治勢力・党派も皆無に等しい。
*総務省|地方公共団体の財政の健全化|「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」とは
https://www.soumu.go.jp/iken/zaisei/kenzenka/index1.html
*総務省|地方公共団体の財政の健全化|健全化判断比率の算定
https://www.soumu.go.jp/iken/zaisei/kenzenka/index2.html
注目と注力の焦点を来たる衆議院選挙に向けた方がいいでしょう。お二人には元気よく気持ちよく選挙で論争してもらい、あとくされなく、ともに落選してただければ、それでいいのではないかと思います。
こうした事態を生んでいる最大の元凶は、「市民と野党の共闘」の総大将である立憲民主党=とりわけ枝野幸男・福山哲郎執行部とそのトリマキ幹部たちにあります。もっとずっとずっと早い段階で山本太郎「れいわ新選組」に働き掛けを行い、ちょうど今から20年ほど前に、彼らの多くが参加して行った似非政治改革の時の日本新党=細川護煕のように、山本太郎「れいわ新選組」の入閣を想定した上で、自公や維新に対抗する大きな政治勢力をつくり上げ、NEXTキャビネットを構成しながら全面的な打倒安倍政権の政治運動を築いていれば、かようなことにはなっていないのです。
私は、枝野幸男・福山哲郎の現在の立憲民主党執行部を「ラストチャンス」と申し上げています。今度の衆議院選挙でまた敗北し、少なくともアベ政権を退陣に追い込めなければ、私は立憲民主党批判を開始しようと考えているところです。いつまでたっても政権交代を獲得できない野党第1党など、ないのも同然ですから。きちんとした政治改革を実現できる、熱意と、判断力と、行動力・実践力を持った新しい野党勢力を一から築いていくしかないでしょう。
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(メールその4)
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なぜ、山本太郎氏は都知事選に立候補したのか?
私も今回の山本太郎氏の都知事選立候補は、マイナスにこそなれ、ほとんど得るものはないのではないかと思っています。これで、宇都宮健児氏と山本太郎氏の「共倒れ」は、常識的にはほぼ確定的ではないかと私は思っています。支持者は完ぺきにダブっています。
(ハプニングはあり得ますが、仮に当選しても、ほとんど何もできないでしょう。都議会でさんざんやられ、公約を実現できずに多くの都民をがっかりさせる結果になる可能性が高いと私は思っています)
大きな要因の一つは、山本太郎「れいわ新選組」の支持者・支援者の動きではなかったかと思います。佐賀の乱のときの江藤新平のようなことです。要するに、腕試しがしたくて、突出してしまった、
また、山本太郎本人の考えとしても、枝野幸男・福山哲郎執行部の立憲民主党を政治改革の総大将にはできない、という確信が固まり、それを実証して見せようと力んだ、くらいでしょうか。要するにフライング=時期尚早なのです。
もう一つは、山本太郎氏自身の「あせり」ではないかと思います。新型コロナPANDEMICで、街宣活動ができなくなり、他方で衆議院選がせまってくる、そんな中、山本太郎「れいわ新選組」のプレゼンスを上げる手段として、都知事選を使ったのではないかということです。もしそうなら、都民に対する重大な背信行為です。
それにしても、向こう見ずで非計画的な立候補です。世直し総大将として「失格」の判断であり、軽挙妄動に近いでしょう。
私はそもそも全国行脚をして地方でアベ政権の悪政に苦しむ人たちへの熱い思いのスピーチを行い、多くの人々の胸を打った、そのことが、今回の「東京優先行動」によって、マイナスに働くのではないかとも懸念しています。東京から日本を変える、などというのは、言い換えれば、中央集権的発想以外のなにものでもなく、また、細川護煕や小池百合子らが使ったインチキ・キャッチフレーズでもあります。
山本太郎「れいわ新選組」、特に山本太郎は、国政改革実現のために全身全霊をささげる必要があります。東京都知事などの寄り道をしている余裕などありません。やるべきことは山のようにあるはずです。
それと同時に、「れいわ新選組」という政党組織を、山本太郎の個人商店から脱皮させ、政権党としてやっていけるようにしないといけません。そのためには、人脈の拡大と、組織体質の転換が不可欠です。山本太郎「れいわ新選組」の支持者・支援者は、もっと政治的に成熟しなければいけないと私は考えています。
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(メールその5)
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山本太郎「れいわ新選組」の都知事選挙立候補は、政治的未熟による「愚挙」です
みなさまへ、
いずれまとめて書きたいと思っていますが、さしあたり、ちょっとだけ書いておきます。山本太郎「れいわ新選組」の熱烈なる支援者・応援者である私としては断腸の思いです。結論は、山本太郎「れいわ新選組」の都知事選挙立候補は、政治的未熟による「愚挙」だ、ということです。
一本化できなかったことは残念ですが、しかし、今回の「世直し勢力」の振る舞いの最大の問題は、山本太郎「れいわ新選組」が突然、知事選立候補という「愚かなる決断」をしたことに最大の問題があります。これから日本政治の抜本的改革に臨もうとする、その総大将格の人物が、かような軽挙妄動をしているようでは、とてもその巨大な目的を成就することはできないでしょう。大将として失格、といえます。
愚かさの最大の根拠は、野党共闘潰しにあるのではありません。この立候補で、何をしようと考えたのか、が問題です。
(1)当選すると考えた=15兆円もの都債を発行して、これを現金バラマキに使うようなことを言っています。国家財政と地方財政は法制度が全く違い、そんなことをすれば、さしたる政策効果がないままに財源の浪費・枯渇をうみ、やがて東京都は財政管理団体へと転落していくことになるでしょう。ともかく、急に都知事立候補を決めたから、何の都政改革ビジョンも用意されておらず、情緒的な「やったるぜ」式のダボハゼ立候補に過ぎないということです。私はこの山本太郎氏の行動の背景には、山本太郎「れいわ新選組」を支持・支援する人たちの「いけいけ、やれやれ」ムードがあったと思っていて、この支持者たちの政治的未熟が山本太郎氏をして、その政治的資源の浪費に向かわせていると見ています。明治維新直後の佐賀の乱における江藤新平と似たような振る舞いだと考えていいでしょう。要するにフライングです。
山本太郎さん、あなたの活躍する舞台は、都知事選挙のようなサブステージではなく、まもなく1年以内にやってくる次期衆議院選挙という国政選挙です。その時に、総大将のあなたが都知事に当選してしまっていて、どうやって闘えるのですか、よく考えてみてください。今は都知事選挙などで大騒ぎをしている時ではなく、次期衆院選での必勝へ向けて、ありとあらゆることを手を尽くしてやっている時です。「選挙の時だけお祭り騒ぎ」ならず「どんな選挙もダボハゼ立候補」では、いつまでたっても大志は実現しません。
(2)当選などしなくてもいい=新型コロナPANDEMICで得意の街宣活動が出来なくなってしまった。マスコミも新型コロナ関連の報道ばかりとなり、山本太郎「れいわ新選組」への注目度は愕然とするまでに落ちてしまった。このままで衆院選へ突入すれば危ない、ほとんど議席を得ることもなく、無名に近い候補者・政党として、その他大勢の中に流されてしまう。何とかするには、この辺で都知事選挙を利用して、自分たち山本太郎「れいわ新選組」の対有権者向けプレゼンスを高める必要がある。東京都知事選挙は首都決戦でもあり、衆院選の前哨戦とも言われているから、全国からも注目を集めるだろう。首都東京から日本を変える、これで行こう。落選しても、それはそれで得るものがある。
もしこういうスタンスなら、ずいぶんと都民をバカにした態度です。都知事選挙などは、自分たちの国政選挙での躍進を得るための手段であって、都政のことは本音ではどうでもいい、自分が立候補して、自分と同じような政策・公約を主張している宇都宮健児氏と得票を奪い合って共倒れしても、自分の本音の目的(プレゼンス強化)はある程度達成できるのだから、それはそれで構わない。結果として小池タヌキ都政が続くかもしれないが、それは自分の知ったことではない。都民が選んだのだから仕方ないだろう。まあ、簡単に言えばこういうことです。どうみても本気で都政改革を目指し、用意周到に準備をしてきたとはとても思えません。むしろ用意周到に準備をしてきたのは宇都宮健児氏の方です。
何のために、多大な経費と労力を使い、全国行脚をして、地方でアベ政治に苦しむ方々への、熱いアピールを繰り返してきたのかということもあります。東京から日本を変える、などというのは、細川護煕氏や小池百合子現都知事なども使っていたインチキ・キャンペーンであり、ある種の中央集権的発想を合理化するお飾り言葉でしかありません。山本太郎氏の言葉をまっすぐに受け止めて、熱い思いを胸に、今度の選挙では山本太郎「れいわ新選組」に一票を託してみよう、そして山本太郎氏が国会へ戻って大活躍してくれることを、ひそかに願っていた地方の人々に対する、今回の知事選立候補は一種の背信行為だと、私などは思ってしまいます。極論をすれば、経済的に恵まれた東京都などよりも、疲弊する地方の再生・復興の方がずっとずっと重要です。それを途中で投げ出して都知事選に立候補するなど、少なからぬ地方の有権者は、期待をしていただけにその反動の怒りも大きいものがあるのではないかと、私は懸念するのです。
野党の統一候補への誘いに対して、拒絶した理由もいい加減です。①消費税5%への引き下げに合意しろ=東京都政の問題ではない、②統一候補にする際に、山本太郎は「れいわ新選組」の候補として支持し応援せよ=非常識(事実上の拒絶)、拒絶の仕方がこれでは、あとくされが残ります。戦国大名のイクサも、現代社会の選挙も、基本的には同じ原理で動いていて、基本は「多数派工作」の巧拙が勝負の決め手となります(もちろんその土台には、有権者・国民の心をつかみ、心底の納得感が得られるような政策や政治的対応などの訴えをしてきているか、というところが最重要で、山本太郎「れいわ新選組」については、そのバラマキ政策を除けば、この部分はほぼ問題ありません。ここは戦国大名のイクサとは違う点。が、しかし、そのバラマキ政策の誤りは致命的です。早く左派リフレ派とは距離をとれ、と私が申し上げているゆえんです。このバラマキ指向は政権に近づけば「命取り」になります)。それなのに、自分から多数派工作をぶち壊すようなことをしていてどうするのかという話です。いかなる成功した改革勢力も最初は少数派です。その少数派が政権を獲得していくには、多くの協力者・賛同者・共闘勢力と一緒に進んでいくしかないのです。
私は、野党統一を至上主義にすべきとは思っていません。具体的に言えば、今期に及んで消費税5%引き下げを決断できないような立憲民主党の現執行部とは行動を共にしないという判断は、私は尊重します。山本太郎「れいわ新選組」がそう思うなら、それはそれで立憲民主党とは離れて闘えばいい。しかしそれでも、立憲民主党の中には減税賛成の人間もいるし、共産・社民・新社あたりはむしろ歓迎なのではないでしょうか。多数派工作は最後の最後まで死力を尽くしてやるべきだということです。それがイクサに勝つための鉄則です。しかしいずれにしても、それは来たる衆議院選挙の時にやればいい。東京都知事選挙でダボハゼ立候補をしてまでやるべきことではありません。
昨日は、立憲民主党の若い議員が、消費税減税を訴えて立憲民主党を離党しています。この若者も政治的におバカである。その決断は少しばかり早い。衆院選直前にやればGOODだった=高く評価されたのですが、今飛び出せば、この人は少し冷静な判断力がないのではないかと思われるだけでしょう。自分を安売りしてはいけないのです。
まだまだ申し上げたいことがありますが、さしあたりということで書きました。今回の山本太郎「れいわ新選組」の愚かなる東京都知事選立候補により、常識的には都知事選は選挙敗北だと私は見ています(もちろんハプニング当選もありますが、当選しても都議会のことを考えれば、当分の間、まともなことはできないでしょうし、今回の選挙で「しこり」ができてしまい、政敵が増大して身動きがとりにくくなると私は見ています=そして衆議院選挙は総大将を失ってアウトです)。そして、来たる衆議院選挙においても、きちんとした「アルタナティブ勢力」が築けないまま、世直し勢力が選挙では地滑り的な敗北を喫し、憲法改悪どころか、とんでもない政治状況が生れてくるのではないかと危惧しているのです。
みなさまには、絶対に西軍が勝つ、と軍事評論家が評価した関ケ原の合戦において、なにゆえに東軍が圧勝したのかをよくお考えいただきたいと思います。選挙も、戦国大名たちのイクサも、その性格は基本的に同じです(ベースにある有権者・国民の納得と合意の部分が決定的に違いますが)。まさに政治力の大きさが、ことの勝敗を決めるのです。その場その場の緒戦で小さな勝利を喜ぶ「選挙の時だけお祭り騒ぎ」や「どんな選挙もダボハゼ立候補」では、勝てるものも勝てなくなってしまうのです。
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(メールその6)
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「反安倍体制で大同団結を」とのご意見に対して
力を合わせて政治を変えましょうという願いは同じです。おっしゃる通り、選挙という「イクサ」寸前になった時は「小異を残して大同につく」「反安倍体制で大同団結を」でしょう。この主張は都知事選の後=すなわち来たる衆院選時にお願いします。既に主戦場は衆院選と最高裁国民審査に移っています。「オルタナティブ勢力」は都知事選と衆院選を一体として闘うことに失敗をしました。しかし、その失敗を都知事選後まで引きづっては絶対にいけない。
一刻も早く、衆議院選挙をアベ政権打倒・自公政治の抜本転換へ向けて闘う態勢をつくること、これが最重要です。また、最高裁判事の国民審査で、その候補全員に「×××××」を付ける運動も同時並行です。キャッチフレーズは「ふざけるな司法、出鱈目判決ヤメロ裁判所」です。
(それにしても、現代の「イクサ」=選挙は数年ごとに必ず来るのですから、日常的に「オルタナティブな日本」をつくる主体形成を、もっとしっかりやりませんか? やれませんか? 選挙直前になって「多数派工作」に没頭するような市民運動・社会運動や政治運動では、世の中は変えられません(「負け組選挙互助会」とからかわれています)。ましてや今は危機の時代に突入しています。ほっとけば政治主導でどんどん悪くなります。「政治的カマトト主義」「選挙の時だけお祭り騒ぎ」「どんな選挙もダボハゼ立候補」「選挙が終わればお任せ民主主義」、これらはみんなダメです。また、ワンイシュー型の従来型市民運動・社会運動では、いわゆる「もぐらタタキ」となり、私たちの体と時間はいくらあっても足りなくなります。民意は違うぞ、などと、あのゴロツキ・タカリの政治家どもに叫んでみたところで、無視されるのだということは、既に経験済みです。ならば、政治家どもをごそっと変える算段をしなければ、ことは解決しないのです)。
また、都政の転換を求めて動く運動は、都知事だけでなく、都議会も抜本的に変えることを目指さないと、その目的は達せられません。首長選挙だけではダメだということです。首長だけを代えて、あとはよろしくの「選挙が終わればお任せ民主主義」で苦労した知事は少なくありません。長野県知事だった田中康夫氏、滋賀県知事だった嘉田由紀子氏らです。有権者は政治の転換に立ち上がってくれた人を、当選前も当選後も大切にする必要があります。
それと、私は山本太郎氏や「れいわ新選組」が憎くて批判をしているのではありません。その逆です。支持者・支援者だからこそ、自分たち(山本太郎「れいわ新選組」)にとっても日本社会にとってもマイナスにしかならない愚かなことはやめて、まっすぐに国政改革に尽力せよ、ということを申し上げているのです。
山本太郎「れいわ新選組」へ申し上げたいこと
(1)山本太郎の主戦場は衆議院選挙・参議院選挙であって、都知事選挙などで道草を食うな。道草を食う馬は駄馬である。
(2)自分の味方をしてくれる人や勢力とは貪欲につながりを持ち大切にせよ、多数派工作は最後まで死力を尽くせ
(3)一過性のバラマキ政策を取り下げ「必要な人に必要なだけ」政策の制度化を計れ、バラマキ・国債日銀引受の左派リフレ派とは距離を取れ
(4)「東京から日本を変える」「都知事は総理大臣に次ぐ重責」などの言辞は、東京中心主義=中央集権体制の追認だ。細川護煕や小池百合子も使ったような、ご都合主義的な宣伝文句を使うな。そんな日本社会こそを変えることが課題だ。極論すれば、経済的に恵まれている東京よりも、疲弊し貧困化し衰退化が深刻化していく地方の方がずっとずっと重要だ。
(5)今週号の『週刊朝日』掲載の山本太郎インタビュー記事には「15兆円の東京都債を日銀に引受させて財源を調達する」などと書かれていた。地方債の仕組みへの無知や、そもそも東京中心主義的発想が垣間見える。何の準備もなく「ダボハゼ立候補」をするから、こういう愚かな発言が出てくるのだ。
すみません、長くなって、それともう一つ、「ふざけるな司法、出鱈目判決ヤメロ裁判所」ですが、直近では次の3つの出鱈目判決が出ています。本当に許せんなという感じです。
(1)再発B型肝炎2陣敗訴 除斥起算点は「初発時」福岡地裁判決(西日本新聞)Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/0dd1be8f622786cd6c876dfb417f1a1b6caaa56e
(2)橋下氏批判の「リツイート」は名誉毀損 二審も判決支持(朝日新聞デジタル)Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/4e1f8b850b97502b51e364a221cab28144384fbf
(3)生活保護引き下げ「厚労相の裁量」認める 名古屋地裁判決 原告の請求棄却(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/b540b0f2e0f01a921e7347f39bcd2ca2bffa07b7
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(メールその7)
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*都知事選の分裂選挙の責任について
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=3055479851237524&id=100003266175529
拝読しました。結論から言えば、「分裂選挙」になったことの「責任」について論じれば、上記のようなことになるのだろうと思いますが、しかし、今回の都知事選挙における「オルタナティブ勢力」の問題は、そこにポイントがあるのではありません。これが都知事選挙ではなく、国政選挙=来たる衆議院選挙での山本太郎「れいわ新選組」の振る舞いであったならば、私は、山本太郎氏が「「れいわ新選組」候補のまま応援しろ」といった点はさておいて、熱烈に彼らを応援したでしょう。すなわち消費税減税に合意しないのであれば共闘はしない、という山本太郎「れいわ新選組」の方針は尊重されてしかるべきだし、私もそうすればいいと思っているからです。日本の政治を抜本的に変えたい、ホンモノの「世直し」を実現する、といった時に、その志を持った人は「妥協しない合理的な大黒柱方針」があるのは当然であり、有権者はそれを真摯に評価すればいいと思うからです。
核心はそこではありません。今回の都知事選問題の核心は次の2つです。
(1)分裂選挙になったことよりも、都知事選に「ダボハゼ」立候補をした山本太郎氏や、それを促した「れいわ新選組」の支援者・応援者に大問題がある。市民運動・社会運動の政治運動への取組の欠陥でもある「選挙の時だけお祭り騒ぎ」が、今回は「どんな選挙もダボハゼ立候補」として現れたという点です。選挙至上主義、ないしは「政権準備なしチャレンジ」と言い換えてもいいと思います。
(2)「市民と野党の共闘」の総大将である立憲民主党、とりわけ現枝野幸男・福山哲郎とそのトリマキ幹部たち「現執行部」に大きな政治的責任があること。その責任とは、野党第一党として、「市民と野党の共闘」の総大将として、国政についても、都政についても、いつまでたっても政権交代の道筋や政権構想さえも示すことができず、従ってまた、選挙闘争体制も組めず、候補者も決められず、アベ政権打倒・小池都政打倒の幅広い国民運動や都民運動さえ組織できていないこの体たらく、ここに最大の問題=責任があるのです。アベ政権・小池都政打倒のスキームがもっとずっと早い段階でできていたら、かようなことにはなっていません。
(参考)小池氏大きくリード 情勢調査、コロナ対策評価6割 -日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60612490R20C20A6PE8000/
(参考)都知事選 小池氏が安定、宇都宮・山本・小野民ら苦戦(朝日 2020.6.29)
https://www.asahi.com/articles/DA3S14529560.html
(参考)小池氏、大幅リード 山本、小野、宇都宮3氏追う 毎日新聞情勢調査(毎日 2020.6.28)
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20200628/ddm/041/010/050000c
上記は昨今の各紙に掲載された記事です。私の予想通りの、というよりも、常識的な予想通りの展開となっているようです。私は山本太郎氏が都知事選挙に「ダボハゼ」立候補で飛び出た瞬間に、この都知事選挙は負けだと思いました。もちろん、山本太郎氏のハプニング当選はあり得ますが、しかしハプニング当選してみても、おそらく当分の間は都知事として身動きが取れないでしょうし(都議会などがその理由)、また、来たる衆議院選挙は大将を失って敗走することになると思います。
もはや主戦場は、都知事選挙ではなく、近々行われる衆議院選挙と、最高裁判事の国民審査に移っています。そして、いまのままいくと、いわゆる「異議申し立て勢力」や「オルタナティブ勢力」「リベラル勢力」が歴史的な大敗北となり、憲法改悪どころか、とんでもない情勢が現れてくる危険性があります。このままでは危ない!
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草々