(他のMLでの議論です:この加藤出さんの議論は正論です)日銀の資産規模がGDPに迫る異常な膨張、海外からは「無謀」の声
前略,田中一郎です。
(他のMLでの議論です)
(最初に)
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●(別添PDFファイル)自公が推す佐喜眞淳氏、保育園児が教育勅語暗唱した大会で熱弁(西山隆明『週刊金曜日 2018.8.31』)
「sakima_okinawa_kinn.pdf」をダウンロード
http://www.kinyobi.co.jp/tokushu/002634.php
(『週刊金曜日』の今週号の記事です。今週の『週刊金曜日』は必読記事がたくさん掲載されています(他に東電幹部3人の福島原発事故刑事裁判に関する記事など)。9月に沖縄県知事選挙がありますが、沖縄県民が何ゆえにかような人物をこれまで県議や市長に就任させ、また、今回の県知事選挙に立候補させているのか、私には全く理解ができません。73年前の沖縄戦のことを忘れてしまった県民・知ろうともしない県民が多数になってしまったということなのでしょうか?
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下記で紹介されている加藤出(いずる)さんの議論は正論です。(中略)
ところで、その加藤さんの議論のことですが、日銀による国債引受が経済政策として「禁じ手」であることはこれまでも申し上げてきましたから、それはちょっと後回しにして、私が加藤出さんの議論で注目をしたのは、「なぜ日銀はインフレ率2%を目指すのか」という質問を頻繁に受けている。不思議に感じている国民は多いといえる。カナダでは5年ごとに望ましいインフレ目標に関する議論が行われている。今の超金融緩和策の副作用も多々心配されているだけに、日本でもインフレ目標の在り方をあらためて議論するべきではないだろうか。」のくだりです。全くその通り、そもそもインフレターゲット論などというマネタリズムのデキソコナイのようなものを、未だに日本の金融論者や経済学界が「信奉」していることが情けないというほかありません。
私は「インフレターゲット論」を、少年漫画によくある「根性もの」のような幼稚な情緒に基づく陳腐な屁理屈とみています。だってそうでしょう。中央銀行が、気合を入れて「目標とするインフレ率を○○%だ」と大声で宣言し、それを記者会見などで態度に現していけば、おのずとインフレ率はその目標の通りになっていく、というのですから、アホかいな、の世界です。過去を振り返ってみればわかりますが、およそ日銀なり中央銀行なりが目標とする物価上昇率=インフレ率を、思いのままに制御できたことなど一度もなく、逆にインフレ率に振り回されていた、それこそ「根性なし」の腰抜け集合体だったのですから。
バブル期に至る1970~1980年代で申し上げれば、(1)スタグフレーション(不況下のクリーピング・インフレ)という経済現象を解明できず、従ってまた、適切な対応もできないまま終わってしまった(私は寡占資本による経済支配=価格支配が原因ではないかと思っています)、(2)資産インフレという経済病理を見抜けずにバブル経済を発生させ、そして破裂させてしまった、の2点を見ても、この「インフレターゲット論」などは、愚にもつかぬ謬論であると見ています。
誤解のないように申し上げますが、日銀をはじめ中央銀行が「物価上昇の目標」や「金融市場・為替市場」の安定、あるいは「国民経済の安定」を目指して金融政策を展開すること自体は問題ではありません。問題なのは、それを「国民経済の状態を決められるのは金融政策だけであって、税財政政策は無効・有害無益、マネーの動向だけをしっかりと押さえていけば、他のことはしなくていい、マネー動向については断固たる態度で立ち向かえ」といった感じの、現代版マネタリズム(それに、やりたい放題の規制緩和や減税(納税義務からの解放・社会政策の否定など)、私物化ということの言い換えである民営化・民間活力の解放などを柱とする、いわゆる構造改革路線を提唱するサプライサイド・エコノミクス、がたいていの場合にくっついて、いわゆる市場原理主義というご都合主義を形成している)です。日本における現代経済学の大半は、このボケた理論の「蜘蛛の巣城」になっています。
ですので、日銀や各国中央銀行は、文字通り、物価の安定=つまり、物価上昇率が0%近辺で安定することを目標とすればいいと、私は思っています。その場合、気を付けなければいけないのは、物価といっても、消費財物価と、卸売物価ないしは企業間取引物価(原料や中間財など)、そして資産価格があるということです。経済学者や評論家の話を聞いていると、どうもインフレ率というのは消費財物価のことを言っているような感じがしますし、後者の2つについては、まったく自由に、投機や博打の対象になっても構わない=むしろ自由奔放であることが善であるかのような議論のような気がしていますが、はたしてそんな荒っぽい議論でいいのかどうかも問題です。さしあたり私は、消費財物価のインフレ率は、プラスマイナス0%近辺で安定しているのがいい、と思っています。2%のインフレ目標など、いらないということです(何故なら、2%にとどまる保障はないからです)。また、企業間物価や資産価格については、別途よく考える必要があります。
それから、後回しにした日銀の国債引き受けの件ですが、補足的に次のことも申し上げておきましょう。
(1)日銀の間接的大量国債引受(買い付け)はクソの役にも立っていないし、むしろ弊害の方が大きい。また、マイナス金利は実体経済にマイナスであり直ちにやめるべき。日銀が金融機関を通じて買い上げている国債は、金融機関から見たら、国債に代わって日銀預け金が増えるだけの話、それを原資にする貸し出しが増えないのだから、そんなカネをもらっても役に立たないから、日銀にブタ積みしておくだけ。収支面から言えば、その日銀預け金への付利金利が国債よりも大きければ収支にプラスになるだけ、そして、手元の流動性が高まるので、銀行の流動性リスクは低下する(自己資本負担は減る)ということ。私は銀行の日銀への預け金(但し預金準備として義務付けられた金額を超える分について)に金利を付けるのをやめろ(マイナス金利も含めて)=ゼロ金利にせよ、と主張しています(大銀行への事実上の補助金だから)。ともあれ、黒田バズーガの「異次元緩和」を今後も続けるということは、日銀保有国債とブタ積み日銀預け金が両建てで増えていくだけで、日銀にリスクが蓄積するだけ=実体経済には何のプラスもない、あるとすればマイナスだけ、という今の状態が長期化するだけです。
(2)日銀の間接的国債大量引受(買い付け)が常態化し、市中金融機関はその日銀買い付けを前提にして国債に投資をするようになってしまいました。金利もゼロ金利からマイナス金利へと突っ込んで、金融市場は完璧に機能停止状態、日銀も含めて、金融は日本資本主義から「サヨウナラ」状態にあります。しかし、それでも、この日銀の国債大量買い付けは、日銀による国債の直接引き受けよりはずっと「まとも」です。何故なら、少なくとも最初の1回は、市場による国債の消化=市中金融機関などによる国債引き受け(プライマリー市場)があるからです。ここが、今となってはほとんど形骸化してはいますが、しかし、国債引受のフィルターとして機能します。これが日銀の直接引き受けとなれば、日銀は政府にとってのまったくの「振出の小槌」となり、無尽蔵に際限なく、モラルもなく、貨幣を発行することが可能となります。これは何度も申し上げてきたように、日本経済大パニックの「時限爆弾」を抱えることになり、やってはいけない「禁じ手」なのです。
(3)もう一つのご法度は、中央銀行や公的年金基金(元金毀損が許されないカネ)が株式や外債などのリスク資産を大量に買い付けること。これも致命的によろしくないことです。日銀と公的年金がカジノに手を出したようなものです。
(4)さて、それで、どこで来るかはわかりませんが、こんな調子でアベノミクスのアホノミクスを、よせばいいのに続けて行った場合、あるいは、国債の日銀引き受けを行って「振出の小槌」による「大宴会経済」を政策的に膨張させた場合、どういう形で日本経済にパニックが来るか、簡単な予想シナリオを書いておきましょう。実際どうなるのかは、そうなってみないとわかりませんが、下記のようなことはありうると私は考えています。
リーマンショック型の国際金融パニックや原発・核燃料サイクル施設の再びの過酷事故、日本が攻撃される極東地域での戦争勃発など
↓
株価暴落、日銀および公的年金基金に巨額の損失発生(回復不可能)、民間金融機関も軒並み資産が劣化、つづいて円安、これが止まらない
⇒ 輸入物価の上昇(とりわけ食料(低自給率)や衣料などの生活関連物資の価格急上昇)⇒ 日本政府への不信 (金現物価格は急上昇=但し、金証券はだめ)
↓
日銀信用の崩壊、長期金利の急上昇(日銀による国債の大量引受が困難化)⇒
財政支出のうち国債費が上昇して予算が組めなくなる、信用不安から現金の日銀からの大量流出 ⇒ やがてインフレによりそれが紙くず化
↓
日本政府の信用失墜、株・債券・土地などの実物資産のトリプル安に加えて、底なしの円安、スタグフレーション出現 ⇒ 食料入手困難 ⇒ 社会パニックへ
(5)日銀や公的年金による株などのリスク資産購入はやめて、少しずつ処分する、日銀による国債の間接引受は無意味なのでやめる、金利はマイナスやゼロをやめて低金利状態へ、為替市場における投機対策は別途検討、そして、日銀を政府の財政資金のファイナンス手段として使わない、などが取組べき事項
当面数年間は、財政再建主義や財政均衡主義(いわゆる緊縮政策)をとるわけにはいかないので、赤字国債の発行は続くことになる。しかし、他方では、日本の歪み切った税制を抜本的に改革し、あるのに有効に使われていないカネ・特権的で理不尽な形で納税回避されているカネ、などをまとめて徴税して、適切な支出の財政資金に充当していくべき(つまり、最も肝心なことは、税制をどう転換するのか、ということと、財政支出の中身をどう変えるのか、ということの2点)。赤字国債については、引き続き「長期に巨額のまま放置するのはよろしくない」という認識は持ち続け、景気回復と税収増を待って減らす努力もする、赤字国債以外に景気の腰を折らないような有効な財政ファイナンス手段があればそちらを優先する、などの基本原則は貫いていくべきです。ただし、財政均衡・財政赤字縮小を最高目標にはしないこと、財政は目標ではなくて、あくまで手段、最高位の目標は国民生活=これは最も重要。
金融政策は、黒田バズーガの異次元緩和をやめて、適度な金融緩和・低金利状態になったら、その後は、物価や金融市場などに異変が起きない限り、さしあたり寝てていい。
(参考))「債券市場参加者会合」第7回議事要旨(日本銀行金融市場局 2018,6,21)
https://www.boj.or.jp/paym/bond/mbond1806.pdf
(こんなものにダマされてはいけません、愚にもつかないことが書かれています)
以上です。
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2018年8月30日 加藤 出 :東短リサーチ代表取締役社長
https://diamond.jp/articles/-/178342
日銀の資産規模がGDPに迫る異常な膨張、海外からは「無謀」の声日本銀行の資産はどこまで膨らんでいくのか、日銀の関係者は総裁も含めて誰も予見できていない。「日本銀行は世界の他の中央銀行を上回る金融緩和策を行っている。これを勇敢というよりも無謀だと見なしている人は正しい」。国際決済銀行(BIS)の元チーフエコノミスト、ビル・ホワイト氏は4年近く前の2014年11月、すでにそのように述べていた。
日銀の資産規模が日本の名目国内総生産(GDP)を抜いたと最近報じられた。8月10日時点の日銀資産は548.9兆円。対する名目GDPは17年度(今年3月まで)で548.6兆円、今年4~6月期の年率換算では551.2兆円だ。よって「日銀資産が名目GDPを抜きつつある」という表現が、より正確かとは思われる。
とはいえ、日銀資産が異常な膨張を示していることは間違いない。名目GDPに対する日銀資産の比率は、リーマンショック前の07年で13%、白川方明前総裁時代の終盤で33%だった。その後、13年4月から黒田東彦現総裁の下で、インフレ目標を目指して日銀は、市場から国債や上場投資信託(ETF)などを大量に買い取り始めた。その結果、同比率は100%に達するまでになった。
米国の場合、この4~6月期の名目GDP(年率換算)に対する現在の米連邦準備制度理事会(FRB)資産の比率は21%だ。最も膨張していたジャネット・イエレン前議長時代でも26%程度である。
戦時中と比較するために日本の名目国民総生産(GNP)に対する日銀資産の比率を見てみると、膨大な軍事費を日銀マネーが支えていた終戦間際の1945年3月でも40%台前半だった。一方、現在の同比率は約96%だ。戦争を行っているわけでもないのに、今の日銀資産は異様な姿になっている。
(中略)
最近、筆者は講演会場で、「なぜ日銀はインフレ率2%を目指すのか」という質問を頻繁に受けている。不思議に感じている国民は多いといえる。カナダでは5年ごとに望ましいインフレ目標に関する議論が行われている。今の超金融緩和策の副作用も多々心配されているだけに、日本でもインフレ目標の在り方をあらためて議論するべきではないだろうか。
(東短リサーチ代表取締役社長 加藤 出)
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