支配権力・巨大資本による科学の包摂 : 学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律(文部科学省)と東京(頭狂?)大学
前略,田中一郎です。
(別添PDFファイルは添付できませんでした)
(最初に若干の情報です)
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1.放射能の光と影、政府のデタラメな対応で健康被害の問題は置き去りに|健康・医療情報でQOLを高める~ヘルスプレス-HEALTH PRESS
http://healthpress.jp/2015/05/1-3.html
2.ミツバチが作ってる、みんなの未来。「子ども・ミツバチ保護法を求める署名」にご参加を! 国際環境NGOグリーンピース
3.食べものの放射能汚染は終わっていない
下記の2つは直近の厚生労働省HPに掲載された規制値超過・出荷制限の食品です。長野県木島平村産の山菜から放射性セシウムが検出されたことは少しショッキングです。天然キノコ・山菜類の放射性セシウム汚染状況(基準値超過)から判断して,長野県は,南は南牧村,北は軽井沢・佐久市くらいまでが放射能汚染地域と見ておりましたが,志賀高原を北西へ超えて木島平まで汚染が広がっている気配が感じられ,少しショックです。
(1)原子力災害対策特別措置法第20条第2項の規定に基づく食品の出荷制限の設定
|報道発表資料|厚生労働省(長野県木島平 コシアブラ)
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000087085.html
(2)原子力災害対策特別措置法第20条第2項の規定に基づく食品の出荷制限の設定及び解除
|報道発表資料|厚生労働省(福島県葛尾村 フキ)
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000086680.html
ここから本文
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下記は,昨今,多くの関係者の反対を押し切るようにして改悪された学校教育法及び国立大学法人法に関するサイトです。日本の大学は,国立も公立も私立も,古くアジア太平洋戦争以前から学問・教育・研究の自由を守るため,教授会が中心となって,大学運営の自主独立や大学の自治を守ってきました。戦前は,滝川事件(京都大学)をはじめ,大学での学問や教育,研究の自由に対して国家権力が牙をむき,戦争遂行をはじめ支配権力の意に沿うような大学のあり方を押し付けるため,様々な形で弾圧や強制や人事権の濫用などが荒れ狂いました。しかしまた当時は,学問の自由や大学の自治の気風が根強かったが故に,大学側の教員・学生一体となった抵抗も特筆に値します。この「歴史と伝統」は戦後の大学にも引き継がれ,特に戦後は戦前の暗い時代への反省から,大学自治の重要性や教授会機能の尊重は大学に関係する人々の,いわば「常識」の域にありました。(大学運営が教授会「独裁」「独断」のような形になっていた側面もあって,すべての構成員の参加による大学の民主的な運営という別の観点からの問題はありましたが,そのことは今回のテーマとは少しずれています)
それが,バブル崩壊以降の日本社会の市場原理主義指向と,何よりも大学に所属する教授・教員たちの腐敗堕落や,事なかれ主義・日和見の態度の蔓延から,そして,日本政府・政治の時代錯誤の右翼的偏向の強まりなどから,ここ20年間くらいの間に日本のほとんどの大学は,国公私立に関わらず日を追うようにしておかしくなり,結局,今回のような目も当てられないような大学自治の破壊,教授会の不胎化(機能制限・隔離),そして支配権力及び産業界(といっても巨大資本)による大学の傀儡組織化=徹底した総「御用」化へ向けた「愚かなる第一歩」が踏み出されることになってしまいました。
既に大学教授個人ベースでみれば,大学の総「御用」化の傾向は明らかで,その背景には,政府による大学への予算(私立は補助金)の絞り込み・誘導や,文部官僚の大学幹部事務官への天下り,あるいは巨大資本・企業による大学教授への研究費寄付や便宜供与などにより,大学を支配権力や巨大資本の下僕として「包摂」せんとする動きがありました(国立大学の行政法人化などが一つのメルクマール(画期)にもなっています)。それが今回,法律によって権力的に固められるとともに,他方では,法制度化によって,この「科学の包摂」「学問の御用化」に異議をさしはさむ大学内の反対勢力をねじ伏せるための布石としても手が打たれたと考えていいでしょう。私が予想するところ,大学運営の制度的改悪は今回に留まらず,今後,何もしなければ,益々ひどく,かつ強圧的・権力的に,大学の組織を歪めて行くことになるだろうと思っています。
また,週刊金曜日の記事は,かの東京大学に関する記事で,東京大学が三菱グループをはじめ,東芝や新日鉄など,財界・経済界から多額の寄付金を受け,その見返りとして,その寄付企業出身の人間を大学運営の決定機関の委員に迎え入れている(あるいは逆に大学の人間が企業に天下っている)という記事です。まさに,大学と産業界・企業との癒着・融合,産学共同が絵に書いたような形で展開されているというのです。日本の最高学府と言われている東京大学が何と言うことでしょうか。(東京大学の「頭狂」大学化の一つのエビデンス??)
話が少し大きくなって恐縮ですが,20世紀が「戦争と革命の世紀」だとすると,21世紀はおそらく「環境の世紀」となるであろうと思われます。「環境の世紀」の意味は,簡単に申し上げれば,人類の度の過ぎた科学技術利用や経済活動,産業の拡大が,人類の生存基盤である地球環境を根本から脅かし,それに対する対応を間違えば,人類はおろか地球上の全生物の絶滅に帰結していくという,グローバルな危機の時代であるという意味です。そして,その危機を深めて行く方向で,支配権力や巨大資本による「科学の包摂」がさまざまな形で進められ,その支配権力や巨大資本が一握りの愚かなものたちによって牛耳られ,彼らの目先の独占的利益に沿うように差配されることにより,科学や技術がご都合主義的に歪められ,破滅的な危機が醸成されて行くのです。
しかし他方では,この時代は,当然のことですが,この「包摂された似非科学」に対抗する「市民科学」が生まれてくる時代でもあります。ことの勝敗と言うか,人類を含む全生物の生存可能性・持続可能性は,私たち一人一人が,真の科学である「市民科学」とその担い手を,どこまで育てられるか,包摂された似非科学にどこまで対抗できるように大きくしていけるかにかかっています。
その前哨戦として,今回の日本における学校教育法及び国立大学法人法の改悪,を理解しておけばいいのではないかと思います。安倍晋三・自民党政権を倒し,自民党や民主党,維新の党などをはじめとするロクでもない政治勢力を政治の世界から一掃した後に,こうした悪法を,いったん全部ご破算にする,そういう「新しい時代を建設する準備法」への取組が,そろそろ市民側にも求められ始めているように思われます。
<参考サイト>
下記のうち,(2)の日弁連意見書にご注目ください。
(1)学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律:文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/houan/kakutei/detail/1349263.htm
●学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律(概要) (PDF:73KB)
http://www.mext.go.jp/b_menu/houan/kakutei/detail/__icsFiles/afieldfile/2014/06/30/1349263_01_2.pdf
(2)日本弁護士連合会│Japan Federation of Bar Associations:大学教授会の役割を教育研究の領域に限定する、学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律案に対する意見書
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/2014/140619.html
(参考)学長の権限拡大で大学はどう変わるのか‐斎藤剛史‐【Benesse(ベネッセ)教育情報サイト】
http://benesse.jp/blog/20140804/p2.html
<別添PDFファイル>
●三菱と東大のただならぬ関係(『週刊金曜日 2015.5.29』)
1.まず,上記の学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律(概要)をご覧下さい。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houan/kakutei/detail/__icsFiles/afieldfile/2014/06/30/1349263_01_2.pdf
(一部抜粋)
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1.学校教育法の改正
<副学長の職務について>第92条第4項関係
・副学長は、学長を助け、命を受けて校務をつかさどることとする
<教授会の役割について>第93条関係
・教授会は、学長が教育研究に関する重要な事項について決定を行うに当たり意見を述べることとする
・教授会は、学長及び学部長等がつかさどる教育研究に関する事項について審議し、及び学長及び学部長等の求めに応じ、意見を述べることができることとする
2.国立大学法人法の改正
<学長選考の基準・結果等の公表について>第12条関係
・学長選考会議は学長選考の基準を定めることとする
・国立大学法人は、学長選考の基準、学長選考の結果その他文部科学省令で定める事項を、遅滞なく公表しなければならないこととする
<経営協議会>第20条第3項、第27条第3項関係
・国立大学法人等の経営協議会の委員の過半数を学外委員とする
<教育研究評議会>第21条第3項関係
・国立大学法人の教育研究評議会について、教育研究に関する校務をつかさどる副学長を評議員とする
<その他>附則関係
・新法の施行の状況、国立大学法人を取り巻く社会経済情勢の変化等を勘案し、学長選考会議の構成その他国立大学法人の組織及び運営に関する制度について検討を加え、必要があると認めるときは、所要の措置を講ずる
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2.日弁連意見書はこの問題に関する一読に値する重要な文献です。ぜひご覧下さい。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/2014/opinion_140619.pdf
(一部抜粋)
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(中略)
4 憲法及び教育基本法等の下での大学の自治の保障と本改正案の問題点
(1) 大学の自治の保障
(中略)
② 大学の自治の内容として,(ア)学長・教授その他の研究者の人事の自治,(イ)施設及び学生の管理の自治,(ウ)予算管理における自治(財政自治権),(エ)研究・教育の内容と方法等に関する自治の4項目を挙げている(通説)。なかでも中心となるのは,(ア)の人事の自治である。最高裁判所も,「大学における学問の自由を保障するために,伝統的に大学の自治が認められている。この自治は,特に大学の教授その他の研究者の人事に関して認められ,大学の学長,教授その他の研究者が大学の自主的判断に基づいて選任される。」(最高裁昭和38年5月22日大法廷判決)として,学長の選任を含む人事の自治の重要性に言及している。
大学の自治の主要な担い手は,自治の存在理由及び大学の目的が教育研究にある(学校教育法83条1項)ことからも,教授その他の研究者の組織であるべきであって,具体的には,教授会がその中心となる。学校教育法93条の規定は,以上のような憲法,教育基本法及び学校教育法の趣旨に基づき,教授会に「重要な事項を審議する」役割が認められることを明らかにしたものであると解され,この意味で重要な事項を審議するための存在という教授会の役割に関する学校教育法93条の規定は憲法による大学の自治の保障の制度的核心を構成するものである。
(中略)
(3) 本改正案の問題点
① 基本的問題点
本改正案は,このような教授会の役割を教育研究の領域に限定し,大学運営その他の全学的事項への関与を制限しようとするものである。しかし,これは,上述した憲法の保障する大学の自治と,その下で教育基本法及び学校教育法が規定する大学の自主性,自律性並びに教授会の役割についての理解を誤ったものといわざるを得ない。また,教授会の役割の重要性に対する十分な配慮を要求するなどした附帯決議にも矛盾するものである。
教授会による自治は大学自治の制度的保障の核心をなすものであり,教授会の役割は,少なくとも,教育研究と管理運営とにまたがる重要事項の審議に及ぶものと解されることは明らかであるから,このことをもって現行規定における教授会の役割が不明確との批判は当たらない。したがって,これを明確化するという立法趣旨のもと教授会の役割が「重要事項を審議」することから,教育研究に関する事項について意見を述べることに限定され,管理運営面には及ばないことに変更されるとすれば,それ自体が大学の自治の保障の趣旨に反するものであり,大学の自主性・自律性を損なうおそれの強いものであるといわざるを得ない。
(中略)
(4) 本改正案を含めた大学改革の基本的方向と教授会の役割
① 本改正法案の目指す方向
冒頭に掲げた閣議決定は,大学における教授会の役割の限定と学長のリーダーシップの強化に関し,「産業競争力強化の観点」から競争主義,成果主義等を導入して大学間又は大学内部でのいわゆる「選択と集中」を進めるとし,そのための「基盤強化」の方策として位置付けている。
② 憲法が求める大学の役割と大学改革
しかしそもそも,憲法は,全ての個人の尊厳と人権の尊重を理念としており,経済競争に勝ち抜く人材だけでなく,多様な能力や条件を有する全ての国民が,相互に人権を尊重し,共に生きる社会を目指すものである。全ての個人の尊厳と人権の尊重を図りうる社会を目指す観点から憲法は,時々の政権の政策に左右されずに真理を探究することで社会に貢献できるように学問の自由を保障するとともに,真理研究機関としての大学に大学の自治を保障しているのである。
また,憲法が上記のような,経済競争に勝ち抜く人材だけでなく,多様な能力や条件を有する全ての国民が,相互に人権を尊重し,共に生きる社会を理念としていることを踏まえ,当連合会は,2012年10月5日の人権擁護大会において,「子どもの尊厳を尊重し,学習権を保障するため,教育統制と競争主義的な教育の見直しを求める決議」を採択し,経済のグローバル化に伴って,社会において競争主義や市場原理が強まる中,教育にも経済至上主義が持ち込まれ,グローバルな競争に適合する人材を育てるという名目の下に推進されてきた過度に競争主義的な教育が,上記の憲法の理念を損なうことへの懸念を表明してきた。
学術の中心として教育研究を行う大学においても,この理は妥当するから,行き過ぎた競争主義の導入や,経済至上主義に基づく資源再配分等の改革には慎重である必要がある。
③ 憲法の要請のもとでの大学改革のあり方
(中略)忘れてはならないのは,現行憲法のもとでは,大学での教育研究は,教育機関としては第一義的には「人格の完成」を目指して(教育基本法1条),また,研究機関としては「深く真理を探究して新たな知見を創造」することを目的として(教育基本法7条1項)行われるべきであって,社会の変化に伴って大学改革の必要が生じたとしても,目指すべき改革はあくまで憲法の規定する大原則に即したものである必要があるということである。この意味で,大学改革の基本方向は,産業競争力強化に資する人材の育成とは次元を区別する必要があり,大学と私企業の違いを無視するならば,「日本の大学・短大・専門学校は教育市場のみを基盤とする企業体へと転換し,それぞれの公共的な使命と責任を喪失して『質』の低下の一途をたどる」(日本学術会議心理学・教育学委員会教育学の展望分科会「教育分野の展望-「質」と「平等」を保障する教育の総合的研究-」2010 年4 月5日)ことになろう。
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(田中一郎コメント)
大学の自治と学問の自由,教育・研究の自由を守り,支配権力や巨大資本・産業界からの容喙・干渉・抑圧・強制・勧誘などを退け,真理探究の府としての大学の本来のあり方を守ることが,科学や技術というものの純粋なあり方を守り,従ってまた,私たちの豊かで明るい未来を創っていく基本的な前提になるということを,改めて強調しておきたいと思います。単純な科学懐疑主義ではなく,社会的存在としての科学のあり方に市民がきちんと注文を付け,その姿勢を正していく不断の試みが,私は非常に大事ではないかと思っております。原発・原子力・核という似非科学の塊のような集団,あるいはそれと瓜二つのグロテスクな姿を現わしつつあるバイオ・遺伝子操作の「(似非)研究」集団のすさまじい出鱈目を目の当たりにし,近い将来の深刻な事態をひしひしと予感させられる中,このことをみなさまに強く訴えたいと思います。
草々
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