東京新聞・吉田調書シリーズ特集記事に見る福島第1原発事故(その実態と事故原因をさぐる):(8)東日本壊滅の危機、一番思い出したくない
前略,田中一郎です。
(別添PDFファイルは添付できませんでした)
東京新聞が9/15よりシリーズで報道し始めた吉田調書(政府事故調による吉田昌郎福島第1原発所長(当時)証言記録)に関する特集記事「調書は語る:吉田昌郎所長の証言」を見ながら、福島第1原発事故の実態とその原因を探ってみたいと思います。第8回目の今日は下記の東京新聞記事です。なお、私のメールでは、このシリーズ特集記事にある、主として吉田昌郎所長証言のあいまいさや、証言から推察される福島第1原発事故深刻化の原因となったであろうことがらを取り上げて、簡単にコメントいたします。
<別添PDFファイル>
● 調書は語る(8):東日本壊滅の危機、一番思い出したくない(東京 2014.9.24)
http://blog.goo.ne.jp/tanutanu9887/e/fb1ce2d4e638e129f3b49c136227f492
(原典)政府事故調査委員会ヒアリング記録 - 内閣官房
http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/hearing_koukai/hearing_list.html
(参考)「東日本壊滅」イメージした〜政府が吉田調書公開 OurPlanet-TV:特定非営利活動法人
アワープラネット・ティービー
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1832
1.東京新聞記事
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東京電力福島第一原発2号機は十四日夜には、ベント(排気)も、注水もできず、打つ手なしの状況に陥った。翌未明には五キロほど離れたオフサイトセンターの線量計が毎時一ミリシーベルト超を計測。このままでは、溶けた核燃料が圧力容器どころか、格納容器も突き破って膨大な放射能をまき散らす可能性が出てきた。吉田昌郎(まさお)所長の脳裏には、東日本壊滅が浮かんでいた。(肩書はいずれも当時)
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(田中一郎コメント)
「吉田昌郎(まさお)所長の脳裏には、東日本壊滅が浮かんでいた」、つまり近藤駿介(当時原子力委員会委員長)の「最悪シナリオ」報告(3/25)よりもずっと前に、吉田昌郎所長は東日本の壊滅を予測していたということだ。おそらくは、福島第1原発に関係していた大半の人間は、そのように思ったであろうということである。しかし、それはその当時、表に出ることはなかった。
当時(3/14~15)のTVや新聞は、炉心溶融も認めず、「ただちに健康に影響はない」だの「原子炉の安全は確保されている」だのと、「たいしたことはない」PRのために、政府・東京電力・御用学者総動員の根拠レスな楽観的見通しや「大本営発表」を繰り返していたことを思い出そう。原子力推進・原発の正体が、万人の目に赤裸々に見えた瞬間だからだ。政官財とマスゴミ・似非アカデミズムの5つが「炉心溶融」して混ざり合い、日本を破局に向かわせる、本当のことは有権者・国民には徹底して隠し続け、その破滅的結末は最後の最後に有権者・国民に転嫁される、これが原子力推進・原発の本性だ。
●原発事故直後、政府が作成した「公表されなかった最悪のシナリオ」 - みんな楽しくHappy♡がいい♪
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1297.html
2.東京新聞記事:吉田昌郎所長の「最悪シナリオ」
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「完全に燃料露出しているにもかかわらず、減圧もできない、水も入らないという状態が来ましたので、私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。ここで何回目かに死んだと、ここで本当に死んだと思ったんです」
「2号機はこのまま水が入らないでメルト(ダウン、炉心溶融)して、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出ていってしまう。そうすると、放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故ですから。(旧ソ連の)チェルノブイリ(原発事故)級ではなくて、チャイナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう。そうすると、1号、3号の注水も停止しないといけない。これも遅かれ早かれこんな状態になる」
「結局、放射能が2F(福島第二原発)まで行ってしまう。2Fの4プラントも作業できなくなってしまう。注水だとか、そういう作業ができなくなってしまうとどうなるんだろうというのが頭の中によぎっていました。最悪はそうなる可能性がある。ここはじっと水が入るのを祈って待つしかないと思っていました」
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(田中一郎コメント)
1号機、3号機も、事情はまた同じだったのではないか。容易には炉心に注水ができなかった2号機とは違い、1,3号機は何とかベントもでき、爆発による中断はあったものの、当初は消火系を通して真水、または海水が注入されていた。しかし、後日判明したところによれば、この消火系を通じての注水は、その大半の水が炉心へ向かわず、途中の配管の分岐点でそれてしまって、復水器の方に行っていた、というのだ。、
他方で、吉田調書を見ると、2号機でも、まったく注水ができなかったわけではなく、時折、SR弁(主蒸気逃し安全弁)が開いて圧力容器が減圧でき、その際にある程度の水の炉心への注入はできていた、というのだ。そうすると、いったい1,3号機と、2号機の違いはどこにあったのだろうか。いわゆるベントイができたかできなかったか、の違いだけなのか。
いずれにせよ、1,3号機も2号機も、炉心溶融をしていて、ドロドロに溶けた核燃料は少なくとも圧力容器の外に出てしまったであろうと思われる。上記で吉田昌郎所長が言う「チャイナ・シンドローム」は、1~3号機のいずれの号機においても起きておかしくなかったのである。しかし、現実にはそこまではいかなかった。それは何故なのか、未だによくわからない(隠されているのかもしれないし、報道機関が理解できていないので、報道されないだけなのかもしれない)。「それからの1~3号機」(爆発後の1~3号機)の実態・推移について、詳しく知りたいものである。
(それから、新聞記事には「吉田所長の頭をよぎったのは・・・・」という表題で、破綻していく2号機のポンチ絵が描かれているが、それには格納容器のふたが開いて、そこから放射能の煙がもくもくと出て行く図が描かれている。また、使用済み核燃料プールからも放射能の煙のもくもくが出ている。しかし、使用済み核燃料プールの方はともかく、格納容器の方は違うのではないか。ふたが開いて放射能が出て行くのではなく、格納容器が内側からの圧力に耐えかねて、爆発するように粉々に吹き飛んでしまう(爆発的に破壊される)のではないのか。また、格納容器の下に溶け落ちた溶融核燃料からも放射能が発散するが、それは図には描かれていない。東京新聞もよくわかっていないような気がする)
● 主蒸気逃がし安全弁系統概略図
● 解明されない謎 福島第1原発の1号機SR弁、4号機爆発映像 - 逝きし世の面影
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/447414c32b530de6792bc1ea50277257
3.東京新聞記事
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「電話で武藤に言ったのかな。こんな状態で、非常に危ないと。操作する人間だとか、復旧の人間は必要ミニマムで置いておくけれども、退避を考えた方がいいんではないかという話をした記憶があります」
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(田中一郎コメント)
これは事実上「撤退」と言っているのと同じではないか。こんなわずかばかりの人員を残してみたって、何も出来っこないだろうから、全員いなくなってしまうのと大して変わらない。昔、沈みゆく大日本帝国の軍艦に、艦長や海軍士官たちが大破した軍艦に体を縛り付けて、軍艦とともに太平洋に沈んでいったシーンが思い浮かぶが、それを「撤退」ではなくて「退却」だ、などと言ってみても、単なる言葉のお遊びにすぎない。まさに福島第1原発は、吉田昌郎所長も合議のうえで、放棄されようとしていたということだろう。
4.東京新聞記事
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-SR(主蒸気逃し安全)弁がなかなか開かない。
「開いたんですが、なかなか圧が下がらない。どんどん水位は下がっているなと。炉圧が下がり、水を入れるというタイミングのときに、ポンプが消防車の燃料がなくなって、水が入らないと。そこでもまたがくっときて、(燃料を)入れに行けという話をしていまして、これでもう私はだめだと思ったんですよ。私はここが一番死に時というかですね」
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(田中一郎コメント)
「炉圧が下がり、水を入れるというタイミングのときに、ポンプが消防車の燃料がなくなって、水が入らないと。そこでもまたがくっときて、(燃料を)入れに行けという話をしていまして」、これはつまらないチョンボの話で、自慢することではない。福島第1原発事故の現場への、軽油やガソリンその他の必要物資の補給が、まったくきちんとできていないなかったことが明らかになってきているが、それが何故なのかは、検証されようともしていない。こんなことでは、また再び、低レベルの「補給できません、してません」の失敗を繰り返すだろう。
5.東京新聞記事
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「水が入ったら、過熱した燃料に触れますから、ふわっとフラッシュして、また水が入らなくなる。」
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(田中一郎コメント)
ベントができない2号機に、しかし主蒸気逃し安全弁(SR弁)は時折開いたり閉ったりしていた2号機に、水がなかなか注水できなかった理由は、これのようである。この辺のところは、過酷事故時の炉心冷却対応として、「非常用炉心冷却装置(ECCS)」の有効性と併せて、工学的な詳細な検討がなされるべきである。しかし、福島第1原発事故後において、この2号機の当時の詳細な実態把握と事態改善へ向けた取組や検討がなされた様子がない。
それどころか、今進められている加圧水型原子炉の再稼働のための新規制基準では、炉心溶融が始まったら炉心への注水をやめ、ドロドロに溶けた溶融炉心が圧力容器の底を抜けて、格納容器の下部に「ぼたぼた」と落ちてくるのを(冷却)水をためて待ち受ける、などという「半発狂」的対策を是としているのである。水蒸気爆発で一巻の終わりとなるか、格納容器の損傷を早めるだけにしかならないのではないか。過酷事故に対して、「何もせんぞ」と「居直」っていては、死期を早めるだけだ。
6.東京新聞記事
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<吉田氏が言うタイミングとは二十一時十九分、やっとSR弁が開き、ポンプが回り、炉の水位が回復した時のことだ。「まだ望みあるよ」「やった!」の声がテレビ会議で響いた>
<「一秒一秒胸を締め付けられるような感じ」の緊張から一息つけた吉田氏だが、二十三時前になると、またもSR弁が閉まって炉の圧力が上昇。注水できなくなった。本店社員からは「高圧で炉心損傷すると、数時間で格納容器破損ということです」と恐ろしい説明もされた。オフサイトセンターのデータを見ても、放射線量はどんどん高くなっている。調書には、深夜から翌十五日朝までの炉や作業の状況がほとんど記されていないが、炉圧は比較的安定し、一応は継続的に注水ができたとされる>
(問い)「炉圧が落ちたあたりは水が入ったような。
「入っていると思っています。確実に入っている」
(問い)「それで皆さん、退避せずに踏みとどまってやっておられた」
「そうです」
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(田中一郎コメント)
2号機の具合が一進一退だったので、福島第1原発では人が残ってがんばっていた、ということだそうだ。「全員が死を覚悟してがんばって残っていた」わけではない。大日本帝国時代の日本軍のようなことを想像してはいけない。
7.東京新聞記事:その時、政府や東電は…
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「細野豪志首相補佐官はこの日、予期していたのに、3号機の水素爆発を止められなかったショックもあり「制御不能だと思ったのはこの日ですね。本当にまずいと思いました。この日は」と調書で語る。」
「吉田氏とは携帯電話で連絡を取っていたが、調書の中で「未明ごろ、吉田さんと話した記憶は」と問われ、細野氏は「本当に人生で初めての緊張感の中でやっていたので、そこは覚えていないんですよね」と説明する。」
「枝野幸男官房長官も、不安定な状況に振り回された。「(深夜から未明に水が)入っていますという話があったのかどうかは記憶がない。あったとしてもこういう繰り返しでしたから、本当に入り続けるのか、ほっとする情報が入っていたわけではない。一喜一憂しながらという状況の中で、何が入っていたかまでの記憶はないです」と答えた。」
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(田中一郎コメント)
細野豪志と枝野幸男、それに、ここにはいない野田佳彦を併せて「ウソツキ団子3兄弟」と申し上げていいように思うが、上記にある「証言」なるものも、全く信用ならない。細野豪志(当時原発事故担当相)と枝野幸男(当時内閣官房長官)ともに「覚えていない」「記憶にない」とのことである。都合悪けりゃ、みな忘るるなり、だ。まるで、ロッキード事件の時に「証人喚問」された故小佐野賢治氏のごとくである。ちなみに、2012年12月の衆議院選挙、2013年7月の参議院選挙では、民主党は議席を激減させたが、その際、かろうじて当選してきたのは、こうした民主党の中でも、ろくでなしの一級品のような連中ばかりだった(落選したのは徳島の「おとど」さまくらいのものである)。悪い奴ほどよく眠り、長生きをする、日本の政治の世界は、さしずめ「悪の華咲くデビルの楽園」のごときである。くそくらえだ。
● 小佐野賢治 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%BD%90%E9%87%8E%E8%B3%A2%E6%B2%BB
<最後に>
新聞記事のもう一つの図が「福島のオフサイトセンターで観測した放射線量」という時系列の推移図だ。しかし、これも私はおかしい、ないしは不十分と思う。何故なら、オフサイトセンターは福島第1原発からは少し離れた場所にあり、原発事故による事故現場の放射能のすさまじさをビジブルには伝えていないと思うからだ。何故、福島第1原発敷地内の放射能モニターの数字の推移を、誰もがわかるように明示しないのだろうか。福島第1原発事故からこれまでの3年半にわたり、私は福島第1原発敷地におかれていた全ての放射線モニターの数字の推移をくまなく見たい。
草々
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