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2014年9月25日 (木)

東京新聞・吉田調書シリーズ特集記事に見る福島第1原発事故(その実態と事故原因をさぐる):(2)苦悩のベント、水素爆発、「早くやれ」一点張り

前略,田中一郎です。

(別添PDFファイルは添付できませんでした)

 

東京新聞が9/15よりシリーズで報道し始めた吉田調書(政府事故調による吉田昌郎福島第1原発所長(当時)証言記録)に関する特集記事「調書は語る:吉田昌郎所長の証言」を見ながら、福島第1原発事故の実態とその原因を探ってみたいと思います。昨日に続き、第2回目は下記の東京新聞記事です。なお、私のメールでは、このシリーズ特集記事にある、主として吉田昌郎所長証言のあいまいさや、証言から推察される福島第1原発事故深刻化の原因となったであろうことがらを取り上げて、簡単にコメントいたします。

 

 <別添PDFファイル>

● 調書は語る(2):苦悩のベント、水素爆発、「早くやれ」一点張り(東京 2014.9.17) http://blog.goo.ne.jp/tanutanu9887/e/f9e111b71b840643a820ec874da0e486

 

1.東京新聞記事

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「 東京電力福島第一原発1号機では、吉田昌郎(まさお)所長ら現地対策本部は、非常用冷却装置(IC)による炉心冷却がずっと続いていると誤認していた。冷却が止まった炉内では、三月十一日夕には炉心溶融が始まっていた。」

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(田中一郎コメント)

 非常用復水器(IC:Reactor Core Isolation Cooling Condenser)はスクラム(原子炉緊急停止)とともに自動的に止まり、その止まること・止まっていることを吉田昌郎所長は知らないでいて、非常用復水器がずっと炉心を冷やし続けていると思っていた、などという証言は怪しい限りである。現場では、作業員が何故だかわからないが、非常用復水器を手動で止めたり稼働したりしていた。やはり元日立の原子炉設計技師・田中三彦氏が言うように、非常用復水器か、あるいはその周辺にある配管類に地震の揺れによる破損が生じ、そこから冷却水が漏れ出す事態になっていて、それを何とか現場が食い止めようとしていたのではなかったか。そのことは、福島第1原発1号機周辺で高い放射線量が検出されていることとも平仄が合う。また、田中三彦氏が国会事故調調査員だったときに1号機に現場調査に入ろうとして、東京電力からウソをつかれて調査を妨害されたこととも整合的だ。東京電力他の関係者は「何かを隠している」(地震の揺れによる1号機の破損)のではないのか?

 

2.東京新聞記事

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「私もこの事象に初めて直面しているので、はっきり言って分からないんですよ。細かい現場の状況が。計器が見えていないし、中操(中央操作室)の状況の電源、真っ暗だとか、主要計器が消えている。AO弁(空気作動弁)のエアがない、もちろんMO弁(電動駆動弁)は駄目だと。・・・・・」

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(田中一郎コメント)

「AO弁(空気作動弁)のエアがない」とはどういうことか。NHKがだいぶ前に福島第1原発事故の特集番組を放送した際、福島第1原発の3号機では、原発の弁その他の機器類を作動させる「空気圧」を使った制御系の配管が地震で破損して高圧の空気が漏れ、制御系として機能しなくなった旨の説明をしていた。ここの意味はそういうことなのか。いずれにせよ、この吉田昌郎所長証言からの教訓は、(1)中央制御室の「明り」を独立した非常用電源で確保しておけということ=中央制御室はいかなることがあっても真っ暗にはならない、(2)AO弁(空気作動弁)の耐震性や非常事態時の機能性確保について、万全の対応をせよ、ということだ。しかし、原子力「寄生」委員会・「寄生」庁は、そのような問題意識もないまま、こうした福島第1原発事故の教訓を生かすこともなく、川内原発再稼働にGOサインを出そうとしている。また、安倍晋三・自民党政権の阿呆の政治家どもは、何でもいいから原発をそろそろ動かせと大騒ぎ状態だ。

 

3.東京新聞記事

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「本店なり、東京に連絡しても、その辺は伝わらないですから。早くやれ、早くやれというだけの話です。本当の現場、中操という現場、準現場の緊対室(対策本部の円卓)、現場から遠く離れている本店と認識の差が歴然とできてしまっている」

 

「一番遠いのは官邸ですね。大臣命令が出ればすぐに開くと思っているわけですから、そんなもんじゃないと」

 

「十二日六時五十分に、経産相からベント実施命令が出たが経過は。

 「知りませんけれども、こちらでは頭にきて、こんなにはできないと言っているのに何を言っているんだと。実施命令出してできるんだったらやってみろと。そういう精神状態になっていますから。できないんですよと言っている話がちゃんと通じていかなくて、何か意図的にぐずぐずしていると思われていたんじゃないかと思うんですけれども」

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(田中一郎コメント)

 吉田昌郎所長の証言には、こうした本店に対する「うらみ事、苦情」がやたら多い。その気持ちはよくわかる。今回の福島第1原発事故後の対応において、勝俣会長・清水社長以下の東京電力幹部達、あるいは本店実務部隊の対応のお粗末ぶりにはあきれるばかりである。私の経験で申し上げれば、東京電力本社の幹部達が、、日々、会議用ペーパー作りに励み、現場を軽視して会議ばかりをやって、言い訳上手のノーナシ状態が続いていたが故の必然的結果と見ていいと思う(そして、民主党の政治家どもが牛耳る首相官邸(対策本部)に至っては、そのお粗末さ加減は極致に達していた)。

 

 しかし、それの裏返しとして、吉田昌郎所長自身の東京電力本社や首相官邸(対策本部)や、現地のオフサイトセンターとの意思疎通・情報共有化・本部への必要事項の要請などなど、現場のトップとしての当然の責務は果たしていたのか。自分が身に余るほどの仕事量になっていたのなら、その役割を一定の範囲で発電所の幹部クラスの部下に分担分けをし、現場組織としての対応能力向上にどれだけ努めていたのだろうか。ひょっとして、福島第1原発では、吉田昌郎所長以外は現場管理を全くできない無能人間ばかりが幹部クラスを構成していたということなのか。原発・核燃料施設の危機対応の現場での在り方として、吉田昌郎所長以下の役割分担や動き方について、実際に起きたことを厳しい目でレビューし、今後の現場危機管理体制構築の教訓にすべきである。

 

(危機的事態になって現場が大変だった場合、日本は昔から現場にいてがんばった人間を英雄化し、返す刀で本部=指揮命令者を馬鹿呼ばわりして、それで終わってしまい、本来なすべき「組織的な危機対応の在り方、役割分担や一つ一つの行動の反省」などをやろうとしなくなる傾向にある。これはまことによろしくない精神構造・組織風土で、こういうことだから、何度も何度も「敗戦」={失敗」を繰り返すのだろう。「失敗の研究」が全く足りない)

 

4.東京新聞記事

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「できないんですよと言っている話がちゃんと通じていかなくて、何か意図的にぐずぐずしていると思われていたんじゃないかと思うんですけれども」

(中略)

「なかなかその雰囲気からしゃべれる状況ではなくて、現場は大変ですよということは言いましたが、何で大変か十分説明できたとは思っていません」

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(田中一郎コメント)

 上記3.で申し上げたことが、この2つの相反する吉田昌郎所長証言によく出ていると思われる。簡単に言えば、東京電力本社もひどいけれども、吉田昌郎所長の方にも問題は山ほどあるのだということである。だからこそ、菅直人(当時首相)をはじめ首相官邸には全くと言っていいほど現場情報が入らず、どうなっているのかさっぱり分からないまま、悪い情報が逐次、結果だけ伝えられるという事態が続いていたのだろう。この状態に菅直人がプッツンして、福島第1原発へ飛んでいき直接現場を自分の目と耳で確かめたり、東京電力本社へ乗り込んで東京電力幹部どもの尻を蹴り上げたのはやむを得ないことだったと思われる。そうしなければ、何が何だか分からないままに事態は推移し、結果はよりひどいものになっていた可能性が高い。

 

5.東京新聞記事

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『ベントどうなった』というから、『われわれは一生懸命やっていますけれども、現場は大変です』という話はしました。記憶はそれくらいしかない。時間はそんなに長くなかったと思います」

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(田中一郎コメント)

「記憶はそれくらいしかない」というのはおかしな話である。吉田昌郎所長証言には、肝心なところでこれが多い。何かを隠してしゃべらない、あいまいにしてごまかしている雰囲気がある、紙一重の幸運により、かろうじて最悪事態を免れた福島第1原発事故の教訓をしっかりと後世に残し、二度と自分が経験したような地獄を誰にも経験させない、という強い意志が吉田昌郎所長には感じられない。かような人間を「英雄」に仕立て上げてはいけない。

 

6.東京新聞記事

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-水素爆発の可能性は全く考えなかったのか。

 「われわれは思い込みが強いんですけれども、格納容器の爆発をすごく気にしたわけです。今から思えばあほなんですけれども、格納容器が爆発するぐらいの水素、酸素が発生しているのに、それが建屋にたまるところまで思いが至っていない。今回の大反省だと思っているんだけれども、思い込みが、あそこが爆発するとは思っていなかった。原子力屋の盲点、ものすごい大きな盲点」

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(田中一郎コメント)

 福島第1原発事故から30年ほど前にスリーマイル島原発事故があり、その時に水素爆発の危険性が最も懸念される焦眉の大問題になっていた。スリーマイル島原発は福島第1原発とは違い加圧水型の原子炉で格納容器が大きく、炉心溶融などの過酷事故があって水素が大量発生しても、水素爆発は比較的起きにくいといわれていた、その型の原発で、まさに水素爆発の危険性が事故対策に当たる関係者を深刻に悩ましていたのである。そのスリーマイル島原発事故の教訓を、日本の原子力ムラや東京電力、あるいは日本の原子炉メーカーらは、どのように学び、どのようにそれを実際の原発に活かしてきたのか。

 

 「今から思えばあほなんですけれども」と吉田昌郎所長は話すが、まったくその通りの「あほ」としか言いようがない。どうしてくれるのだ! 炉心溶融 ⇒ 水蒸気・ジルコニウム被覆管反応 ⇒ 水素ガス大量発生 ⇒ ガス漏れ ⇒ 爆発、というのは、容易に考えが及ぶ危機シナリオである(最近は「事故シーケンス」などと言うとるらしい=言葉でかっこつけても、中身がすっからかんの原子力ムラの”あほ”言葉にすぎない)。その何十年も前に明らかになっていた原発事故のリスクを、むざむざと、何のなすすべもないままに、そのまま顕在化させてしまっているのである。腹立たしいにもほどがある。何故なら、この水素爆発によって、福島県をはじめ東日本一帯が猛烈な放射能汚染地帯となってしまったからだ。許してくれと言われても許せん話である。

 

 加えて、もう一つ言っておくべきは、1号機の水素爆発から、3号機、4号機、2号機と、それぞれ爆発していくまでには、相応の時間があったはずで、何故、その間に、更なる水素爆発の防止対策・対応を、東京電力本社や首相官邸などと相談しながら手を打たなかったのか。少なくとも2号機は、原子炉建屋の壁にある大きな窓が開いていたので、建屋の水素爆発はなかった。建屋の窓を開ける、ダメなら、建屋の一部を壊して、水素が外へ逃げて行くようにする、くらいのことはできなかったのか。

 

 また、4号機の水素爆発は、3号機と4号機のベント管が「共用」となっていたために、3号機からベント排出された水素ガスが4号機に逆流して、それが爆発したという。それが本当なら、この4号機の水素爆発は、業務上過失、として、刑事告発する必要があるだろう。ドライベント装置は、アメリカではスリーマイル島原発事故を受けての原発の安全性の再検証の結果、設置が義務化された追加安全装置の1つである。しかし、日本では、それは設置義務化されることはなく、「電力会社の一層の安全性確保へ向けた努力事項」として、当時(1990年頃)の原子力安全委員会の原子力ムラ御用人間たちによって位置づけられ、(設置するか否かは電力会社の任意であり、プラスアルファの装置なのだから、とばかりに)手抜き工事がされたり、設置見送り(日本原電・敦賀原発1号機)となったりしてしまった。こうした追加安全対策の「手抜き」の結果が、4号機の水素爆発である。

 

7.東京新聞記事

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「首相、ヘリ視察強行

ベント成功の報が入らない官邸では、いら立った菅直人首相が、ヘリで福島第一に行くと言いだした。だが、首相が官邸を空けることになる。

 

「政治的には絶対にあり得ない。政治的パフォーマンスとしてやるんだったら、むしろマイナス効果の方が大きい。それは分かっていますね」。枝野幸男官房長官は明確に反対した。

 

細野豪志首相補佐官は内心は反対だったが、「あの首相にスイッチが入った」「行くと決めたら行く人」と考え、反対は口にしなかった。「ベントを遅らせたのでは」との念に苦しんだが、後に吉田昌郎所長がまったく影響がなかったと聴取に答えていることを聞き、ほっとしたという。

 

 賛成だったのは福山哲郎官房副長官。「原発の状況も確認したい。相当、首相の中でストレスがたまっているのです。『私が直接、吉田昌郎所長とやる』という感じ。行かなかったら、現場も見ないで指揮したのかと、マスコミにたたかれる」と聴取に答えている。

 

海江田万里経済産業相は「原子力の問題で責任を果たさなければいけないのは、自分一人しか今、官邸にはいなくなったな、と思いました」と振り返った。

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(田中一郎コメント)

 上記は当時の民主党政権幹部達のそれぞれの個性が出ている証言である。よく見ておかれるといい。どいつもこいつもロクでもないが、最も腹立たしいのは、この連中が、福島第1原発事故で放出される猛烈な放射能によって、最も被害を受ける地域住民がどのように被ばくさせられてしまうのか、それを最小限に食い止めるためにはどうすればいいのか、言いかえれば、地域住民の身の安全を図るには、どうすることが一番重要なのかを真剣に、優先して検討していた様子がうかがえないことである(放射能汚染を隠すことはいろいろと工夫をしていた様子あり)。許しがたい限りである。全員、とっとと消えちまえ、馬鹿野郎ども、ではないか。

草々

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