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2018年5月 4日 (金)

京都大学当局のタテカン(立て看板)撤去通告・話し合い拒否は大学における学問・言論・活動の自由を侵害する大学自治否定の典型だ

前略,田中一郎です。

(別添PDFファイルは添付できませんでした)

 

以前にも申し上げたように、古都・京都の景観を本気で守るというのなら、まず真っ先に、あの古都京都の景観をその玄関口で破壊しているJR京都駅を撤去せよということだ。また、下記のような、明らかな景観破壊の巨大マンション建設も一切許可せず、京都市内でのマンションはすべて4階建て以内で、建蔽率も余裕を持ったものにさせる、近隣の街並みと調和をとれたものにする、ことに全力を挙げればいい。また、京都市内へのマイカーの侵入も規制し、歩行者天国を増やし、道路のコンクリートも一部はがすことも検討されていい。しかし、京都市当局が、古都京都の景観を守るために必死の努力をしているという印象は、私が京都を訪れたときの景観から鑑みて、極めて薄い。それに京都市は、古都・京都を丸ごと破壊してしまう若狭湾の原発にたいして、どれだけ熱心に反対をしているのか。

 

●下鴨神社:マンション建設問題 倉庫建設 規模縮小し許可申請 住民へ説明なく 京都 毎日新聞

 https://mainichi.jp/articles/20161110/ddl/k26/040/483000c

 

にもかかわらず、自由活発な気風と伝統文化そのものである京都大学の立て看板(タテカン)の撤去などに固執しているのは、景観問題などとは無関係の大学内での言論・表現や諸活動を大学当局が京都市や文部科学省になり代わりて管理・統制しようとしているだけの話。学生側からの話し合い要請に対しても、一切の拒否をしている大学当局の姿勢は、景観問題ではなく、狙いが他にあることをいみじくも露呈している。民主主義と自治は京都大学の門前で立ちすくんでいるのだ。首尾一貫しない、ご都合主義的な京都市当局や市長・市議会の議員どもの態度は、景観を口実にさまざまな学生の活動や市民運動・社会運動にちょっかいを出すことにこそ熱心だと言わざるを得ない。そしてそのお先棒を担いでいるのが山極寿一学長以下の京都大学当局である。

 

この京都大学の山極寿一とかいう学長だが、先般は京都大学の軍事研究を禁止する方向で検討をする態度を示したり、日本学術会議の会長として、同じく軍事研究反対の姿勢を貫くとしたので、なかなか骨のあるやつだと思っていたが、しかし、この学長の正体もまた、他の諸大学の管理当局や支配者どもと大差のない人物だということが、今回のこの京大タテカン問題でわかってしまったということか。山極寿一が自由なタテカンはダメだというのなら、その主旨とするところをとことん学生たちと話し合い語り合うことが、大学人として、教員の代表として、大学自治を守るものとして、最低限のモラルではないか。それができぬような人間に、政府や自民党・維新などの似非右翼勢力に対抗して軍学共同反対の意志を貫くことなどできるはずもない。

 

●東京新聞 京大「軍事研究せず」方針発表、他大学へ影響も 社会(TOKYO Web)

 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201803/CK2018032902000128.html

 

今日の大学は救い難いまでに腐っている。これはかねがね私が申し上げてきたことだ。タテカンが諸大学から消えていくとともに、大学当局が腐っていき大学運営が統制的で抑圧的なものとなり、この2つは同時並行して進んでいった。そんな中で京都大学は違うだろう、京都では大学の自治が生きていて、大学の腐敗・堕落に抗する教員や学生の活力はまだ健在に違いない、そう思っていたのが裏切られたような気がして、怒りがこみあげてくる。今や、東大、早稲田大、日大などでは、大学内でチラシを配ったり政治活動・社会運動をしようものなら、ガードマンが血相を変えて飛んできて、大学の外へ当事者を追い払うことが日常化している。従わないなら警察を呼び、住居不法侵入で逮捕だ、などと恫喝もする。しかし、自由と活力、自治と議論がないような大学が、学問・研究を極めることなどできはしない。大学は学問の府などではなく、日本資本主義の先兵養成機関だなどと批判して多くの学生・教員が反乱を起こした196869年の大学紛争が提起していた問題は今もまだ解決を見ていない。私はこのタテカン問題を契機に大学の在り方を巡る議論が再び盛り上がることを期待したい。

 

日本の大学は今こそ解体されるべきである。大学当局に巣食う大学自治と学問・言論・表現の自由を侵す管理者どもを大学から追い払え。京都大学の全学生・教職員はタテカン継続をめぐる大学当局との断交をかかげ、全学無期限ストライキに突入せよ。文字通りの大学の自治と学問の自由、学生生活や学内活動の自由や、若い活力を生かせる大学環境の確保が問われている。タテカンなんて小さな問題だ、などと思うのは、如何にもセンスが悪い。神は細部に宿り給うのだ。問われているのは古都・京都の景観ではなく、大学内での学問・言論・表現・活動の自由であり、大学のボトムアップの活力であり、大学自治そのものである。

 

(関連:注目)(別添PDFファイル)京大名物のタテカン消える、大学側 撤去通告、学生側 話し合い要求(東京 2018.5.3

 http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2018050302000161.html

 

(関連)京大、タテカン撤去求め通告書 学生と激しくもみ合い:朝日新聞デジタル

 https://www.asahi.com/articles/ASL4Z6GRLL4ZPLZB00P.html?iref=com_footer

(関連)京大名物「タテカン」撤去へ 学生反発も大学側は応ぜず

 https://www.huffingtonpost.jp/2018/04/28/tatekan-kyoto-university_a_23422818/

(関連)タテカンだめなら「垂れ幕」で 京大生らが対抗策:朝日新聞デジタル

 https://www.asahi.com/articles/ASL514STFL51PLZB010.html

 

(一部抜粋)

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(中略)会に参加する文学部の男子学生は「安全や景観に配慮した上でタテカン文化を守る妥結点を探りたいが、大学は一切応じない」と憤る。00年に入学した人間・環境学研究科の博士課程の田所大輔さん(三七)は「今回の強権発動のような大学の対応は、過去に例がない」と驚く。

 

(中略)学生だけでなく、教員も蚊帳の外に置かれている。教育学研究科の駒込武教授は、タデカンの規制は教授会にも決定後の報告だったと振り返り、「市の条例では非営利目的の広告は規制の例外になりうる。大学は市と議論すべきなのに、条例の名を借りて規制に加担している」と批判する。

 

ところで、タテカンは学生の意見表明にも使われている。それを規制するのは、憲法が定める表現の自由などに抵触しないのか。実は、市条例の大本は屋外広告物法で、国民の権利に配慮するよう明記されている。「この法律の規定に基づく条例の適用に当たっては、国民の政治活動の自由その他国民の基本的人権を不当に侵害しないように留意しなければならない」

 

駒込教授は「タテカンの設置は、憲法が定める表現の自由の常識的範囲内だ。総長は教員との対話の場に出てきてほしい。『自由な学風』を自ら捨てきるの

か」と批判する。

 

かつては京大に限らず多くの大学にタテカンがあった。それが、いつのまにかなくなった。「こうなるのは予想がついていた」。大阪府立大の酒井隆史教授(社会思想)は京大のタテカン問題をこう受け止める。酒井教授は「一九八〇年代までは残っていた大学の自治という感覚が、九〇年代から二〇〇〇年代前半にかけて、どんどん大学当局による管理強化の影響を受けて、なくなっていった」と指摘する。

 

(中略)大学では本来、世間で異端とされるような考え方さえ議論し、新たな理論や思考を生み出すことが求められている。しかし、こういったことが影響し、「大学からの意見発信が萎縮する恐れがある」と中野教授は心配する。なぜ、大学が狙われるのか。中野教授は「改憲のスケジュールを本格的に進めるときに、邪魔になるのは報道機関や大学教授、学生らから上がる反対の議論だろう」とみる。すると、京大のタテカンは、単純に景観の問題にととまらない。「政権にとっての雑音を抑え込む上で表面化した、統制の一場面かもしれない」と中野教授は心配する。

 

(中略)「さまざまな実力行使や話し合いも含めて、構成員がぶつかり合いながらルールを形成する。かつて大学がその可能性を提供していたデモクラシーの感覚が、希薄だ。安倍首相が退陣しても、この管理強化の根を断たないことには、表現の自由を含めたさまざまな価値は守れないだろう」。酒井教授はこう心配する。

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下記は少し前にお送りした私のメールの一部です。事の本質は同じです。

 

(参考)(メール転送です)車内一人デモに若い女性がクレーム

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一昨日、東海道線に乗って横浜から上野に移動中、ドアの脇に立って一人デモ(沈黙デモ)をしていました。手さげに吊るしていたプラカードはA4サイズで、「今の憲法で私たちが困ることは何もない。困っているのは戦争がしたいアベさんたちだけだ」と私が下手な字で書いたものでした。

 

しばらくすると、向いのドアに近い席に座っていた若い女性が席を立って私のそばにきて、固い表情で私の顔をじっと見つめ、「それ(プラカード)を私に見えないようにしてください」と言い、元の席に戻りました。そこで、私は彼女のそばに行き、「私に表現の自由があることは憲法で保障されています」と言いましたが、彼女は「それ(プラカード)を私は見たくない。私に見えないようにしてください」と再度言いました。

 

私は、「憲法で保障されいるのです」と言って元いたドアの脇にもどり、一人デモを続けました。ただこれだけのことですが、一人デモを始めたのは一昨年の6月頃からですから、1年10カ月になります。この間、女性からクレームをつけられたのは今回が初めてでした。赤の他人である私に対して自分の意思を表明した点で勇気ある若い女性ということもできますが、他の人間の表現の自由を認めようとしない若い女性が現実に日本にいるということを教えられる貴重な体験でした。

 

「一人デモ」というものは、日本社会の健康状態を触診しているような感じがしてきました。面白いですよ。皆さんもやってみてはいかがでしょうか? (以上、転送歓迎)

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(田中一郎コメント)

 こういうのは女に限らず男でも、少なからずいますね。驚くべきか市民運動・社会運動の中にもいます。MLにはそんなことを書いたものは送ってくるな、この集会ではそんなチラシをまくな、そんなプラカードや旗は持ってくるな、自分たちでは署名を集めていながら他の団体の署名はお断り、などなど、そして運動の事務局員などの場合には、その「小権力」を小気味よく行使して一般の参加市民を采配し、ご指導なさるわけ。このオレサマ運動家たちが市民運動・社会運動を偏狭なものとし視野狭窄の旧態依然の運動にしていることも理解できずに、です。日本人の多くは言論・表現の自由とは何か、思想・信条の自由とは何か、という近代市民社会の基本ルールを理解できていない人間が多すぎます。

 

(関連)国民不在・中途半端・覚悟の決まらぬ・自民党補完で自己都合優先の「選挙互助会」=「国民民主党」結成へ:新党「(永遠の議席)ゼロ」の方がピッタシくるね、御用組合「連合」とともに、この勢力を永遠に葬り去ろう いちろうちゃんのブログ

 http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-6559.html

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草々

 

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コメント

田中一郎 様
大学とは他のいかなる権力機構から束縛されない組織であって、その独立性は「大学の存在意義」そのものだと思います。
それが無くなってしまうのなら解体すべきです。
学生諸氏はもっと怒るべきだと思います。

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