柳田邦男氏と政府事故調の中途半端でおかしな議論 : 「全文公開 「吉田調書」 書かれなかった重大証言」 ( 『文藝春秋 2014.11』より)
前略,田中一郎です。
(別添PDFファイルは添付できませんでした)
別添PDFファイルは、ノンフィクション作家の柳田邦男氏が今月号の『文藝春秋』に書いた「吉田調書」に関する論文です。問題が多いので、以下に簡単にコメントいたします。同氏が重大問題について発言する時は、確かに傾聴に値する部分もあることは事実ですが、他方で、いつもどこかに時の支配権力になびいているような、中途半端で根曲がりしたようなところがあって、今一つ信用が置けないのですが、今回もそのように思えてなりません。過去においては、同氏が深くかかわったものとして、スリーマイル島原発事故に関する議論や、水俣病被害者の救済問題に関する検討などがそうでした。どうもよろしくないように思います。
<別添PDFファイル>
●全文公開 「吉田調書」
書かれなかった重大証言(柳田邦男 『文藝春秋 2014.11』)
(以下、田中一郎がコメントします)
====================================
この論文の中で柳田邦男氏が言う「「吉田調書」に書かれなかった重大証言」とは、政府事故調が吉田昌郎所長にヒヤリングを始める2011年7月22日より前の6月17日と30日の2度にわたる福島第1原発視察の際の政府事故調委員と吉田昌郎所長との対話のことで、その中でやりとりされた重大事項は、この論文によると、「その時の質疑応答の中で、特に重要だったのは、①事故対処の意思決定と組織の指揮命令系統の混乱についてと、②最も危機的だった局面についての二点だった」そうである。
その詳細は原文を見ていただきたいが、その事実を明らかにしたことや、それに関連して、マスコミの「吉田調書」に関する報道のあり方に対して辛口の批判をしているところなどは肯定できるし傾聴に値する。(但し、この6/17、及び6/30の吉田昌郎所長との対話内容には目新しいものはなく、概ね既に公表されている「吉田調書」や東京電力TV会議録画などから判明していることばかりと言っていいのではないか=そしてそれは本人もこの論文の中で認めている(P213下段左端)=従ってまた、『文藝春秋』のこの論文のセンセーショナルな見出しの付けられ方は感心しない)
柳田邦男氏の議論で肯定できる部分・傾聴に値する部分は、たとえば次のようなくだりである。(一部引用)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところが、吉田調書や菅首相ら政府要人の証言調書が公表された後のこの国のメディアの報道姿勢はどうだったか。朝日新聞の誤報を待ってましたとばかりにあげつらい、朝日批判の材料として、吉田所長らの死守の姿勢と苦闘を意識的に持ち上げる見出しをつけたりする。あるいは菅首相の言行を当時の反菅コールの政治記事を反復するに等しい形でこきおろすことに熱中する。今こそ原発事故の真因に迫ろうとする分析の視点がまるで見られない。確かに朝日新聞の誤報や菅首相の判断と行動は、それぞれに重要な問題だ。であるなら、それらについても失敗の背景(深層)にある問題を分析する取り組みが求められるはずだ。メディアのレベルも、政治や電力会社のレベルにまで堕ちたのか。
このような状況の中で、吉田所長の膨大な証言調書などから原発事故の真因を分析するに当たって、本稿で紹介した吉田所長の簡潔な発言内容は、どこから窓を開ければよいのか、その手がかりを与えてくれると言える。亡き吉田所長は、自分が厳しい試練に立たされた様々な危機の原因とそれに対する自分の対処の是非の背景要因を分析するには、特に危なかった四つの危機から切り込んでみてはどうかと、あの世からメッセージを送ってきているのだと、私には思える。さらに原発事故に対処する国家と企業の指揮命令系統のいい加減さとその混乱も重要なポイントだよ、と。
(中略)
それだけに、約束に反して、生の言葉のままを公表した場合に、広く伝えるメディアは証言の言葉の受け止め方に配慮が必要なはずだ。そのあたりを踏まえて、問題の本質はどこにあるかを見据えないと、一部の新聞の報道に見られたように、吉田所長の怒りなどの感情的な言葉が大見出しになって独り歩きを始め、反対側の人物を見下す勧善懲悪的な報道に終わってしまう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
が、しかしである。柳田邦男氏のこの論文で首をかしげたくなるのは、その部分ではない。その部分を挟んで、最初と最後に述べられている点に、いくつかのおかしな議論があるように思えるのだ。以下、その中から代表的なものを3つばかり取り上げて、以下に批判してみよう。私は、柳田邦男氏も、こうした議論・立論から早く脱却し、福島第1原発事故の教訓を原発再稼働のために活かすのではなく、原発を巡る全体の体制のあり方への批判から、ポスト原発レジームとでもいうべきものを展望していただきたいと思う次第である。中途半端な評論は、やがて歴史がそれを淘汰し、過去におけるつまらない半現状追認型の言説として消し去ってしまうであろうと思うからだ。それでは柳田邦男氏の傾聴に値する部分の言論が惜しいように思う。
1.政府事故調の、霞が関官僚事務局に従属した「秘密主義的調査=非公開調査」にこそ問題がある。
まず、柳田邦男氏が論文の最初に書いている主張=事故調査の原則は非公開だ、を下記に部分抜粋してみよう。正確には原文に目を通していただきたい。
(以下、一部抜粋)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そのためには、関係者が自らの判断や行為について隠すことなく証言してくれることが重要になってくる。しかし、人は自分に不利益が降りかかってくるのを避けようとする傾向があるから、不都合なことについては知らないとかはっきり覚えていないといった答え方をしがちだ。そこで事故調査機関が関係者のヒアリングをする時には、証言の一部を必要に応じて報告書の中で引用することはあっても、調書全文をそのまま公開することはないし、特に刑事捜査などの責任追及に利用することはないと約束をしてから、聴き取りに入るという手順を踏むことになっている。これは責任者を告発するのを目的とする刑事捜査や行政調査とは根本的に違うところだ。
しかし、福島原発事故の原因については、未解明のところが多い。(中略)関係者の証言記録を公開することは、様々な専門家による多角的な分析研究を可能にし、全容解明に少しでも近づく可能性を開くという点で、大きな意味がある。
ただ、それは国民の利益を考慮した例外中の例外であって、一般的な事故調査における証言調書などの非公開の原則を崩すものであってはならない。そのためには、公開するに当たっては、なぜ例外的に公開するのか、その根拠を明示する必要がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(田中一郎コメント)
「吉田調書」の公開をしぶしぶながらも是とし、政府は公開する理由を有権者・国民にきちんと説明せよとしている点は、それはそれで良いと思う。私が首をかしげるのは、そもそも、何故政府事故調は、調査にあたって霞が関官僚を事務局にし、その調査を秘密裡に進め、その後も調書等の公開をせず、原発の事故調査と言えども秘密裡に進めるのが「当然の常識なのだ」としている点である。
(1)まず、福島第1原発事故にしろ、それ以外の原発・核燃料施設の事故にしろ、その事故原因は、ほぼ大凡の目安は付いている。福島第1原発事故で言えば、地震と津波がその原因であったことはほぼ自明だ。だから、事故調査とは言っても、全く何も分からないところから始めるのではなく、何故、かような深刻な事態に陥っているのか、どこに電力会社や原発メーカーや原子力を規制する役所当局の不備・怠慢・手抜き・虚偽などがあったか、などを明らかにすることが、その主目的なのである。
当然ながら、この調査には、こうした結果を生みだした責任者への追及が表裏一体となっていて当然で、そうであるからこそ、原則として調査全体をオープンにして遂行すべきものである。国会事故調は、一部の例外を除き、そのようにしていたはずである。そして、こうした原発事故の調査の場合には、秘密にして得るものよりも、有権者・国民の信頼も含めて、失うものの方が多いのだ(絶対に何でも公開せよ、というわけではない。会社の中での身分や地位が低く、かつ生活をその会社に依存して生活している人の場合、その証言の中に会社の不利益につながるものがある場合は、極めて証言しにくいだろう。その場合には、その部分を非公開にすればいいだけの話である。全部を非公開にする必要などない)
(2)政府事故調が事務局に霞が関の官僚達を使ったことは致命的な調査の欠陥であり瑕疵である。こういう事務局の人間がヒヤリングをすること自体が、およそ証言者の正直で真実な証言を歪めることになるに違いない。真実証言を得るために非公開にこだわる柳田邦男氏が、この霞が関官僚を事務局に使い、霞が関官僚を使って証言をヒヤリングさせ、記録させることについて、何の異議も違和感も発しないというのは、いかにも不自然である。事実、「吉田調書」に目を通して見ると、あの頑固者の吉田昌郎所長に対してさえ、ヒヤリング担当の霞が関官僚(法務省官僚または検察官らしい)は、まるで誘導尋問をするかのごとく、繰り返し繰り返し、東京電力の書いたと思わしき原発事故シナリオに沿った、事実かどうかも確認されていないようなことを並べ立てて、ヒヤリングと称する証言誘導を行っていたようである。一事が万事、こんな調子の中で、調書非公開を言い張る柳田邦男氏の言い分はおかしいと言わざるを得ない。
(3)3つ目として申し上げておかなければならないのは、柳田邦男氏も書いている通り、福島第1原発事故の実態解明や事故原因の究明が遅々として進んでいないことである。それどころか、福島第1原発現場への自由な取材は、事故後3年半以上が経過した今でも執拗に妨害され統制されており、また、福島第1原発関連の多くの情報さえもが公開されずに秘密裡にされたままである。福島第1原発現場に関する定期的な記者会見も、回数を制限され、会見に臨席できる記者も限定され、そして記者からの質問回数も制限されてしまっている始末である。
また、あの貴重な国民的財産とも言える国会事故調の調査関係資料さえもが非公開のまま国会図書館に放置され、更に、政府事故調の証言録についても、吉田昌郎所長以外の東京電力・東京電力関係会社職員の証言などは依然として非公開のままである。このままでは、福島第1原発事故は、秘密のベールに包まれたまま「幕引き」となり、その実態も原因も不明のまま、闇から闇へ葬られてしまう。今回の「吉田調書」の公開はそれを食い止めるための最低限の対策の一つだと言えるだろう。(原子力「寄生」委員会・「寄生」庁などは、福島第1原発事故調査と称して、国会事故調の出した事故原因の解析を否定するためだけの屁理屈集めを、原子力ムラ学者や御用人間だけを集めてピーチク・パーチクやっているだけで、その本来の責務を棚上げにして原発再稼働に邁進しているのはご承知のとおりである)
(4)政府事故調が、きちんとした調査ができる法的権限を持っていないことが大問題である。虚偽証言の場合や作為的な証言拒否は罰せられることや、場合によっては刑事告発も可能であること、限られた期間で調査が終わらなかった場合には、後継委員会をつくってそこで調査を継続する権限を持つこと、あるいは、事務局は自前で儲けることが可能であり、そこでの人件費を含む費用は国費負担とすること、有権者・国民に対して説明責任を担うこと、などなどである。柳田邦男氏は、政府事故調の調査の秘密主義を主張するよりも、政府事故調の調査機関としての機能の充実とその適正化の論陣を張るべきではなかったか。
(5)最後にこれだけは申し上げておきたい。原発・核燃料施設の事故調査は、航空機事故などの一般の事故とは違う性格のものであり、とりわけ隠蔽体質が強い=政治的な歪曲が入りやすい、という点を強調しなければならない。そうしたことを許さないためにも、原発・核燃料施設の事故調査の公開原則は、うやむやにさせない・隠し事をさせない・いい加減にさせないためにも、今後ともしっかり確保せねばならず、かつ、そうした場合であっても、調査の目的が達せられる制度的・組織的な枠組みやルールの確立が望まれるのである。
2.非常用復水器(IC)は、全電源喪失と同時に「フェール・セイフ」が働いて自動的に停止したとは限らない
国会事故調の調査報告書では、福島第1原発事故の原因として、津波だけでなく地震の揺れによる原発施設の破損の可能性を指摘しているのは既知のとおりである。その国会事故調の報告が出るのを待って、国会事故調よりも半年も早くスタートしたにもかかわらず、その報告書を国会事故調よりも遅れて提出した政府事故調では、福島第1原発事故は地震の揺れとは関係がない=その証拠は見いだせなかったとしているのである(「している」だけでなく、私には「強調」しているようにさえ見える。特に柳田邦男氏はそうだ)。その大きな争点の一つが、この1号機の非常用復水器(IC)である。
柳田邦男氏も、この1号機非常用復水器(IC)が「争点」になっていることは知っているはずである。にもかかわらず、この論文の中でも、あいかわらず非常用復水器(IC)の全電源喪失による自動停止=それを吉田昌郎所長以下の現場作業員たちが知らなかった説を繰り返している。私なら、福島第1原発事故の原因を巡って大きな争点となっているこの問題について、もっと慎重に、関係者の証言をあらためて聞き直して、どこに見解の食い違いが生じているのかを明らかにするような言論を展開するだろう。しかし、柳田邦男氏は、そうしたことを無視して、当初の政府事故調の結論を広宣流布するかのごとく、この論文で自分の従来の主張を繰り返している。
私はこのことに大きな疑問を持っていて、既に、複数の原発・原子炉に厳しい視線を持ち続けている原発関連の科学者・技術者に、非常用復水器(IC)の「フェール・セーフ」=全電源喪失時の自動停止についてヒヤリングをしてみたが、すべての方が、「そうとは限らない」「断言などできない」「停止と言っても時間がかかるので万事OKとはいかない」「交流と直流の電源を使う4つの弁があって、それがスムーズに「閉」となったとは考えにくい」「非常用復水器(IC)を巡る作業員の作為動作が不可解」等々の言質を得ている。柳田邦男氏の説をにわかに信頼申し上げることはできないのだ。
柳田邦男氏がやるべきことは、国会事故調の、たとえば田中三彦氏と対談をし、この点について十分に議論をしてみることではないか。過去の自分の発言に固執して意地を張ることは、真相の解明には大きな障害になる人間の性癖である。柳田邦男氏なら、それを克服し、真相解明へ向けた政府事故調と国会事故調の各調査委員の対話や討論をこなして行けるだけの度量はお持ちではないのか、と思う次第だ。
3.「リスクコミュニケーションのプロフェッショナル」など二の次でいい。問題はクライシス・マネジメントをどう確立し、危機対策本部と危機の現場とが、どのようなコワークを築けるかだ。更に言えば、そもそも原発・核燃料施設の過酷事故に対して、クライシス・マネジメントや危機管理体制などが有効に機能するような形で確立などできるのかという「そもそも」論が存在している。結論を先に申しあげて恐縮だが、私は絶望的であると思っている。そして、原発・核燃料施設など、そもそもいらないのだから、やめれば余計なこともしなくて済むのである。
まず、該当個所を引用してみよう。再度申し上げるが、正確には原文をご覧いただきたい。
(一部抜粋)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これら六つの分野に分類された条件が、吉田所長が危機的な状況に直面した時に、対応力にプラスとマイナスの両方向にどのように作用したかを考察すると、原発の安全を確保するために、現場の統括責任者(いわば現場指揮官)が任務を果たすのに必要な条件は何かが、具体的に立ち上がってくる。その重要なものを記そう。
・政府と企業のそれぞれトップの意思決定が整然となされるのを支えるとともに、現場の指揮官が任務を最大限に行なえるようにするリスクコミュニケーションのプロフェッショナルが、各トップと現場の指揮官のそれぞれにアドバイザーとして存在すること。
・政府と企業の指揮命令系統を明確にすること。
・従来は「想定外」とされたようなリスクまでも前提として、安全性を確立するうえで不可欠の設備、装置、計器、冷却水などが阻害されずに確保されること。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(田中一郎コメント)
上記3つのうち、最後の1つは、その通りだろう。しかし、後の2つはいかがなものか。私は、原発・核燃料施設事故のような巨大かつ複雑な施設事故に対処するためには、その原発・核燃料施設全体を理解している人間を少数でもいいからきちんと確保して、その対処に責任と権限を持たせることではないかと思っている。そして、そうした「施設全体を理解している人間」は、常日頃から、原発・核燃料施設の大事故を意識して、知識や経験を積み重ねていないと、生まれて来はしない。
言いかえれば、形だけの本部と現場や、指揮官と部下のようなものを整えておいても、そんなものは緊急事態や危機の時にはどこかへ吹き飛んでしまうのだ。斑目春樹のような「出来そこない」の無能な御用学者を原子力安全委員会のトップに置き、あるいはまた、私は文科系だから原発のことは分からないと言って、事故原発を前にして逃亡してしまう寺坂信昭のような「平成無責任官僚」を原子力安全保安院の長に置き、しかも、福島第1原発事故後においても、この2人を丁重に扱っているようなことをしていては、クライシス・マネジメントなんぞ、ちゃんちゃらおかしい、ということだ。(菅直人元首相も、原発事故対処の仕方が悪いからと、周りにあたり散らしてばかりいないで、たまには自分の当時の閣僚人事や霞が関人事に関する無知と無責任を反省した方がいい)
柳田邦男氏も、「リスクコミュニケーション」だの、その「プロフェッショナル」だのと、おままごとのようなことを言っていないで、どうしたら原発・核燃料施設過酷事故の深刻化を防ぐことができるクライシス・マネジメントが可能となるか、そのための体制や事前対策とはどういうことなのかを、もっとリアリスティックに考えていただきたいと思う次第である。(そして、結局は、そうしたものの確立は、つまりは原発・核燃料施設の周辺住民を含む有権者・国民に対して、放射能汚染や放射線被曝被害をもたらすことのないように、危険極まる原発・核燃料施設を封じ込める体制やマネジメントの確立は、現実にはありえない、という、ごくごく当たり前の結論を導き出していただきたいと思う。原発は人間の手では完全にはコントロールできないのだからやめるべし、ということなのだ)
草々
« 本日(10/19)のいろいろ情報((メール転送含む) (1)放射線被曝がもたらす健康被害を交通事故と比較していはいけない (2) ネット署名(川内原発) (3)イベント情報(2つ) 他 | トップページ | 種子を支配するものは食料生産を支配し、食を支配する者は世界を制す=アグロバイオ企業の脅威と食料自給極貧の国・日本 »
「福島原発事故」カテゴリの記事
- 国や自治体は、被ばく押しつけの「帰還」強制政策をやめ、原発震災被災者を差別・区別することなく、あらゆる方法で支援・救済せよ、加害者・東京電力は何をしているのか(2015.06.17)
- 福島第1原発事故被害者の切捨てを画策し始めた自民党・政府、そして福島県庁、これは明らかな国家犯罪だ、が更に、新たな責任回避を「制度化」せんとする原子力ムラの厚顔無恥(2015.05.28)
- 原発はいい加減な管理をして他人様に大迷惑をかけても、賠償も補償も謝罪もしないのか=踏み倒される原発震災被害者の損害賠償・補償(2015.05.12)
- 原子炉過酷事態時に減圧装置=SR弁(主蒸気逃がし安全弁)は,何故,開かなかったのか(NHK『福島第一原発事故7つの謎』より) :5号機も危機一髪だった!! わからないこと山積みです(2015.05.09)
- (報告)福島第1原発1号機 原子炉建屋4階現場調査報告(田中三彦氏講演会:東電株主代表訴訟 公判報告会)(2015.05.01)
« 本日(10/19)のいろいろ情報((メール転送含む) (1)放射線被曝がもたらす健康被害を交通事故と比較していはいけない (2) ネット署名(川内原発) (3)イベント情報(2つ) 他 | トップページ | 種子を支配するものは食料生産を支配し、食を支配する者は世界を制す=アグロバイオ企業の脅威と食料自給極貧の国・日本 »


コメント