生徒の「心」を評価対象に(「道徳」を教科へ格上案)=不道徳な人間達による「道徳」教科論が「頂点同調主義」の「翼賛・協賛人間」を大量生産する
前略,田中一郎です。
2013年11月12日の朝日新聞朝刊が,「生徒の"心”,評価対象,道徳,教科に格上げ案」と題して,現在,文部科学省の「道徳教育の充実に関する懇談会」(座長:鳥居泰彦・慶応義塾学事顧問)が,小中学校の道徳を教科に格上げする報告書をまとめたことを報道いたしました。
記事によれば,その主な内容な次のようなことであると箇条書きにされています。
(1)道徳の時間を「特別の教科」(仮称)に格上げ
(2)検定教科書の導入
(3)数値評価は不適切だが,評価は重要,記述式など検討
(4)子どもの実態をよく知る学級担任が指導
(5)教員養成課程で履修単位数の増加を検討
(6)学習指導要領で示す道徳の内容の見直し
*朝日新聞(2013.11.12)「生徒の"心”,評価対象,度徳,教科に格上げ案」
http://www.asahi.com/articles/TKY201311110491.html
何をうぬぼれているのでしょうね,この懇談会の委員達は。あなた達のような「不道徳」な人間が「道徳」を語る資格があるのですか? まして,道徳「教育」など,論外ではないでしょうか? 子どもたちに「道徳」云々の,クソ説教を垂れる前に,この懇談会を設定した文部科学省や,その上に君臨している政府・安倍晋三政権の「不道徳」こそを,まず,この審議会で問題にしたらどうなのですか。
あなたたち政府に関わる大人たちが,如何に「不道徳」なのか,それこそを具体的な「道徳教育」の生素材として子どもたちに紹介をし,「みなさん,あんな大人になっていはいけませんよ,そして,もっと大事なことは,大人になったら選挙権というのが与えられますから,その選挙の時には,あのような「不道徳」な大人を国会議員には選んではいけませんし,また,そんな大人のつくる審議会なんて,相手にしてはいけません」とでも教えるのが「道徳教育」なのではないのですか?
記事を読み進めますと,
本田由紀東京大学教授(教育社会学)「記述式とはいえ,多様性の尊重や子どもの内面の自由を損なうことになる。何が良い生き方かを政府が決め,教師が子どもを裁くことになれば,憲法19条の思想・良心の自由にも抵触するのではないか」
内藤朝雄明治大学准教授(社会学)「皆との同調が強く求められる環境の改善なくして,いじめはなくならないだろう。むしろ,子どもの内面の善悪の評価をすることによって,「悪い」とされた子どものいじめが正当化されることにもなる」
の2つの有識者コメントが記載されていました。まことにもっともなコメントでしょう。
国家権力は,教育内容に干渉してはいけない。教育の内容は,現場の教員が責任をもって,その切磋琢磨に努め,子どもの人格や個性の尊重の上に,多様な考え方や見方を教え,自分で物事を適切に判断していける「方法論」的な姿勢を教えていくことが教育の本来のあり方のはずです。子どもたちの豊かな大人への成長こそが主眼であって,国家権力が是とする道徳思想を肯定する人間作りが教育の目的ではありません。そして,そうした教育の社会的に期待される帰結をあえて申し上げれば,日本の平和や民主主義,あるいはすぐれた科学や技術,あるいは豊かで幅広い多様な文化や芸実などを,これからも発展させていける多くの人材が育つことにあるのではないのでしょうか。
ましてや,国家権力が,子ども達とはいえ,「心の中」にまで,土足で入ることは絶対に許されません。時折,自民党や民主党,あるいは維新の会などの,うぬぼれ・俗悪政治家の中に「子どもに道徳を教えなくてどうするのか」などとわめきつつ,その教える道徳は「これこれだ」と,全く内容お粗末きわまりないことを頭に思い浮かべながら豪語しているヤカラに出くわします。そんなときは,この野郎を掃除機で吸い取ってやろうかと思うこともあります。権力は常に控え目でなければなりませんし,権力は腐敗しますから,多くの人々より常に批判され続け,かつ相対的なスタンスでいなければなりません。それが「必要悪」としての権力のあり方です。教育や道徳はもちろんのこと,有権者・国民や子ども達の「心」の中に入ることはできません。「心」は権力に対しては,常に立ち入り禁止なのです。
国家権力が出る幕があるとすれば,そうした「現場教育」のよりよい発展のために,さまざまな施設や資材を提供したり,教員の教育実践活動に役に立つノウハウや知識などを提供することに限定されるべきでしょう。現下の日本の教育・とりわけ文部科学省(及び,それに迎合している一部のできそこない教育委員会)が主導している教育は,偏りまくっている「学習指導要領」を「法律」で=国家権力で現場教員に押し付けるのみならず,国旗国歌の強制や愛国心の押し付け,教科書の押し付け,さまざまな文書報告の大量生産などなど,生徒の人間的成長を柱に置く本来の教育の在り方から大きくずっこけていて,もはや「教育」とは言えない=国家権力による「洗脳」「協賛押し付け」「安もの国家主義大売り出し」「アナグロニズム」「異物排除」のグロテスクで無責任な「インプリンティング・フィールド」に堕しているのではないでしょうか。(「愛国心」の押し付けほど,バカバカしいことはありません。「愛」は「押し付け」れば,生まれてくるのですか?)
私は,若い頃から,「画一性」や「権威」,あるいは「押し付け」というものに対して嫌悪感がありました。とりわけ身近に存在していた学校や教員の「権威」とか「規則・規制」などというものには,虫唾が走るほどの抵抗感があります。何故なら,学校も,またほとんどの教員たちも,そのやっていることは出鱈目八百で,我々(当時の私)生徒や学生に対して「お前らに偉そうなことが言えるのか」と思っておりましたから。
今振り返ってみれば,今の小学校から大学までの日本の学校と教育関係組織・関係者達の出鱈目さ加減・お粗末さ度合いに比べると,当時はまだ,いい方だったのかなあ,と思いだす次第です。それほど,今の「学校」はメチャクチャではないかと思っています。そして,その典型が,福島県をはじめ,「東京電力(福島第1原発)放射能放出事件」によって放射能に汚染された地域にある多くの教育委員会であり,学校群であり,教員たちではないかと思うのです(数少ない,ちゃんとした教師の方々は,猛烈な迫害を受けておられるでしょう)
本田由紀東京大学教授が言う「多様性の尊重や子どもの内面の自由」の破壊,あるいは,内藤朝雄明治大学准教授が言う「皆との同調が強く求められる環境」こそは,明治維新以降の「半ば発狂した富国強兵肯定論」が支配する日本社会が得意中の得意とするところでした。これはまた,戦後日本の政治学を代表する故丸山真男氏が「日本の古層」とか「執拗低音」とか表現していたものに通ずるところがあり,簡単に申し上げれば,日本民族に長く続く「支配権力従属主義」と「それに向けての大衆同調圧力」のMIXされたものとでも言えるでしょうか(ちなみに私は,この丸山真男氏の超歴史的な民族特性規定概念に対して懐疑的です)。
しかし,これは,こと道徳や教育の場だけの話ではありません。3.11「東京電力(福島第1原発)放射能放出事件」以降,この2年半の間の被災地を含む日本全体の動きを見ていますと,原子力の世界,とりわけ放射線被曝の世界こそが,この「支配権力従属主義」と「それに向けての大衆同調圧力」のMIXされたもの,の典型のような気がしてならないのです。いわゆる「原子力翼賛社会」です。私は,近い将来,この学校での「道徳教育」の時間に,「放射能を過度に恐れることは「人の道」に外れた行為です。人は放射能と共存しながら,たくましく生きなければなりません」などと「教えられる」日が来るのではないかと危惧しています。
国家権力・支配権力に,道徳を委ねてはなりません。彼らは,道徳を「支配の道具」に使おうとしているのであって,子ども達の「心」の成長の糧にする気など微塵もありません。特に自民党のゴロツキ政治家どもはそうです。
国家権力・支配権力に,「心の中」に立ち入らせてはなりません。彼らは,外見的な支配のみならず,内面的な有権者・国民の服従と「心」の支配をねらっています。権力にとって教育とは,子どもの成長を目的とするのではなく,情緒的で無条件の支配権力同調者の大量生産を狙うものなのです。一時,大問題となって多くの批判を浴び,消滅したかと思っていた文部科学省版「心のノート」が,安倍晋三政権下で間もなく復活するという情報もあります。
*「心のノート」を考える-三宅晶子/〔著〕 本・コミック : オンライン書店e-hon
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031130721&Action_id=121&Sza_id=C0
そして,こうした「道徳」ならぬ「不道徳」の積み重ねの上に,私が申し上げる「原子力翼賛社会」と,放射線安全神話が,徐々に徐々に築かれていくことになります。「空間線量」から「個人線量」へ,という今般の原子力「寄生」委員会の動きもその一環です。「心」を権力に支配された後に来るのは,理不尽極まる放射線被曝による「緩慢な死」の強制ということです。しかも,遺伝的障害によって,子子孫孫までの。
みなさま,今般の,「不道徳政府・文部科学省」が仕掛ける「不道徳人間」達による「不道徳教育」導入の報告書に徹底した批判を加えましょう。貴様らに,騙されてたまるか,お前達に殺されてたまるか,アジア太平洋戦争以前社会への回帰に全力を挙げ始めた安倍晋三・自民党政権の教育政策に全面的な反旗を掲げましょう。
(参考)丸山眞男の「古層論」と加藤周一の「土着世界観」(田口富久治)
早々
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