« 原発とはデタラメを続けてにっちもさっちもいかなくなるシステムのことである:まだやってる昨今の「出鱈目てんこ盛り」・福島第1原発事故などカンケーネーのか | トップページ | (報告)シンポジウム 全文公開 /「吉田調書」 から見えてきたもの(2014.10.15) »

2014年10月16日 (木)

東京新聞・吉田調書シリーズ特集記事に見る福島第1原発事故(その実態と事故原因をさぐる):(10)逃がした対策の機会、自然を侮り利益優先

前略,田中一郎です。

(別添PDFファイルは添付できませんでした)

 

東京新聞が9/15よりシリーズで報道し始めた吉田調書(政府事故調による吉田昌郎福島第1原発所長(当時)証言記録)に関する特集記事「調書は語る:吉田昌郎所長の証言」を見ながら、福島第1原発事故の実態とその原因を探ってみたいと思います。第10回目(最終回)の今日は下記の東京新聞記事です。なお、私のメールでは、このシリーズ特集記事にある、主として吉田昌郎所長証言のあいまいさや、証言から推察される福島第1原発事故深刻化の原因となったであろうことがらを取り上げて、簡単にコメントいたします。(東京新聞の吉田調書シリーズ特集は今回で終了です)

 

 <別添PDFファイル>

● 書は語る(10):逃がした対策の機会、自然を侮り利益優先(東京 2014.9.26

http://blog.goo.ne.jp/tanutanu9887/e/b15a406592048799913ccd644abe4ac4

 

1.東京新聞記事

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

非常用電源や非常用冷却装置などの備えはしていたはずの東京電力福島第一原発が、なぜもろくも重大事故を引き起こしたのか。吉田昌郎(まさお)所長は所長になる前、原発の耐震対策などを担当する本店原子力設備管理部長だった。その立場での吉田氏の証言を読むと、自然の力を侮り、費用対効果を優先し、対策の機会を逃してきた東電の姿が浮かび上がった。(肩書はいずれも当時)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(田中一郎コメント)

 ひとたび過酷事故を起こせば、絶大な損害や被害を将来の長きにわたって延々と生じさせてしまう原発・原子力施設、そんな超危険な施設を管理する者として、絶対に過酷事故は起こさないという強い意志と万全の対応や準備のもとに原発は運転されているべきだった。通常の危険施設以上の、あらゆる可能性を考慮した上での、文字通りの厳しい安全管理措置が取られていなければならないし、それがまた、地域住民に対する「絶対に原発は重大な事故を起こし、みなさまにご迷惑をおかけすることはありません」という約束でもあったのだ。

 

 しかし、吉田昌郎所長は、上記にあるように、福島第1原発に所長として赴任してくる前の東京電力本社時代には、福島第1原発の安全性に関する重要な意思決定クラスの幹部であったにもかかわらず、その責務を果たさないまま、目先の損得勘定に拘泥して福島第1原発事故に至っている。吉田昌郎所長のこの「罪」は決して許されるものではない。しかも、この東京新聞記事にもあるように、吉田昌郎所長は、福島第1原発事故後においてさえ、その善管注意義務違反について、深く反省している様子はないのである(それどころか、事実上、しょうがなかったのだと居直っている)。吉田昌郎所長「英雄論」が如何にバカげたことであるか、これを見れば火を見るより明らかだ。

 

2.東京新聞記事

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 <東電は、津波高の想定が最大一五・七メートル(震災時に実際に襲われた津波とほぼ同じ)になるとの社内の試算も得ていたが、具体策は取らなかった>

(問い)「福島第一に十メートルほどの津波が来る可能性があるという話は聞いていたか」

「聞いていた。もっと高い津波が来るなら対策が必要だと常に社長、会長、原子力の本部長以下にも報告していた」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(田中一郎コメント)

 しかし、福島原発告訴団に告発された勝俣恒久元東京電力会長は、大きな津波が来る危険性の話などは東京電力社内では聞いたことがないと、とぼけているそうである。

 

● 福島原発告訴団 HP

 http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/

 

3.東京新聞記事

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(問い)「初めてこの数字を聞いた時の印象は」([津波高の想定が最大一五・七メートル」のこと:田中一郎)

「それは『うわあ』と。入社時は最大津波はチリ津波と言われていて高くて三メートル。非常に奇異に感じた。そんなのって来るのと」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(田中一郎コメント)

 あほか!!

 

4.東京新聞記事

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(問い)東北電力女川原発(宮城県)では、八六九年の貞観津波を考慮している。福島では?」

「福島県沖の波源(津波の発生源)は今までなかった。いきなり考慮するのは、費用対効果もある。お金を投資する根拠がない」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(田中一郎コメント)

 バカか!!

 

5.東京新聞記事

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(問い)「根拠とは」

「専門家の意見。誰がマグニチュード(M)9が来ると事前に言っていたか。結局、結果論の話。何で考慮しなかったんだというのは無礼千万」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(田中一郎コメント)

 ボケか!! 無礼千万は貴様の方だ!!

 

5.東京新聞記事

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(問い)「土木学会の指針には権威、客観性があるか」

「ある。これはオールジャパン。声を大にして言いたいが、原発の安全性だけでなく、今回二万三千人死んだ(実際は死者約一万六千人、行方不明者が約二千六百人)。誰が殺したのか。M9が来て死んでいる。こちらに言うなら、あの人たちが死なないような対策をなぜその時に打たなかったのか」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(田中一郎コメント)

 (御用学会としての土木学会なんぞに権威や客観性が)あるわけねーだろ。安全管理手抜きによる原発の過酷事故と、一般自然災害とをいっしょくたにすんなよな。居直ってないで反省くらいしたらどうだ。

 

6.東京新聞記事

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(問い)津波対策の方針をどう幹部に相談していたか」

「一番重要なのはお金。対策費用の概略をずっと説明していた。経営層に急にお金がいりますと言っても駄目だから。ただ、株主代表訴訟だとか、説明責任を果たし得るベースにはなっていなかった」

 

(問い)「社長や会長の反応は」

「会長の勝俣(恒久)さんは『確率はどうなんだ』と。学者によって説が違うから詰めてもらっているという話で終わって、それ以上の議論になっていない」

「最後は経営はお金だから、本当にお金では苦労していて、私などは一番銭を使った男と言われている」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(田中一郎コメント)

 株主代表訴訟なんぞの話は関係のないこじつけだ。「説明責任を果たし得るベースにはなっていなかった」のは、原発の安全性の方で、ろくすっぽ安全対策をしてもいないのに、しているかのようなふりをして詐欺まがいの行為を繰り返していたということだ。原発とは、(安全性よりも)カネ、カネ、カネ、この吉田昌郎所長の発言に原発の本当の正体がよく表れている。

 

 また、上記で申し上げた勝俣恒久元東京電力会長の「知らぬ存ぜぬ」が嘘八百であることが、この吉田昌郎所長の発言からも見て取れる。今現在、東京検察庁は検察審査会の「起訴相当」の決定を受けて、勝俣恒久他2名=計3名の元東京電力幹部(残り2人は技術系)を起訴するかどうか検討中だが、この勝俣恒久他の東京電力の事故責任者達を起訴して有罪にできるかどうかは、これからの原発の安全管理問題に重大な影響を与える。何故なら、あれだけのいい加減とずさんな管理を繰り返して、これだけの悲惨かつ重大な大事故を起こしてしまったことの責任者が、誰ひとりとして責任を問われることがないというのは、信じがたいモラル・ハザードを生んでしまうからだ。

 

● 原発事故、東電元会長ら「起訴相当」 検察審査会が議決:朝日新聞デジタル

 http://www.asahi.com/articles/ASG703K7HG70UTIL00F.html

 

7.東京新聞記事

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 <福島第一では一九九一年に海水配管の腐食により非常用ディーゼル発電機(DG)が水没した。その前にも建屋地下に大量の雨水が流れ込むトラブルを経験している。にもかかわらず東電は教訓を生かさなかった。もし、発電機や配電盤を高台に移したり、防水性を高めるなどの対応をしていれば、重大事故は防げた可能性は十分ある>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(田中一郎コメント)

 新聞記事には、「数々の地震・津波対策の機会を逃した東電」と題して、過去の多くの契機を時系列で並べてある。以下、その主なものを拾ってみよう。吉田昌郎所長が言うような「結局、結果論の話。何で考慮しなかったんだというのは無礼千万」のようなことではないことがよくわかる。

 

1983年   福島第1原発で、大雨により非常用発電機のある建屋地下に浸水

1991年   福島第1の配管から海水が漏れ、非常用発電機が水没

2007年7月 新潟県中越沖地震が発生、柏崎刈羽原発で想定を超える地震動

       (⇒ 田中一郎:大した地震でもないのに想定を超えてしまった)

2008年2月 福島第1への津波が「7.7m以上」になる可能性があると社内会議で報告

2008年3月 東電が三陸沖地震で福島第1に「15.7m以上」の津波が来る可能性があると試算

2008年5月 東電が、国との勉強会で、津波による全電源喪失の危険性があると報告

2008年8月 東電が、房総沖地震では「13.6m」の津波が来る可能性があると試算

(今回の福島第1原発事故は、上記の試算通りになったということである:田中一郎)

 

8.東京新聞記事

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「九一年に1号機で海水漏れがあったが、誰が想定していたか。冷却系統はほとんど死んで、DGも水に漬かって動かなかった。今回のものを別にすれば日本で一、二を争う危険なトラブル。あれでものすごく水の怖さが分かったが、古いプラント、一回できたものを直すというのはなかなか」

 

(問い)「対応を事前に考えて訓練して備えることはできたのでは」

「おっしゃる通り。ただ、今回のものは十五メートルという思考停止レベルの話」

 

「柏崎(刈羽原発)の新潟県中越沖地震は同時にいった。でも、無事に安全に止まってくれた。設計の地震を大きく超えていたが、安全機器はほとんど無傷だった」「今回のように冷却源が全部なくなるだとか、そういうことには(中越沖)地震でもならなかった。やはり日本の設計は正しかったと、逆にそういう発想になってしまった」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(田中一郎コメント)

 まさに「思考停止」状態だ。「古いプラント、一回できたものを直すというのはなかなか」=これが実際の原発の姿である。我々はいつ爆発するともしれない老朽化した危険極まりない原発の横で「知らぬが仏」を決めこんでいることになる。

 

8.東京新聞記事

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<東電は複数炉の同時事故を想定していなかった。電源が失われても、別の電源から必ず供給されるという思い込みが強かった>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(田中一郎コメント)

 この部分は、一つの原発がやられても、隣の原発が助け船を出す、という風に読むのではなく、一つの原発がやられたら、あたり一面放射能だらけになって人が近寄れず、まもなく隣の原発も次々とドミノ倒しのようなやられていく、と読まなければいけない。日本各地にある原発銀座とは、薄氷の上を歩くようなものであることを自覚すべきだ。そして、その氷の下は「永遠の放射能汚染地獄」である。

 

9.東京新聞記事

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 <福島の事故では、膨大な熱を発する原子炉に、外部からどう注水するかが難しく、水源もまるで足りなかった。炉の制御は電気頼みで、電気がなければお手上げ。原発はもろく、暴走し始めると制御は非常に困難との事実を突きつけた>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(田中一郎コメント)

 こんなものを「五重の壁に守られたほぼ完ぺきに近い安全性」「天文学的な数字の事故発生確率であって無視してよい」などと、御用学者合唱団が日々讃美歌を歌っていたのはついこの間である。そして、再び今、御用学者合唱団は大演奏の準備を始めている。まもなく(再)コンサート「全ての原発はやっぱり安全だ」が始まる。もう一度、だまされてみますか?

 

10.東京新聞記事

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(問い)「本当に最後は海水、とは考えていないのか」

「ない。もし考えていれば、海の水を吸い上げるようなラインを別に設計しておくべきだ。思い至らなかった自分は非常に恥ずかしいと思うが、いろんな仕組みを考えた連中の中に本当にそこまで覚悟を決めて検討した人がいるかどうかというと、いないと思う」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(田中一郎コメント)

 原発の安全を考えようと思ったら「そこまで覚悟を決めて検討」しなければならんのか。だったら、やめとけよ。

 

10.東京新聞記事

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(問い)「原発の制御は、基本的に電動のスイッチで行うイメージ。それで対応できなくなった時のことまでは考えなかったのか」

「三月十一日の前はそういう発想にはいっていないのだろう。スイッチ押せば、その通りに動いてくれるという前提でのマネジメント。これは福島第一だけでなく、オールジャパン、どこでもそうだと思う」

 

(問い)「地下にある電源盤(配電盤)も水没した。そこまでは思いが至らないのか」

「至っていない。水がそこまで来るという発想がない。来たとしても水が出たところを特定すれば止まるという発想」=おわり

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(田中一郎コメント)

「スイッチ押せば、その通りに動いてくれるという前提でのマネジメント。これは福島第一だけでなく、オールジャパン、どこでもそうだと思う」=この状態は、今でも全然変わっていない。つまり、机上の空論の「安全性」で「言葉遊び」をしながら、川内原発、高浜原発、玄海原発、伊方原発といった、西日本の加圧水型の原発が再稼働されるわけだ。再びの原発過酷事故は必至であり、それが(大地震・大津波・大噴火などによって)西日本で起きれば、放射能は西風に乗って日本全土に濃厚に降りかかる。つまり、日本は確実な滅亡過程に入ったということだ。カウントダウン開始である。

 

 <最後に>

 最後に、当時の民主党政権の幹部政治家達のコメントを記事から引用して下記に書いておく。原発政策をうそぶくこれらの「口先やるやる詐欺」政治家達が如何にいい加減で無責任か、私がご説明申し上げなくてもよろしいでしょう。くだらぬゴタク評論を並べているヒマがあったら、さっさと原発を止めて廃炉にすればいいのである。

 

 今後のあらゆる選挙において、この「口先やるやる詐欺」の民主党、そしてそれ以上に、原発利権にしゃぶりつくゴロツキ・ダニ政党の自民党に、絶対に投票をしてはいけない。自民・民主に投票をするということは、「もう一度、原発の過酷事故を引き起こしていただけませんか」という意思表示をしているようなものである。

 

(一部抜粋)「 その時、政府や東電は… 枝野氏ら「安全神話元凶」」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

事故対応に追われた枝野幸男官房長官ら主要な官邸メンバーたちは、事故の背景に何があったかを問われ、それまで日本を覆っていた原発の「安全神話」があると口々に指摘した。枝野氏は調書で「間違いなく言えるのは、やはり安全神話が決定的に大きい」と断言した。

 

「原発は安全だという前提に立ってあらゆることが組み立てられていた。実はここが危ないんだという情報があっても採用できなかった」と指摘し、「絶対的な安全はあり得ないと言わなければならない」と自戒も込めて語った。

 

政府側の事故対応を切り盛りした細野豪志首相補佐官は「(事故対策に)大規模な投資をすれば、危険だからだろうと言われ、いやいや安全なんですという自己矛盾に陥っていた」と、東電自体も安全神話に縛られていたことを指摘した。さらに「自己矛盾に陥っていたことは何度もあり、気がついていたと思う」とも述べ、現場の技術者たちがそれを言い出せなかったことが「まさに安全神話そのもの」だと語った。

 

菅直人首相は、原発の利権構造で結び付いた産・官・学の原子力ムラと呼ばれる体質が、全電源喪失の想定の否定につながったと言及。「事故の起きた3月11日以前に大半の原因があった」と主張している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

草々

« 原発とはデタラメを続けてにっちもさっちもいかなくなるシステムのことである:まだやってる昨今の「出鱈目てんこ盛り」・福島第1原発事故などカンケーネーのか | トップページ | (報告)シンポジウム 全文公開 /「吉田調書」 から見えてきたもの(2014.10.15) »

福島原発事故」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 原発とはデタラメを続けてにっちもさっちもいかなくなるシステムのことである:まだやってる昨今の「出鱈目てんこ盛り」・福島第1原発事故などカンケーネーのか | トップページ | (報告)シンポジウム 全文公開 /「吉田調書」 から見えてきたもの(2014.10.15) »

最近の記事

無料ブログはココログ