「メロス」 の教訓 (小田実 『人間みなチョボチョボや』より)
前略,田中一郎です。
(別添PDFファイルは添付できませんでした)
別添PDFファイルは、1980年代前半に作家の故小田実氏が書いた時事評論集『人間みなチョボチョボや』に掲載されていた、当時の「教育自由化」論批判の評論です。問題の核心をずばりと見抜き、それを平易で誰にでもわかる言葉で、ごく短く簡単に記述しています。そして、この評論は「教育」についての話ですが、しかし、この評論の主旨は、そのまま「教育」以外の現在の諸問題、たとえば「労働」、たとえば「国際貿易」、たとえば「医療」、たとえば「農業」、たとえば「国家戦略特区」などについても、およそ普遍的に当てはまることのように思えます。ご参考までにお送り申しあげます。
ちなみに、この本の表題「人間みなチョボチョボや」は、そっくりそのまま私の人生哲学としていただくことにもなりました。同主旨のことは、たとえば、あのなつかしい岡林信康のフォークソング「ガイコツの歌」にも出てきます。要するに、人間そのうちにくたばって、みんなガイコツ・シャレコウベみたいになっちまうんだから、たいして違いはしねえ、皆、たいして変わんないぞ、というようなことですが、この認識の地平から、私は多くの市民運動・社会運動の「哲学」や「倫理」や「あるべき思考方法」「あるべき行動様式」のようなものが導かれるのではないかと思っています。オレさまは違う、と思って「ワシズム」を書いている「小林ヨシノリ」には体得させたい哲学でもあります。
● ガイコツの歌
http://www.youtube.com/watch?v=-ffrIDEGqTY
http://www.fukuchan.ac/music/j-folk1/gaikotsunouta.html
以下、この時事評論の一部を抜粋しておきます。
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「スパルタというよこしまなる独裁国家が魔手をおまえのところに伸ばそうとしている、おれたちはおまえをその魔手から護ってやろうとしているのだーーというのにつきた。こういうアテナイの使者の言い分に「メロス」(アテナイとスパルタに挟まれた小さな島の都市国家のこと:田中注)の人たちは、こう答えた。要するに、あなた方アテナイも、スパルタも同じことじゃないかね。スパルタはなるほど、頭からわたしたちをガプリとひとのみにしようとしている。あなた方アテナイは、尻尾のほうから徐々に食べて行こうとして、いる。これは同じことじゃないかね。まさに、事態の進展は同じことになった。」
「ことは中曽根康弘さんの「ブレーン」たちが推進しようとしている教育の「自由化」にかかわっての問題だ。「ブレーン」たちが財界の強力な支援の下に打ち出そうとする「自由化」への動きに対して、文部省のお役人たちが必死になって自分の管理教育を防御しているというのが、今、私たちが眼前にしているドラマだが(「ドラマ」というのは、かんじんの私たち市民が観客席におかれて、そこに一向に参加できないでいることだ)、私の自には、このドラマのなかでの攻防戦、どうしてもスパルタとアテナイの「メロス」の争奪戦に見えて来てしまうのだ。」
「文部省氏の管理管理・・・・が、教育でもっとも大事なことのひとつである自由を殺して来たことについては、今さら言うまでもないことだろう。ただ、ここでついでに言っておきたいのは、かたや「日教組」側にも、管理が三度のメシより好きな人があまた、いられることである。生徒の髪の毛の長さ、靴下の色まで決めることに、タテマエはともかく、ホンネで賛成している先生方が決して少なくないことである。」
「そこで、頭のいいこと抜群の中曽根氏やら「ブレーン」氏やら財界氏やらにしてやられた、すくなくともやられかかっていると見ることもできるだろう。こういう人たちの、やろうとしていることについて私が言いたいことは、ーさじずめ2つあって、ひとつは彼らがきわめて盗っ人たけだけしい人たちであるということだ。なぜ、そんなおどろおどろしいことを言うのかというと、教育の幅を狭め、自由を殺して来た張本人が彼らであるからだ。」
「財界にとって、あるいは今の政府にとって危険な(と彼らによってみなされる)ものを教えないことに躍起になればなるほど、「学力」も低下すれば、子供に個性も活力も失われるのは当然のことだ。子供の「学力」というのはピラミッドみたいなもので、基部が「右」から「左」にまで大きく、ひろがっていなげれば「学力」は高くはならないし、もちろん、子供から個性も活力も失われる。私が予備校で教える若者たちは、「純粋ジュク世代」とでも言うべき連中だが、「学力」の低下、個性、活力のなさはおおいかくしがたい。ただ、それは「日教組」のせいではない。まさに文部省とともに、中曽根さんたち、彼らのせいだ。
「二番目に言いたいのは、彼らの言う「自由化」とは、要するに、世の多くの人たちから自由を大量に奪い、富める者、力強き者、頭のいい者に奪って来た自由を集中させようとする、「自由化」であることだ。すでにして、自由は死に体である。その死に体の自由から、さらにその大部分を奪って一方に集中すれば、他方に何が残るか。一方の「自由化」は他方の管理のいっそうの強化をうながすにちがいない。」
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上記において、
「日教組」の部分を「市民運動・社会運動の一部のリーダーたち」、あるいは「活力乏しき腑抜け状態の既成政党の指導者のみなさま」と読み替え、「学力」の低下、個性、活力のなさが覆い隠せないほどに至った「純粋ジュク世代」が今や中年となって世の中を仕切り、かつ子育てをし、そしてまた、特定のもの=1%の権力特権者に「自由を集中」させる時代に入っても、それに対する抵抗が組織化できず、また、抵抗力にも乏しい中で、自由と未来を奪われし多くの被害者が苦しめられるという時代、それが今現在ではないか、などが私の頭に浮かんだことです。
ひっくりかえしましょうぞ、
かような社会は、
ひっくりかえしましょうぞ
http://www.youtube.com/watch?v=hHPQzFaGYFg
早々
(参考)加害者・東京電力や事故責任者・国は、福島第1原発事故の損害の賠償・補償を踏み倒そうとしている
(4):見えてきたカラクリ いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/1-0379.html
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