尿検査の結果を過小評価・矮小化してはならない:国は被ばく健康管理のための総合的なワンストップ検査体制を早く確立せよ(岩波月刊誌『科学』掲載論文より
前略,田中一郎です。
(別添PDFファイルは添付できませんでした。なお、下記の文章は2013年4月19日に書いたものです)
先般,岩波書店の月刊誌『科学』(2013.1)に「尿検査を活用して内部被曝を知る」という論文が掲載されました。検出限界値が大きく,体が小さい子どもの場合には内部被曝を十分には測定できず,またγ核種以外のα核種(例:プルトニウムやウランなど)やβ核種(例:放射性ストロンチウムやトリチウムなど)なども調べることのできないWBCよりは,より確かに詳細に,かつ簡単に検査ができる尿検査は,以前より注目すべき検査方法と思っておりました。この小論文を読んでも尿検査の重要性認識はゆるぎません。
しかし,この論文が導き出している尿検査の結果評価を巡る議論については,大きな疑問を持たざるをえませんでした。これはひょっとすると,尿検査の重要性を指摘しながらも,その結果は極度に過小評価・矮小化することにより,被害者や子どもたちの内部被曝を覆い隠してしまうことになるのではないか,そういう危惧を強く抱かざるを得ないものでした。
以下,この論文のどこが理解に苦しむのか,変なのかを簡単に列記したいと思います。詳しくは原文を図書館等で入手の上,ご覧いただければと思います。なお,この小論文の著者2人のうちの1人は中川尚子氏で「茨城大学理学部物理学領域」とあり,教授・教員なのか学生なのか大学院生なのかは不明です。もう一人の著者は木村かやの氏で,「あおば皮膚科クリニック」とあるだけで,医師なのか従業員なのかは不明です。
<別添PDFファイル>
・尿検査を活用して内部被曝を知る(中川尚子・木村かやの
『科学 2013.1』)
<首をかしげる記述を,私のコメント付きで列記します>
(1)P42左「標準体重かつ標準的な尿量の5歳児ならば,1日のセシウム摂取量(Bq/day)と体重1kgあたりの体内セシウム濃度(Bq/kg)は,検査結果に記載された尿中セシウム濃度(Bq/L)のそれぞれ1倍とl.6倍である」
(田中)⇒「尿中セシウム濃度(Bq/L)のそれぞれ1倍とl.6倍である」は小さすぎるのではないか。
(2)P42左「東京電力福島第一原子力発電所の事故から1年8カ月が経過し,食品に含まれる放射性セシウムの量について継続的な検査が行われている。おかげで,食品の汚染状況について大まかな見通しを得ることができるようになってきた」
(田中)⇒ 検査が行われている食品の数は,流通する食品数に比較すると限りなくゼロに近く,食品の汚染状況は3.11福島第1原発事故以降,一貫して分からないままである。意図せずして汚染品を食べてしまうリスクは依然として高く,また,汚染物として処分されるべきものも食品流通に乗せられている可能性も払拭できない。ひとえに厚生労働省・農林水産省など,政府の食品検査体制の「手抜き」によるところ大である。
(3)P42右~P43左「高精度すぎてほんのわずかな放射性セシウムでも検出してしまうことだ。尿検査で放射性セシウムの数値(つまり不検出以外の結果)が検出されたことを悲観し,放射性物質ゼロの食事を徹底しようとして,高いストレスにさらされている方がいる」(中略)
「親が子どもたちを守りたいという気持ちは尊いものなので,高いストレスを受けて対処すべき危険な結果なのか,慎重に検討してみたい。たとえば,尿検査結果の投稿サイトでは,1 Bq/L未満という検出限界に近い報告例が大半を占めている。1Bq/Lの測定結果を得た5歳児が1日に食べているセシウムの量は1.0Bq,体内セシウム濃度は体重1kgあたり1.6Bq,体内セシウム濃度は29Bqと概算される。体内の放射性セシウム量についての限度値である体重1kgあたり20Bq(後述)と比較すれば,十分に安心できる検査結果に見える」
(田中)⇒ 上記(1)と同様で,1Bq/Lの測定結果の場合,食べているセシウムが1Bqや,体重1kgあたり1.6Bqの体内蓄積,体内セシウム濃度が29Bq,などの数字は小さすぎるのではないか。
(4)P43左「(これは「尿検査結果を150倍すると,ほぼ体内の放射性セシウム量に相当するのではないか」という間違った見積もりが同サイトに書かれていることも影響しているかもしれない)」
(田中)⇒ 一般的に,尿検査結果の100~150倍くらいの放射性セシウムが体内に存在すると言われている。何故,それが「間違っているのか」の説明はない。
(5)P43右「しばらくして体内の蓄積量が増えてくると,摂取する量と排出される量が釣り合うようになる。この釣り合うときの値を乎衡値と呼ぼう。平衡値になっている場合には体内のセシウム量が変化しないのだから,食べた分だけ外に出るということだ。つまり,平衡であるならば,1日のセシウム摂取量=1日のセシウム排出量 となる」
「原発事故から1年8カ月も経過した現在では,多くの家庭の食材選択はほぼ落ち着いていることだろう。このような場合は,毎日ほほ同じ量のセシウムを摂取し,体内のセシウム濃度も平衡値になっているとして,大きな間違いはないだろう」
(田中)⇒ どうも,この論文のそもそもの誤り,というか,強引な結論の根源は,上記に書かれている余りに楽観的な仮定・前提にあると言わざるを得ない。加工品や外食を含む流通する飲食品が放射性物質に汚染されているかいないかは,現在の検査数では何とも言えないし,これからも何とも言えない。
特に福島第1原発からは今も放射性物質が海に,大気中に,地下水にと放出されており,これらの環境放出放射能が,どのようにこれから挙動して行くかは,流通する飲食品や環境汚染状況が全くと言っていいほど調査・検査されておらず,分からないままであると言っていいだろう。生物が媒介する生体濃縮や食物連鎖もあり,動物由来の食品=とりわけ魚介類については,放射性セシウム以外の危険極まる放射性核種も懸念されている。そのような情勢下で,何故にかような強引でかつ「安全の側」に引っ張るような「評価」をするのだろうか。少なくとも科学的・実証的な根拠は乏しいと言ってよい。
更に,内部被曝には呼吸被曝があり,土壌汚染の結果,かなり高い空間線量・高い土壌汚染の中で居住を半ば強制されている住民,特に子どもたちの被曝については,呼吸被曝が外部被曝と併せて非常に心配である。食べ物摂取からだけで内部被曝の「平衡状態」を説くのも,ある種のインチキではないのか。
この論文の著者は,かような強引かつ被曝もみ消しにつながりかねない強引な仮定を前提として,尿検査の結果に過剰な心配をするなと説くのではなく,汚染と被曝に関してワーストシナリオを念頭に置いて,そのワーストシナリオが現実化しないための検査手法として尿検査を説明する必要がある。そして,そうした予想がもっと科学的根拠を得ることのできるよう,飲食品検査体制や環境・土壌の放射能汚染調査体制の抜本拡充を世に訴えるべきではないのか。
(6)P43右「体内のセシウムは尿や便とともに体外ヘ排出される。実測によれば,尿からの排出は全体の約80%で,便や汗から残りの20%が排出される(年齢によらない)」
「(上記(5)は)1日のセシウム摂取量=尿による1日のセシウム排出量/0.8 とすることができる。つまり,尿に含まれるセシウム量がわかれば,1日のセシウム摂取量もわかるわけだ」
(田中)⇒ 「0.8」(80%)の根拠はICRPらしいが信用できない。ケースバイケースで違う可能性あり。また,上記でも申し上げたように,セシウム摂取量と排出量が「平衡」するなどという仮定は,現状においては,その実証的根拠に乏しく,受入れることはできない。この論文の全ての誤り・強引な結論の根源である。食べること・呼吸することで体内に入ってくる放射能の量が,尿などによって排出される量と比べて少しでも大きければ,その人の体には,毎日毎日放射能が少しずつ蓄積していくだろう。平衡値などありはしない。しかも,入ってくる放射能は放射性セシウムだけとは限らないのだ。
(7)P44~45「検査結果に示された尿中セシウム濃度は高いのか低いのか,どのようにして見極めればよいだろうか」
「まずは,年間1mSvと言われる被爆限度値と比較してみよう。(4)式によって見積もった量の放射性セシウムを,1年間毎日摂取し続けたとしよう。放射性セシウムを経口摂取した場合の内部被曝量は,摂取したベクレル量にICRPの定めた実効線量係数を乗ずれば得られる」
「たとえば5歳の子どもの検査結果として,セシウム134が2.1Bq/L,セシウム137が3.0Bq/Lを得た場合は,内部被曝量は(2.1+3.0)×0.0040を計算すれば求められる。結果は約0.02mSvとなり,年間1mSvよりも十分に非常に低い数字である」
(田中)⇒ 複雑そうなことをいろいろ書いているが,何のことはない,体内のベクレル数を尿検査で推測し(これが過小評価だと申し上げている),そのベクレル数をICRPの根拠定かでない「実効線量換算係数」(ベクレル・シーベルト換算係数)を掛けて,実効被曝線量のシーベルトにしているだけのことである。その値が小さいからといっても「それがどうした」の世界である。ベクレル・シーベルト換算係数に実証科学的な根拠は乏しく,また,放射線被曝の評価単位「シーベルト」も原子力ムラがでっち上げたインチキの可能性が高い。言い換えれば「シーベルト」の値は小さく出るように「創作」されているのである。こんな説明を聞いても,何の安心にもつながらない。徹底して体内のベクレル量で考えるべきである。
(8)P45~46「日本では体内セシウム濃度についての限度値は設定されていないが,子どもの体内セシウム濃度の限度値として20Bq/kgをあげている例がある。26年前にチェルノブイリ事故の被害を受けたベラルーシのBELRAD研究所では,現地での経験から割り出した値として「子ども20Bq/kg,大人50Bq/kg」を安全判断の基準にしている。福島県でのWBC測定に関わる上昌広教授(東京大学医科学研究所)も20Bq/kgを要注意の目安としてあげている」
(田中)⇒ 放射性セシウムの場合,子ども20ベクレル/kg,大人50ベクレル/kgという危険判断数値はよく聞く数値である。上昌広教授(東京大学医科学研究所)までがそのように言うのであれば,見直さなければいけないかもしれないが,一応の目安として見ておくとしても,この20,50と比較する尿検査結果から推定される体内ベクレル数が,上記(5)(6)で申し上げた「入る量・出る量の平衡状態」を前提にした推測である限りは,過小評価となる危険性が常にある。実際には,もっと体内に放射性セシウムが残存しているのに,それを見逃してしまう結果となるということだ。
(田中)⇒ 加えて,この議論には,3つの疑問を呈しておく。一つは,尿検査結果はあくまで検査時点での体内残存の放射性セシウムを推定するものであって,その人の被曝履歴を明らかにするものではない。被曝履歴は,過去にさかのぼって被曝の状況を把握しないと,容易には確定できないが,福島第1原発事故による内部被曝の場合には,初期被曝が非常に大きい可能性が高いのである。20,50の限度値が,こうした初期被曝を含む過去2年間のワーストシナリオに基づく内部被曝評価に耐えられるものかどうか,また,それが人体や健康への悪影響顕在化のメルクマールとして使っていいのかどうか,とりわけ20,50未満なら「安全・安心」などと言えるのかどうかは,少なくとも科学的には明らかではない。
(放射線被曝の健康被害の危険性は累積の被曝線量に比例して増大します:つまり過去の被曝は消すことのできない傷となって残ります。だからできるだけ被曝は避けるべきなのです)
(ついでに申し上げておけば,こうした尿検査を含む内部被曝検査結果と,そこから一定の健康影響評価を行おうとする試みは,チェルノブイリ原発事故後も含めて,原子力ムラ・原子力国際マフィアによって,徹底して妨害を受け続け,または抑圧・弾圧されてきた。その結果,原子力利用開始から数十年を経過した今日においても,その明確な結論は得られていない。放射線被曝とその被害は「もみ消すもの」,でなければ「あらゆる屁理屈をつけてでも,過小評価するもの」として取り扱われ,対処されてきたのである。私は,放射線被曝の定量的な人体影響が疑いもなく明らかになるまでは,原発などの核エネルギーの利用は中止すべきであると考えている)
(田中)⇒ 2つ目の疑問は,放射性セシウムの人体内における挙動の問題である。放射性セシウムは,よく天然の放射性物質であるカリウム40とよく似ていると説明される。カリウム40は,特定の臓器に偏って蓄積することなく,人体全体にまんべんなく均等に散らばって分布し,かつ,体内に入ってもすぐに出て行く性質を持っている。このカリウム40と放射性セシウム(134,137)が似ているというわけである。
確かに周期律表から推定される化学的性質は似ているのだろう。しかし,それは「似ている」のであって「同じ」ではない。放射性セシウムが人体内でどのように挙動するかは,はっきり申し上げて分かっていない。甲状腺その他の特定臓器にある程度集中してくる=特に子どもの場合にはその傾向が強い,とも言われているし,カリウムのように体内に入ってもすぐに出て行くということはなく,また,放射性物質としてのカリウムの存在形態と比較すると,放射性セシウムの場合は,大きさが大きく,他の危険な放射性物質などとともに,化合物として,「団子」状態で,存在していることも考えられる。化学的性質のみならず,物理的な形状からくる挙動の違いもありうる話である。
結論を急げば,放射性セシウムの体内存在量が同じでも,もしそれが体全体にまんべんなく散らばるのではなく,特定の臓器や部位に一定の偏りをもって蓄積するのであれば,内部被曝としてみた場合には,その危険性評価は違ってくる。体内にある放射性セシウムの量が同じでも,その体内挙動が特定箇所への濃縮・蓄積を伴うのなら被曝被害は当然大きくなるだろう。
(田中)⇒ 3つめは,いわゆる「生物学的半減期」のことである。簡単に申し上げると,この「生物学的半減期」は本当に経験科学的な実証性があるのか,ということである。体内ベクレル数が大きい時はともかく,低線量の体内放射性セシウムが,ほんとうに物理学的半減期のように,きちんと一定日数ののちに体外に必ず排出されると断言できるのか,ひょっとすると低線量域の場合には個体差が大きく,「生物学的半減期」などという概念は大雑把にしか成立しないかもしれない。そうすると,被曝評価で最も重要な「累積被曝量」は大きく違ってくることになる。
(9)P46右上「体内セシウム濃度を20Bq/kg未満に保ちたいならば,日々の食事の平均的なセシウム濃度を10 Bq/kg未満にしておく必要がある。大雑把に言うと,1日に摂取する総セシウム量が10Bq未満ならばどの年齢層でも大丈夫だ。尿中セシウム濃度で言えば,検査結果が5Bq/L未満ならば問題ない(1~7歳ならば8Bq/L程度まで大丈夫である)。最近の食品検査の結果や,報告されている尿検査結果を見る限り,この量のセシウムを摂取している人は非常にまれだと言えよう。
(田中)⇒ そして,いよいよ,いい加減で怪しげな仮定・前提の上に展開してきた議論の結論として,上記のように「○○未満ならば問題ない」「○○程度まで大丈夫である」と断言している。ここにきて,この論文は,はっきりと被曝過小評価による乱暴な結論の断定を行っている,と言っていいと思う。少なくとも,どうだかわからないような前提の上で計算してきた結果なのだから,断定はできないはずではないか。著者の立場になり代わって申し上げれば,「余り問題視する必要はないのかもしれない」「○○程度までは極度に懸念するには及ばない」くらいの表現が許容される「限度」だろう。
私からは,はっきりと断言しておきたいが,上記のようなことは言えない,「問題なく」はなく,「大丈夫」でもないのだ。それともう一つ,著者は「日々の食事の平均的なセシウム濃度を10 Bq/kg未満にしておく必要がある」と書いている。ならば,2012年4月より適用されている厚生労働省の定めた飲食に係る残留放射性セシウムの規制値(一般食品で100ベクレル/kg)についてはどう考えているのか,明らかにしていただかないといけないのではないか。何故,肝心なことを避けて通るのか? 私は厚生労働省の規制値を前提にした場合,1日10ベクレル/kg未満の摂取に留まるとはとても思えない。
(10)P47左「この病院のWBCの検出限界は250Bq/bodyなので,標準的10歳児では7Bq/kg以下の体内セシウム濃度は不検出となる。表4と表5を比較すると,尿検査のほうがWBCよりも低い体内セシウム濃度を計測できていることがわかる」
(田中)⇒ この論文で数少ない正しい記述である。WBCよりも尿検査の方が内部被曝を見る検査としては優れている。これはもはや放射線被曝管理の常識だが,この常識が日本では実践の場では通らない。いつまでたっても尿検査が学校での子どもの健康診断に導入されないし,一般市民への無料検査もなされないし,その重要性についても住民・国民に説明がなされず,愚かなマスコミを動員してWBCの値が小さいから,もう安心してして下さい,を繰り返している(その先頭を行くのが早野龍五(東京大学大学院教授),上昌広東京大学医科学研究所教授,坪倉正治(東京大学医科学研究所)らである)。
そもそも住民の放射線被曝管理と健康診断のためには,尿検査だけでも不十分であって,本来は,①尿検査,に加えて,②心電図検査(セシウム心筋症検査他),③血液検査,④染色体異常検査,⑤甲状腺エコー検査,⑥髪の毛や脱歯や検便などのバイオアッセイ,⑦白内障検査,⑧膀胱炎検査,などが総合的に「ワンストップ」で無料で,全国どこに避難していても実施されなければならない。しかも,注目する放射性物質は放射性セシウムだけでなく,福島第1原発から放出されたすべての放射性核種に着目してである。
しかし,坪倉医師の南相馬での体験談を聞くまでもなく,たとえば「福島県民健康管理調査検討委員会」で検討状況を垣間見ればわかる通り,国も県も,被曝させられた住民の命と健康を守るための施策など,一切やるつもりはないようである。許し難い態度である。この論文の著者は,こうした国や県の態度こそを,この論文の中で問題にすべきであったのではないか。
(11)P47右上「食品経由の放射性セシウムの摂取は,放出量としては同レベルの惨事であったチェルノブイリ事故では長期的に懸念を与え続けているが,今回の事故では(現在のところは)うまく対策できているというべきだ。事故直後からの生産者(をはじめとする多くの方々)の多大な努力,日本の流通の良さを生かす取り組みなど,多くの要因が功を奏しているのだろう」
(田中)⇒「事故直後からの生産者(をはじめとする多くの方々)の多大な努力」は否定すべくもないが,その努力が愚かな国や県庁などの自治体の間違った行政のおかげで活かされていないのが現状である。従ってまた,「今回の事故では,うまく対策できているというべきだ」などという発言に対しては,「ご冗談でしょう」と申し上げざるを得ない。
多くの原発事故被害者は,今,賠償・補償の切捨てに遭遇して苦悩させられている。「原子力事故による子ども・被災者支援法」による被害者再建支援の具体的中身も貧弱なまま,そもそも基本方針策定が棚上げされ,支援策が進展していない。こうしたことが解決されないまま,今度は被害者及びその子孫に,深刻な健康被害が襲うことのないよう,この論文の著者を含む我々は,放射線被曝を軽視したり矮小化したりする軽率な言動や断言を慎むべきである。
そして,この愚かで許し難い国や自治体行政,とりわけ捻じ曲げられた放射線被曝管理と被曝回避対策について,声を大にしてその改善を求め,また,原子力ムラをのさばらせて放射線被曝被害をもみ消し・切り捨てんとするその暴挙に対して,いっせいに抗議の声を挙げて行かなければならない。それが福島第1原発事故の被害者と同時代に生きる人間としての倫理であり道徳であり使命であるのだと,私は強く思っている。
(この論文にはまだ多くの問題がありますが,長くなりますので,この辺で終わります)
<最後に>
1.尿検査結果の評価を矮小化するな
2.放射線被曝を甘く見るな
3.我田引水型の仮定や前提の上で乱暴な結論を断言するな
4.国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告などを無批判に使うな
5.頭狂(東京)大学を筆頭とする日本の原子力ムラ・アカデミズムへの媚びへつらいをやめよ
6.この論文の著者の善意を信じたいが,善意ならば許されるというものではない
7.国は被曝健康管理のための総合的な(無料)ワンストップ検査体制を早く確立せよ
草々
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