(衆議院総選挙と同時に行われる)最高裁判所裁判官(判事)の国民審査では全員に「×」「×」「×」「×」「×」を付けましょう
前略,田中一郎です。
衆議院総選挙の際には、毎回と言っていいと思いますが、同時に最高裁判所の裁判官(判事)の国民審査が実施されます。これは憲法第79条に従って実施されるものです。みなさま、この最高裁判事の国民審査では、全員に「×」「×」「×」「×」「×」を付けてください。この国民審査では、白紙で投票すると「○」(承認)とみなす、などという、インチキ投票制度になっています。加えて、そのことは有権者・国民や投票所に来た人たちに宣伝され、しっかりと説明されることもありませんから、周知徹底もなされておりません。TVや新聞などのマスコミも、どういうわけか、この国民審査のやり方のおかしさについては、何の報道もしないままです。知らない方が馬鹿である、と言わんばかりです。
また、この最高裁判事の国民審査については形骸化がひどくなっており、多くの有権者・国民が自分の投票判断をするための基本的な情報の提供や仕組みさえ、きとんと創られておりませんし、更に申し上げれば、この国民審査の重要性についても、広く有権者・国民に対してアナウンスがなされていないのです。
たとえば。国民審査を受ける最高裁判事が、どういうことをしてきた人物か、判事であれば、いままで出した判決がどういうものか、弁護士であれば、どういう事件に、原告側あるいは被告側いずれにたって弁護士したか、大学教授であれば、どういう専門分野で、著書にはどういうものがあるか、などがわからないと、有権者・国民は判断のしようがありません。しかし、そうしたものは皆無に近い状態です。
更には、各最高裁判事候補者たちが、判事としてどのように裁判に向かおうとしているかの(個人としての)「方針」「考え方」「姿勢」などの説明や、彼らを最高裁判事(候補)として任命した内閣からの説明も必要でしょう、
また、各最高裁判事候補者らが有権者・国民の前に出てきて、有権者・国民からの質問にも答える、裁判所が抱える諸問題をどう考えているのか、どうしようとしているのかなどについて明確にすること、有権者・国民からの公開質問状に対しては公開の形で答える、なども必要かと思われます。
最高裁判事の就任の是非について国民の審査を受けるということの基本中の基本を、この国はまったくやらずに、国民審査をあってなきがごときの、どうでもいい手続きにしているのが現状です。これは、重大なる国民の権利の侵害=実質的な憲法違反と言えるのではないかと思います。
私の地元の地方議員の方からは「最高裁の投票用紙は、二回目の(衆議院)比例投票用紙をもらうときに、一緒に発行されます。それで混乱してしまうお年寄りがじつに多く出ます。こういったことも、公正な選挙方法になっていないことの一つかと思います」というご意見をいただきました。選挙区、比例、国民審査の3つに分けて、投票場の用意をするのは当然のことで、一緒にしてやってしまうというのは乱暴です。(それに投票用の机の衝立も低すぎて、となりが見えてしまいます、もっとBOX型にして、投票の秘密を確保しないといけません。また、期日前投票のあり方も問題ありそうです)
こうした、身近な、具体的な投票のありよう一つをとっても、有権者・国民の投票が尊重されていないことがわかります。
そして何よりも、この最高裁裁判官になる人間達ですが、一人としてロクなのがいません。時代遅れの国家観に固執していたり、日本国憲法が定める基本的人権の尊重について理解が乏しかったり、司法の行政からの独立=いわゆる三権分立をないがしろにしても平気でいる、などの、およそ民主的で文化的な国の裁判官としては、首をかしげたくなるような人達ばかりが最高裁判所の裁判官に抜擢されているのです。
だからこそ、日本の裁判では、昔も今も、私たちの目や耳を疑わせるような判決が時折出されて、いろいろな問題がねじれて行ってしまいます。その典型が、原発の裁判=つまり危険極まりない原発や核関連施設の稼働を止めて下さいという有権者・国民・市民・住民の提訴した裁判で、これまでたくさんの裁判が争われましたが、その大半が「門前払い」されてしまっています。下級審でほんのたまに、住民側原告勝訴の判決が出ても、それを最高裁が原告敗訴に切り替えてご破算にしてしまう、というのが今までの日本の裁判のありようでした。
そして、今も昔も、日本の最高裁判所に決定的に欠けているのは、日本という国を法治国家たらしめている基本中の基本の法律である日本国憲法を、その時々の政府や巨大企業、あるいは、おかしな政治勢力などによる蹂躙的行為から、しっかりと守るという姿勢を見せようとしないことです。「憲法の番人」としての最高裁の使命と役割を、いとも簡単に放棄していることです。憲法第9条をめぐるいわゆる「統治行為論」や、行政法訴訟などにおける「訴えの利益」論や「行政当局の裁量権範囲」論、あるいは「国家損害賠償制度」の運営などなど、さまざまな屁理屈や「ねじれた法解釈」を駆使して、司法の最高府としての使命と責任を放棄し、簡単に申し上げれば、時の政府の支配権力に迎合し従属しながら、有権者・国民の様々な権利を踏みにじったり、日本社会の公益や社会的倫理などを反故にしているのです。それが今の日本の最高裁判所です。
そして、その最高裁判所こそが、最上級裁判所として、全国の下級裁判所(地裁、高裁)の裁判官たちの判決を縛り(最高裁判例の下級審拘束)、また、その「縛り」を実効あるものとするために、最高裁判所にある「事務局」の一握りの人間達が全国各地・各所の裁判官たちの人事権を握り、いわゆる「司法の支配」「司法による(有権者・国民の)支配」を確たるものとしているのです。この司法の支配は、有権者・国民からの何のチェックも受けることのない、まさに「専制的支配」そのもので、現代社会における最もグロテスクな遅れた組織のあり様と申し上げて過言ではないと思います。
昨今では、最高裁判所を含むいわゆる「裁判所司法」と、行政権力に属する法務省=検察・警察との癒着も目に余るものになっています。特に、裁判所などの司法組織と、法務省=検察などの行政組織間の「人的交流」が、ごく当たり前のように行われ、後者による前者の支配=行政による司法の「包摂」が、度を過ぎて行われています。これなども、最高裁判所の判事達の判断さえしっかりしていれば防ぐことのできる、ゆがんだ政治的支配、ないしは節操のない癒着の一つのことがらですが、現在の最高裁判事の人事では、事実上不可能と言っていいと思います。
こういう、ゆがんだ日本の司法の仕組みを是とする人間達、すなわち旧態依然の有権者・国民に対する国家統治論を是とする人間達(それは事実上の国民主権という日本国憲法の否定を意味します)が最高裁判事に任命され、それを形骸した国民審査が「追認する」「追認させられる」「追認したことにされる」ことで、日本の裁判所と司法制度が動いているのです。
この事態に対して、私たち有権者・国民・市民は、最高裁判事の国民審査を通じて「反乱」を起こしませんか、というのが、私の申し上げたいことです。一人ひとりの裁判官がどうこう言う前の問題として、こんな「国民審査」など、ふざけんじゃねーぞ、という意思表示を、すべての最高裁判事候補たちに「×」「×」「×」「×」「×」をつけるかたちで意思表示いたしませんか、ということです。
みなして、こんなのは、蹴飛ばしましょう。
最高裁判事どもよ、お前らみ~んな、やめちめえ~
(参考1)最高裁裁判官の国民審査をどうする?(江川 紹子) - 個人 -
Yahoo!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20121214-00022725/
(参考2)最高裁判事の国民審査|河野太郎公式ブログ
ごまめの歯ぎしり
http://www.taro.org/2014/06/post-1486.php
(参考3)岩波新書『司法官僚 裁判所の権力者たち』(新藤宗幸/著)
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032293365&Action_id=121&Sza_id=C0
草々
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