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2014年1月 1日 (水)

内部被曝のメカニズム(2):ICRPによる内部被曝線量の計算手順 (長山淳哉著 『胎児と乳児の内部被ばく: 国際放射線防護委員会のカラクリ』より)

前略,田中一郎です。

(別添PDFファイルは添付できませんでした)

 

 

みなさま、新年が明けました。

今年もよろしくお願い申し上げます。

 

さて、今回は「内部被曝のメカニズム」の第2回目、「ICRPによる内部被曝線量の計算手順」を、前回同様、長山淳哉著 『胎児と乳児の内部被ばく:国際放射線防護委員会のカラクリ』からご紹介いたします。みなさまには、このメールをご覧いただきましたことを契機に、長山淳哉氏の下記著作のご一読をお勧めいたします。

 

●胎児と乳児の内部被ばく 国際放射線防護委員会のカラクリ-長山淳哉/著 本・コミック : オンライン書店e-hon http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032937538&Action_id=121&Sza_id=C0

 

●放射線規制値のウソ 真実へのアプローチと身を守る法-長山淳哉/著 本・コミック : オンライン書店e-hon

http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032659868&Action_id=121&Sza_id=C0

 

 

 さて、本論の前に、前回の「生物学的半減期」のことで、言い忘れていたことがありますので、下記に付記しておきます。

 

 <「生物学的半減期」を持ちだして放射能汚染地域の人々を安心させようとする説明は一種の「詐欺行為」です>

 

(1)「生物学的半減期」=つまり、いかなる生物も、いかなる放射性核種も、体内に入った当該放射性物質が半分に減って行く「期間」というものがある、くらいの意味ですが、これは、放射性物質がたった1回だけ体内に入り、それで内部被曝をしてしまった場合にのみ言えることにすぎないということを強く意識しておく必要があります。言い換えますと、「東京電力(福島第1原発)放射能放出事件」により東日本一帯に広がった放射能汚染地域においては、日常的に人間やあらゆる生息生物の住環境に様々な種類の放射性物質がばら撒かれ、それによって人間を含むあらゆる生物は、常に大なり小なり放射線による外部被爆に焼かれ、更に、危険な内部被曝に恒常的に晒されるということです。人間を含むあらゆる生物は、毎日欠かさず呼吸をし、飲食をしていますから、それを通じて、刻一刻と放射性物質は体内に入り込んできます。何が、どういう形で、どれくらい入り込んでくるのか、きちんと知らなければならないにもかかわらず、政府も自治体も、放射能汚染の測定をきちんとしないで、測定する体制も整備しないで、いい加減なままにしながら「安全・安心」のニセモノ宣伝を繰り返しています。

 

(2)住環境に放射性物質が多く存在している場合には、ある日いったん体内に入った放射性物質が、仮に「生物学的半減期」で翌日以降に体外に排出されたとしても、その翌日以降には、新たに放射性物質が呼吸や飲食などを通じて体内に入ってきます。ですから、全体内に蓄積している放射性物質の量は、出ていく放射性物質と入ってくる放射性物質の量の差し引きで、増えるとも減るとも言えませんし、むしろ、恒常的に身の回りにいろいろな放射性物質が散乱している場合には、入ってくる方が多いと推測する方が無難であると言えるでしょう。そうすると、放射性物質は、時間がたつにつれて減って行くどころか、じわじわと増えていくということになりかねません。

 

(3)更に恐ろしいことには、環境にばら撒かれている放射性物質は放射性セシウムだけではありません。骨に蓄積しやすい放射性ストロンチウムや、肝臓や生殖器や脳や肺に蓄積しやすいプルトニウムなどの場合には、いったん体内に入ったが最後、ほぼ死ぬまで対外に排出されてしまうことはないのです(一部排出されるとしても)。それから、よく、国際放射線防護委員会(ICRP)や原子力ムラ・放射線ムラの御用学者達が見せてくれる「右肩上がりの曲線で、横軸が時間、縦軸が体内蓄積される放射性セシウムの量」のグラフで、一定期間が過ぎると「増えもせず、減りもしない、定常状態=水平線」となっているのを目にしますが、あんなものは、「一定量の放射性セシウムを毎日摂取し続けた場合」という、およそ一般の人の場合ではありえない、机上の空論的モデルケースを描いているものにすぎません。

 

実際には、それ以上の量の放射性物質が体内に蓄積されることもあれば、それ以下の場合もあるのです。そして、それもまた、放射性セシウムだけの場合であって、恐怖の放射性ストロンチウム、プルトニウムの場合には、その体内での挙動と健康被害の関係など、まともに説明されたこともないという、どうしようもない状況下にあります。要するに、危険だから隠しているのです、話さないようにしているのです。

 

(4)そして、もう一つ大事なことは、放射線被曝とその健康への影響は、体内の放射性物質の量が決め手ではありません。決め手は「累積の被曝線量」です。人間を含む生物が死亡するまで、累積でどれだけ被ばくするか、これが健康被害の度合いを決めます。だから、「東京電力(福島第1原発)放射能放出事件」のように、事故直後に大量被ばくしている可能性のある人は、その後は、極力無用の放射線被曝をすることを避け、被ばくする量の累積値が上がらないよう、万全の対応をしなければなりません、一度被ばくをしてしまうと、それは「履歴」として残り、その人のその後の、晩年の健康障害の可能性を高めてしまうのです。「放射線被曝履歴」は一生消えることはありません。このことも、政府や自治体や御用学者などは、汚染地域の国民・住民にきちんと説明をしておりません。

 

(5)そんな中で「生物学的半減期」という概念は、その科学的・実証的根拠もあやふやなままに、しきりに、一定期間がたてば、放射能はどこかへ消えて行ってなくなってくれる、どんな人でも体の外に自然に出て行ってくれる、だから時間がたったら大丈夫なのだ、という、きわめて危険で軽率で安易な誤った判断を汚染地域の国民・住民に持たせるべく、御用アカデミズムの権威と、不勉強のマスごみを使って大宣伝されているのです。

 

 気をつけよう、暗い夜道と「生物学的半減期」。だまされません「生物学的半減期」!!! 放射能汚染地域で恒常的な低線量内部被曝に晒される住民にとって「生物学的半減期」など、ほとんど関係ありません。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 <ICRPによる内部被曝線量の計算手順>

 こういう話は、普段はあまり見たり聞いたりされない話です。原子力ムラ・放射線ムラの御用学者達が、ホンモノの科学者・技術者であったならば、こんなことを我々が知ることも、勉強することも必要のないことで、我々は、ただ、その結論だけを利用させてもらえば十分です。しかし、嘘八百とハッタリと不都合隠ぺいと屁理屈の固まりの似非学者のやることは、全く信用できませんので、おのずと自分の目と耳で確かめる他ないのです。この詐欺師たちのおかげで、我々の貴重な時間が、余計なことに浪費されてしまうわけです。

 

 さて、前回同様、上記でご紹介した著書より、大事なところを抜き出してご紹介いたしましょう。放射性物質の量であるベクレルから、いったいどうやって被ばく線量であるシーベルトの値が導かれているのでしょう。そこに原子力ムラ・放射線ムラの日常的な慣習であるインチキ行為はないのかどうか、しかと見ていきましょう。

 

(1)P74

「図を一見してわかることは、すべてについてモデル化している、ということです。まず、人間の体です。これは標準人モデルというものを考えています。これは図Ⅱー4です。標準人モデルというのは、男性は身長が一七六センチメートル、体重は七三キログラムです。女性は身長一六三センチメートル、体重六0キログラムとなっています。日本人の平均よりはかなり大きな体格です。この人体モデルへの放射線の取り込み、つまり、体内への侵入を三つのモデルについて考えています」

 

「一つは呼吸による呼吸気道モデル、次が腸からの吸収による胃腸管モデル、そして最後が傷口からの皮膚ー傷モデルです」

 

「呼吸気道モデルにしても、胃腸管モデルにしても、それらのモデルの中味は近年のものほど、複雑化し、より精巧にしています。しかし、いくら精巧なモデルを作り、高度な数式を用いたところで、実際にはそれに見合うだけの十分なデータがありません。すべては仮定と平均の話です。ですから、ある種の遊ぴ、あるいは絵空事以上のものではありません」

 

 ⇒(田中一郎)やはり、そうでしたか。いつも申し上げておりますが、科学とは「経験科学」であり、それは不断の「実験」「観察」などによる「実績数値」や「経験的事実」によって検証されて初めて「科学」と言えるのです。つまり、科学=経験科学は、その本質的な性質は帰納的であります。特定の思考の産物であるモデルを金科玉条とし、それを演繹的に展開してみせて、その結果を権力で押し付けるような原子力似非科学・放射線被曝似非科学などは、ある意味で現代のアホダラ教の一種と考えていいものです。私がかつて見た、ベクレル・シーベルト換算係数には「モンテカルロ法」という、博打うち達が使っていたと言われる「予測法」が使われているとのことでした(下記参照)。まさに長山淳哉氏がご指摘の通り[ある種の遊び」か「絵空事」にすぎません。

 

(参考)「いちろうちゃんのブログ」より

●ICRP国内メンバーによる内部被曝論はいかなるものか いちろうちゃんのブログ http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-2747.html

 

(2)P77

「(前略)それは組織荷重係数を決めるときの各糠器の放射線への感受性です。この感受性も、各臓器の生理学的特性や化学的組成にもとづいて、ただ機械的に計算されているだけです。個人差の入り込む余地はまったくありません。ですから、このようにして算出された実効線量係数に、実際、どれほどの現実味があるかといえば、ほとんど何もないといっても過言一ではありません。しかし、現実には、放射線の影響やリスクは、この係数をもとにして考えられています。生身の人間の私どもとしては、とても許容できる話ではありません」

 

 ⇒(田中一郎)やっぱりそうでしたか、そうではないかと思っていたのです。

 

(3)P80

「一年間のセシウム137の摂取量がわかれば、そのベクレル数をこの実効線量係数にかけることにより、一生涯の全身被ばく量が計算できるということです。しかし、これは、これまでにもお話ししているように、一人ひとりの個別の被ばく量ではありません。ICRPが考えた平均的な標準人モデルに対する被ばく量です。ですから、個々人への影響やリスクを評価するのに使ってはいけません。一つの目安としての値でしかないのです」

 

 ⇒(田中一郎)前々から申し上げているように、こういうことも含めて、放射線被曝の研究の極度の遅れから、放射線被曝の人間の健康への影響を評価し、その対策を考えるにあたっては、いわゆる「安全係数」を掛けることにより「安全の方向へ向けてのバッファ」を確保しておく必要があるように思われます。飲食の安全性の場合の安全バッファは1/100、100倍が使われています。、しかし、放射能や放射線被曝の場合に、原子力ムラ・放射線ムラの御用学者達は、逆に、我田引水的な、楽観的な方向への「危険性の間延び」を屁理屈でねじ入れ、ただでさえ危険な放射能や恒常的な低線量内部被曝を、より危険な方向にバッファを用意するという、とんでもない出鱈目を平気で押し通しているのです。

 

 たとえば、年間1mSvは、時間単位では0.22マイクロシーベルト/時だとか言われておりますが、単純に0.22mSv/時×1年間=1.927ミリシーベルトとなります。1mSvどころではありません。これは、一般に人は1日で家の中にいるのが2/3だとか、その家の中では、外に比べて放射線の量は4割くらいに減少しているだとか、そんなこと、個別個別で違うだろう、というようなことを、さも一般的であるかのごとく前提にして、安全バッファを設けるどころか、危険へ向けてステップさせているから、かようなシーベルトの数値の違いが出てくるのです。1mSvを時間あたりに換算する場合には、単純に、1mSv÷24時間÷365日で計算すればいいだけです。

 

 放射線被曝は、より軽く、より低く、より安全に評価し、ろくでもない原子力の「ご利益」は、その深刻なマイナスや危険性を棚上げして、より大きく、より重厚に、より堅固に評価する、これが忍法「原子力ムラ・放射線ムラのちょろまかしの術」です。

 

 今日はこれくらいにいたします。

早々

 

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