「放射能・放射線は心配するほどのことではない」(放射線安全神話)にだまされないために
前略,田中一郎です。
<「放射能・放射線は心配するほどのことではない」(放射線安全神話)にだまされないために>
新聞・TV・雑誌やネット上に氾濫する「放射線安全神話」言論にだまされないための基礎知識を4つばかり書いておきます。ご参考にしてください。
1.外部被曝と内部被曝は全くの別物です。外部被曝と内部被曝を、あの原子力ムラがでっちあげた放射線被曝評価のインチキ概念(単位)である「シーベルト」に換算して、足し合わせたりしてはいけません。そんな合計数値に何の科学的実証的根拠もありません。
(外部被曝と内部被曝の違い:詳細は下記URL参照)
●外部被曝=全身まんべんなく被ばくすることが多い、放射線の来ないところ・少ないところに隠れれば放射線被曝はある程度防げる
●内部被曝=人間の体の特定臓器や部位を極所的・集中的・継続的に、超至近距離から猛烈に被ばくする。放射性物質が体内に入るので避けようがない。放射性物質によっては、一生、体の外に出てこないようなものもある(プルトニウム、放射性ストロンチウムなど)
イメージで言えば、外部被曝は「燃え盛るマキのそばで暖をとる」こと、内部被曝は「その燃え盛るマキを口から飲み込む」こと、内部被曝の生物学的・医学的危険性は、経験科学的に、実証的に検証されていない、定量化されていない=よくわからない、研究が妨害・抑圧され続けてきた。
内部被曝は、下記の3通りの経路がある。この3つの中で、現在の福島県をはじめとする放射能汚染地帯で最も危ないと思われるのは呼吸被ばくです。
a.体の傷口から放射性物質が侵入してくる(これは気を付ければ、ある程度防げる)。
b.飲食による内部被曝(これも人間社会がきちんと検査して表示をして、汚染物を避けるようにしていれば、ある程度防げる:しかし現状では全くダメ)
c.呼吸被ばく(汚染地帯にいる場合には、厳重な防護マスクをすれば、ある程度は防げますが、そんなものをいつもしているわけにはいきません)
福島県の住民の方々も、それ以外の都県の方々も、生産者・農家の方々も、森林内で林業作業をする方々も、漁師の方々も、呼吸被ばくに要注意です。
<放射線被曝をどう考えるか:「いちろうちゃんのブログ」より>
●(増補版) 放射線被ばく評価の単位 「シーベルト」 への疑問 いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-9ead.html
(参考)放射線被曝の単位「シーベルト」はどのようにインチキなのか?
いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-1ba9.html
(参考)ICRP国内メンバーによる内部被曝論はいかなるものか いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-2747.html
●(セシウムの百倍の危険性) 放射性ストロンチウムをなぜ調べないのか
いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-cc7b.html
2.恒常的な低線量被曝(外部被曝・内部被曝)は非常に危険です。
簡単にいえば、人間の体が休む暇なくずっと放射線被曝をし続けるということは非常に危険だということです。あまり説明を要しないと思います。人間の体が休む暇もなく被ばくさせられ続けると、壊れたDNAが回復できないだけでなく、さまざまな潜在的危険性が顕在化する可能性が高くなるのです。いわゆる「保養」(放射線で汚染されていない土地に行って、汚染されていない飲食物を食べ、きれいな空気を吸って、体を休めること(最低1カ月~45日くらいは「保養」しないと効果薄です)が大切だと言われるのは、そういうことだからです。
「生物学的半減期」という言葉があって、よく放射能や放射線被曝を安全だと言いたい時に使われますが、これも原子力ムラのインチキが隠れているので要注意です。簡単に申し上げれば、「生物学的半減期」は個体差・個人差が大きいということと、「生物学的半減期」に実証的な根拠が乏しいということです(言い換えれば、ごくわずかな経験値から平均値をとって、まあ、こんなもんだろう、と決められているということ)。私は、「平均値」をとっていることが、人命軽視のけしからぬ話だと思っています。人間の命や健康にかかわることで、その安全規制を考えるのに「平均」をとるということは、その「平均値」以下の人々(=この場合で言えば、他の人たちよりも長い間、放射性物質を体内にとどめ置いてしまう人、その分、被ばく量が多くなる人)のことはどうでもいい、他の人よりもたくさん被ばくして体がおかしくなっても、それは「平均値以下」なんだからしかたがない、切り捨てて考える、そういう非人間的な「含意」があるということを意味します。
「生物学的半減期」を、人間以外の生物を対象にして、単なる実験観察概念として使うのなら「平均値」でもいいかもしれませんが(しかし、素直に「○○~○○」とすればいいだけの話ですが)、こと人間の命と健康にかかわる規制値に関係して使う場合には、最も長いもの・人体に最もひどい影響を及ぼすケースの人、を「(規制値用)生物学的半減期」とすべきでしょう。また、有害化学物質や有害金属などの場合のように、危険物資である放射性物質に対して規制する場合は、安全バッファ(安全余裕)を設けておくべきでしょう。原子力や放射能の世界は、このような非人間的な考え方で溢れかえっています。もちろん「生物学的半減期」は、シーベルト(放射線被曝の単位)換算による人間の被ばく量評価に密接に関係します。
いずれにしても、恒常的な低線量被曝(外部被爆・内部被曝)に晒される状態下に置かれた人々にとっては「生物学的半減期」は無意味です。何故なら、一旦体内に入った放射性物質が少しずつ体外に出て行くとしても、他方で、恒常的な低線量被曝状況下で、日々不断に新たに放射性物質が体内に侵入してくるわけですから、結果的に体内には放射性物質は残留し続けます。それどころか、環境次第では、徐々に徐々に体内の放射性物質は増えて行く可能性もあります。「生物学的半減期」どころの話ではありません。少なくとも、物理学的半減期が長く、一旦体内に入ったら、特定の臓器や部位に濃縮して蓄積し続ける放射性核種については、一方的に体内で増えるばかりです。その意味では、「生物学的半減期」など、インチキ・マヤカシ、のたぐいにすぎないのです。「生物学的半減期」なるものが通用する世界は、たった一度だけ被ばくをし、その後は、放射能汚染のないきれいな環境下で生活する場合ですから、現下の福島第1原発事故後の福島県や東日本の放射能汚染地帯に適用するのはおかしな話だと思われます。「生物学的半減期」=そんなのカンケーネーなのです。
3.放射線被曝は難しく考える必要はありません。放射線が持つ猛烈なエネルギーで、人間の体のミクロ世界がめちゃくちゃにされてしまう、という風に原理的に考えれば簡単なことです。
放射線被曝の問題を、さも深遠で高邁・難解な高度科学の問題であるかのごとき体裁が施され、我々一般市民が煙に巻かれてしまうことがありますが、そんなものは相手にしなくていいのです。放射線被曝は「原理的に考える」ことで、簡単に理解できます。
私たちの体は無数の細胞からできていて、その細胞は更に、たくさんの原子や分子がつながってできています。原子や分子は「つぶつぶ物質」と思えばいいでしょう。その体を構成する「つぶ」と「つぶ」が、小さな電気的なエネルギーで、いわば手と手を取り合って繋がっている状態が「健康状態」の体です。そこへ、猛烈なエネルギーをもった放射線が飛んできて(粒子放射線=アルファ線、ベータ線、と電磁波放射線=ガンマ線、エックス線がある)、このつなぎ合っている手と手を、バサーと、切り落としてしまうのです。その放射線の威力というか、パワーというか、そのエネルギーは猛烈に大きく、人間の体を構成する分子・原子のつなぎ合うエネルギーの何万倍・何十万倍・何百万倍の大きさです。こんなものに、ぶち当たられては、人間の体はひとたまりもありません。
たとえ話で言えば、硬式野球のボールが猛烈な勢いで飛んできて自分の顔面に当たる、と考えていただければいいでしょう。高速で飛んできた硬式野球のボールは人間の顔面にぶち当たって止まり、そのエネルギーが全部顔面に吸収されます。しかし、ボールを受け止めた顔面の方は、ボロボロになってしまうでしょう。放射線被曝とは、猛烈な勢いで飛んでくる硬式野球のボールのような放射線を、人間の体が受け止めているのです。
被ばくでもう一つ大事なことは、放射線が痛めつけるのはDNAや遺伝子だけではない、ということ、言いかえれば、人間の体のあらゆる組織や生命秩序のようなさまざまな機能を、その猛烈なエネルギーでめちゃくちゃにしてしまうということです。よく原子力ムラ・放射線ムラがやっている、放射線被曝による遺伝子損傷とその修復論なんぞにだまされてはいけません。また、原爆病の一種で、体全体がだるくてたまらない「ぶらぶら病」という被ばく障害が時折話題になりますが、「ぶらぶら病」は、こうした放射線被曝によって、体の細胞レベルのミクロ世界の生命秩序が破壊された結果だと考えれば、理解できると思います。そして、恐ろしいことに、放射線被曝の健康障害は累積被曝量に比例すること(言い換えれば、被ばく履歴は消えないということ)、更に、この放射線被曝による健康障害に対する有効な治療法というものはない、ということも知っておく必要があります。
それから、放射線被曝による遺伝的障害は深刻な問題です。しかもこれは、必ずしも目に見える形で出ないこともあります。それは、遺伝には、いわゆる優性・劣性(メンデル遺伝の法則の世界)があるからです。放射線被曝の遺伝的障害(遺伝子損傷や変異、特定のエピジェネティクス的異常など)が、目に見えない形で、子子孫孫まで続いていくことになります。「ゲノム不安定性」という、最近発見されている「エピジェネティクス的現象」も、放射線被曝の健康被害として認識されつつあります。
4.自然放射能と人工放射能は、その危険性が全く異なる(放射能=放射性物質と放射線を区別して考える)
放射能とは、放射線を出す能力、または放射性物質のことを言います。そして、その放射線は、自然界のものであろうと、人工の放射性物質から出るものであろうと、その放射線のエネルギーこそ違え、実体としては同じものです。つまり放射線は、エネルギーが同じなら、同じ種類の放射線は同じだけ危ない。自然も人工も、その差はない、と考えていいです。
しかし、放射能=放射性物質となると、自然界にあるものと、人工的にできたものとでは、全然違います。人工放射能は自然放射能に比べてはるかに危険です。何故なら、放射能=放射性物質は、その化学的性質(電気的性質)によって生物や人間の体内で挙動するからです。
自然放射能の代表的なものは、カリウム40であり、またラドンなどです。これらは人間の体内に入っても、特定の臓器や部位に滞留することなく、間もなく出ていきますし、また、体内に薄く広くまんべんなく広がって分布するという特徴があるものもあります(カリウム40)。こうした自然放射能がもたらす健康上の悪影響は、ないとはいえませんが、限られたものと言えるでしょう。人間を含む地球上の生物は、こうした自然放射能のもたらす危険性と「共存」し「適応」して、これまで生き延びてきました。自然放射能に対しては、一応の生物学的対処が終わっていると言ってもいいでしょう。
ところが、人工放射能については、地球上の生物は人間も含めて「未知との遭遇」です。生物はこの新物質・人工放射能に対する対応の仕方を知りません。ですから、既往の危険性のない非放射性の同位体と同じように(つまり放射性も非放射性も化学的性質は同じ)、人工放射能は生物体内で挙動し、その結果、深刻な健康被害をもたらすことになるのです。放射性ヨウ素が、一般の非放射性ヨウ素とともに甲状腺に集中的に濃縮し、甲状腺ガンをはじめ、甲状腺の様々な機能障害をもたらすのはそのためです(人間の体は、放射性ヨウ素と非放射性ヨウ素との区別ができません)。
放射線にはエネルギーの大きさの違いしかありませんが、放射能(放射性物質)となると話は違います。人工放射能は危険です。人間の体内では、その人工放射能が放射線を放つのです。自然放射能は危険でなくはないですが、人間の体は長い「適応」の歴史を経て適切に対処している、ということです。
最後に、危険極まりない人工放射能を安全だと人々をだますために、原子力ムラ・放射線ムラはよく自然放射能による放射線被曝をたとえ話に出しますが、ナンセンスです。それは、人工放射能に被ばくしたからといって、その分、自然放射能の被ばくが減るわけではなく、「上乗せ」被ばくとなることを考えても自明です。また、航空機内の被ばくや医療被ばくなどは、被ばく者が一定のメリットを享受するために、自身が選択して被ばくするものですが、原発事故や原水爆実験などによる被ばくは、被ばく者が選択したことでもなければ、望んだわけでもなく、害悪だけが一方的に押し付けられたものであって、そんなものと比較して、被ばく量が大きい小さいなどという議論は、無意味である以上に有害と言えるでしょう。こういうものにもだまされてはならないのです
(また、日本の医療被ばくは世界的に見ても最悪の状態で、学校や職場での健康診断や病院での検査をはじめ、医療分野での放射線利用のあり方について、抜本的な見直しが求められるようになってきています)
草々
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