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2013年6月

2013年6月29日 (土)

海と魚が放射能で汚染されていく(2):放射能汚染を甘く見てはいけない

前略,田中一郎です。

 

 別添PDFファイル4つ(添付できませんでした)は,619日に続いて,「海と魚の放射能汚染」の続報です。以下,ごく簡単にコメントいたします。水産王国日本を支えてきた東日本の漁業が,近海のみならず遠洋漁業も含めて,海の放射能汚染を全力で防ごうとしないほんの一握りの原子力ムラの出鱈目連中によって,崩壊させられようとしているのです。被害を受ける漁業者への思いのみならず,まるで自分の体を裂かれるような,身の震える怒りを覚えます。

 

 我々の世代で,この先祖代々受け継がれてきた貴重な日本の「宝の海」と近海資源=「海の幸」を,放射能の「毒」まみれにしてしまっていいのか。魚や海洋生物たちは,このゴクツブシ人間達の出鱈目によって翻弄され,これから放射能を体内に取り込んで苦しむことになるでしょう。それが日本列島に住む人々と無縁であるはずもないことが,日本政府や東京電力の馬鹿どもには分からないのでしょうか?

 

(1)海産物のセシウム汚染(水産庁:水産経済 2013.6.21他)

 この記事に掲載されている海産物の放射性セシウム汚染は,下記の水産庁のHPで見ることができます。

 

*水産物の放射性物質調査の結果について~627日更新~

 http://www.jfa.maff.go.jp/j/housyanou/kekka.html

 

20134月から6/26までの調査結果

 http://www.jfa.maff.go.jp/j/housyanou/pdf/130626_result.pdf

 

 <注目すべき点>

a.遠洋漁業の漁獲物であるビンナガマグロやカツオに放射性セシウムが検出されている。検査したのは「日かつ漁協」とあるので,おそらく漁法は「はえ縄」と「一本釣り」だと思われる。検出された放射性セシウムは,kgあたりゼロコンマいくら,の数値なので小さいが,常々申し上げているように,これでも福島第1原発事故前の数値の10倍以上であり,これからもひどくなることはあっても,汚染が解消することは考えにくい。むしろ,遠洋漁業で操業しているような,はるか日本列島の沖合においても放射性セシウムの汚染がじわじわと浸透していることに留意した方がいい。太平洋では放射能汚染が広がっていることがよくわかる。

 

b.近海ものの海産物では,宮城県東松島市沖合で獲れたヒラマサ(0.703ベクレル/kg),三陸南部沖で獲れたマサバ(0.684ベクレル/kg),福島県沖で獲れたスケトウダラ(31.45ベクレル/kg8.08ベクレル/kg),郡山市の養殖コイ(7.57ベクレル/kg),千葉県銚子沖で獲れたスズキ(7.13ベクレル/kg)などが,普段の検査結果ではあまり見ない汚染魚と言える。

 特に,郡山市の養殖コイの放射性セシウム汚染はいったいどうしたことなのだろうか。私の推測は「養殖魚はエサが危ない」である。少し前にも,山梨県の養殖淡水魚から放射性セシウムが検出されていた。魚の養殖の経営者のセンスを疑いたくなるような話である。また,スズキの放射性セシウム汚染は,福島・宮城・茨城の沖で獲れたものにはよく検出されるが,千葉県沖にまでそれが広がっているというのは,少しショックである。

 

(2)汚染海域での漁業再開をやめよ(朝日 2013.6.25他)

 http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201304270637.html

 

 記事には,福島県沖合で「試験操業」を口実にして行われている漁業の様子が報じられている。獲れた魚の9割が(放射能汚染で)水揚げできない,とある。何故,そんなところで漁業を強引にやろうとするのか? 愚かなことはやめて,加害者・東京電力や事故責任者・国に徹底して賠償・補償を求め,かつ別の土地へ移転・移住の上,漁業を再開した方が賢明ではないのか? 

 

 記事には,茨城県の様子も報じられていて(201358日付水産経済新聞),「茨城県北の沿岸船曳網,51隻が再開,75.5トン水揚げ,今後,販売に注目」と記事見出しがついている。茨城県北部の海と言えば,もう福島第1原発とは目と鼻の先である。今もなお垂れ流されている放射能が,いつ南へ流れてこないとも限らない。何故,かようなところで漁業などを再開するのか。

 

 更に,625日付朝日新聞は,いわき市漁協が,いわき市沖合でも漁業の再開を計画していることを報道した。茨城県北部沖よりも更に福島第1原発に近い。全く冗談ではない話である。偽装表示が横行している水産物流通に,こうした海域で獲れた汚染魚が紛れ込んでくるのは時間の問題であるように思われる。魚が食えなくなるではないか。

 

 福島第1原発から海への放射能流出が止まらない・止めようとされていない中で,放射性セシウムだけに注目して「安全」だなどと思いこむことは極めて危険である。こんなことをしているよりも,早く放射性セシウム以外の放射性物質の調査や,海の生態系調査を大規模に開始せよ。

 

 ひとえに,加害者・東京電力や事故責任者・国が,漁業者に対して,まともな賠償・補償をしない,いつまでたっても誠意をもってやろうとしない,経済的に苦しむ漁業者の足元を見て兵糧攻めにしている,それが諸悪の根源である。本当に許されない国家的犯罪行為である。

 

(3)海産物放射能汚染を甘く見るな(東京 2013.5.6他)

 記事には,千葉県木更津漁協の養殖アサリ,築地で取引されるコウナゴ,茨城県の漁業再生の取組などが報じられている。こうした記事に一貫してみられるのは,海産物や海の放射能汚染への甘い見方である。これらの記事のどこにも放射能汚染の危険性への言及は見当たらない。マスコミが「マスごみ」たる所以が見て取れる。

 

Ceron.jp - 東京新聞東京湾 水揚げ激減の中 養殖アサリ上げ潮社会(TOKYO Web)

 http://ceron.jp/url/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013050602000111.html

 

*福島北部沿岸に近い海域で、コウナゴ試験操業 翌朝、多くは東京の築地市場へ « Merx

 http://merx.me/archives/33885

 

*シラス漁茨城・北部の3漁協が再開…2年2カ月ぶり- 毎日jp(毎日新聞)

 http://mainichi.jp/select/news/20130507k0000e040065000c.html

 

(4)海に汚染水が漏れている(朝日 2013.6.27他)

 物事の順番からいえば,日々汚染水を発生させてにっちもさっちもいかなくなりはじめている福島第1原発,事態をそうしてしまった張本人の東京電力が,その放射能汚染水を海へぶん投げたいと言い出し,それがダメなら,せめて敷地内の地下水を汲みとって,それを海へぶん投げたいといい,地下水の場合には放射能汚染はありませんから大丈夫ですと軽率極まる説明を漁業者に向けて行い,原子力ムラ政府とその手下の県庁にお出ましいただいて,腰抜けの漁協幹部たちを「ぐるぐる巻き」の「権力ス巻き」にして,汚染水ぶん投げ方針に屈従させ,そうしていたら,実は地下水も汚染していることが発覚し,更には,知らぬうちに福島第1原発沿岸の海水にまでトリチウムや放射性ストロンチウムがどっさり漏れ出ていることまでわかってしまい,ついに原子力「寄生」委員会が「海に汚染水漏れ,強く疑われる」と言い出した。

 

 地下水は安全です。よく言うよ,ほんまに。東京電力役職員と原子力「寄生」庁を含む政府役人は,福島第1原発の地下水をペットボトルに入れて持ち帰り,毎日飲め,それで風呂に入り,洗濯をしろ。そうすれば,少しは福島県の人達の痛みや不安な気持ちが理解できるというものだ。

 

*福島第一原発「汚染水、海に漏れた可能性」 規制委指摘 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130626-00000040-asahi-soci

 

*朝日新聞デジタル:福島第一原発、港湾のトリチウム倍増 海に汚染水か - 社会

 http://www.asahi.com/national/update/0624/TKY201306240481.html

草々

 

 

 

2013年6月27日 (木)

「食べて応援」などしなくていい,汚染物は「買ってはいけない」

 昨日(6/25),農林水産省は下記の通知文書をHPに公開し,都道府県や業界団体,及び国公立・私立の各大学にまで,被災地産の食品への「食べて応援」(従ってまた,事実上「買って支援」)の呼びかけを行いました。

 

*農林水産省HP:「東日本大震災について~被災地域の振興に向けた被災地産食品の活用促進について~」

 http://www.maff.go.jp/j/press/shokusan/ryutu/130625.html

 

 農林水産省のこうした措置は今に始まったことではなく,遡れば約2年半前の福島第1原発事故の直後から続く,放射線(内部)被曝軽視・無視の,軽率かつ狡猾な行政姿勢・方針です。そして,愚かなことに,これに真っ先に便乗したのが各地方自治体(特に県庁)とJAグループであり,続いて地場の食品産業(流通を含む)がそれに続きました。

 

 本来,農林水産省はもちろんのこと,厚生労働省や消費者庁も含め,国民の食の安全確保に関して重い責任を負う政府の各省庁,ならびに食品の産地として消費者・国民に対して,いかなることがあろうとも危険なものは供給してはならない使命と役割を持っている各自治体(特に県庁)は,まずもって放射能に汚染された飲食品が出回ることのないよう,検査態勢の抜本的拡充や未然防止対策,あるいは食品流通上での措置(抜き打ち検査等)も含めて,食の安全に力点を置いた万全の対応をとるべきでした。

 

 しかし,こうした日本の役所がやったことは,まさにその真逆の反消費者的・反国民的措置,背信政策そのものであったのです。消費者・国民の命と健康を守る,地元自治体に住む住民の命と健康を守る,という自治体としての最も重要な存在意義と政策目的は,原子力ムラ政府に尻尾を振る馬鹿もの指導者や幹部達によって棚上げにされてしまいました。おそらくは,関係者の放射能汚染と放射線被曝に関する甘い観念がそれを促したのでしょう。以下は,そのほんの一端を書いたものです。

 

(1)食品汚染検査体制の貧弱なままの放置(検査数の少なさと特定品目への極度の偏り=統計的有意性から見ればやってないのと同じ,放射性セシウム以外の無検査または検査結果の隠蔽他),

 

(2)改定してもなお100ベクレル/kgという信じがたい高レベルの残留放射能規制値の制定と,それ以下なら何の健康上の問題もないかの如くに言う嘘八百の安全キャンペーン=実際はそんなものを食べ続ければ非常に危険な状態に陥る。当初は500ベクレル/kgを規制値にしていたので,放射能汚染ゴミの基準の100ベクレル/kg5倍もの,まさに放射能汚染ゴミそのものが食品であると公認され,その後の改正でも「限りなく放射能汚染ゴミ」に近いものが食品とされた。要するに,貧乏人は放射能汚染ゴミを食え,ということである(昔は「麦を食え」だった)。

 

 また,規制値をいろいろ決めても,それらを遵守させる仕事は全て現場に丸投げされているので,ほとんど実効性を持っていないことが多い。よく,流通している食品は安全だなどと言われるが,それを担保するものは何もない。そう願っている,程度の話である。巷では,規制値を超えた汚染食品は,汚染していないものと混ぜ合わせれば規制値がくぐり抜けられると思っている節がある。農林水産省の役人までもが,そのようなことを推奨していた時期もあった。

 

(3)加害者・東京電力や事故責任者・国の放射能汚染に対する被害者向け賠償・補償・再建支援の費用負担を極限にまで圧縮するため,①そもそも賠償に応じない・応じさせない,賠償する場合でも出来る限り支払時期を先送りする・引き延ばす(兵糧攻め),②賠償金額を屁理屈をつけて値切る・そのために御用人間を動員して原子力損害賠償紛争審査会なるものを設置し,賠償負担削減の合理化を図る,弁護士など法曹界を去勢する,③生産者・農家の農作業被曝を度外視して,信じがたい汚染農地での農業再開推進を行政・JA・産業界とともに大々的に展開する。④それを「農業の復興」と称して褒めたたえ,「がんばる被災地」キャンペーンで消費者・国民の同情をかき集める。⑤少しずつ出始める健康被害については,そんなものは放射能とは無関係・具合が悪いのは気のせいだ,として,被害者をもみつぶす。等々の施策を組織的に展開し,重大な人権侵害行政を強引に推し進めている。

 

(4)更に許し難いことは,学校教育の現場にまで土足で踏み込み,学校給食や現場実習(農作業等)で放射線被曝を強要するかのごとき教育行政を展開し,今までさして熱心でもなかった「地産地消」を3.11以降はことさらに叫び始め,地域住民や地域の生徒達・子ども達に放射線被曝を押し付け始めていることである。これは,放射能の危険性を顧みない,半ば頭がおかしくなった馬鹿もの達による「子どもホロコースト」にも近い行為と言う他ない。何を馬鹿なことをやっているのか,ということだ。

 

(5)頭狂(東京)大学を筆頭に,科学者としての誇りも良識も良心もかなぐり捨てて久しい,「御用人間」の代表のような大学教授達が,そのアカデミズムの権威を利用して「放射能は安全です」「放射線被曝は心配いりません」「低線量ならかえって健康にいい(ホルミシス効果)」などと,またぞろ無責任な嘘八百を放言し始めた。文部科学省の「放射線教科書」がそれを象徴的に現している。「原発安全神話」にとって代わる「放射線安全神話」の擁立が狡猾に推し進められている。

 

(6)飲食の放射能汚染と,それによる恒常的な低線量内部被曝を懸念する賢明な消費者=特に子どもを持つ母親達は,こうした放射能軽視・放射線被曝無視の歪んだ行政と,似非科学者の馬鹿踊りに大きな懸念を抱き,それぞれが,あるいは同じ思いの人達が協力し合って,可能な限りで飲食による内部被曝を回避する取組を始めた。自主測定などはその一つである。

 

 それに対して,政府・自治体・JA/JF・食品産業界・馬鹿踊り学者達は,「風評被害」という言葉を使い,こうしたまっとうな消費者に対する「翼賛社会的バッシング」で対抗し,更には法的手段を使ってでも,こうした消費者の自己防衛を踏みつぶそうとしている。政府や自治体などは許し難いけれど,そもそも生協・農協・漁協も含め,放射能汚染物を拒否する消費者に対して,平気で「風評被害」などという言葉を使う「協同組合」とは,いったい何の組合か,何の協同をしているのか?

 

(7)飲食の周辺物に対する無頓着(食器,加工補助材料(例:ヌカ,ウメジソ,あくぬき灰),調味料・添加剤,木材・木炭・薪,花き,皮革製品,肥料・飼料・原木,医薬品・薬草,化粧品他),外食・加工品の汚染放置あるいは業者への丸投げ,とにかく検査・調査していないのだから危なくてしょうがない。

 

(8)放射能汚染の度合いを示す単位当たりのベクレル数値の「単位」を出来る限り小さくとり,見かけ上のベクレル数値を小さく見せる。(例:/m3 ⇒ /cm3,/m2 ⇒ /kg(約1/50~1/ 60になる),/kg,/t ⇒ /g他)

 

(9)飲食品に係る放射能の汚染状況は全く表示されない

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 まだまだ,飲食の放射能汚染を巡るおかしなこと,危なそうなことはたくさんあるでしょう。

 そして,我々がこの農林水産省の通知文書を見た時に,なすべきことは,言うべきことは,次のようなことではないでしょうか。

 

1.「食べて応援」などしなくていい,「買って支援」などしてはいけない。かようなものは加害者・東京電力や事故責任者・国の賠償・補償責任を含む福島第1原発事故の責任を覆い隠すために行われている「似非キャンペーン」である。

 

2.そんなことよりも,加害者・東京電力や事故責任者・国は,被害者に対する賠償・補償・再建支援を即刻万全に行え。「原子力事故による子ども・被災者支援法」はどうなっているのか。事故責任の尻を消費者・国民に向けるな。

 

3.放射能で高濃度に汚染されたところでの農業を含む全産業を直ちに停止せよ(少なくとも5.2mSv/年以上)。

 

4.高濃度汚染地域に住む被害者住民,生産者・農家,食品産業を直ちに避難・移住させよ,無用の被曝回避を最優先とせよ。

 

5.除染は5.2mSv/年(というより3~5万ベクレル/m2)未満の低線量地域の住宅地を中心に綿密に行い,除染を行う場合でも,住民は一時的に避難させよ

 

6.放射能汚染の危険性があるものは徹底して買わない,食べない=下記の四大危険物は,産地いかんにかかわらず危険なので(汚染栽培土等の流通や産地偽装があるから),近寄らないのが無難,但し,輸入食品は別の危険性があるので全くお勧めしない=特に途上国産品や米国産は眉唾物

 (四大危険物:山菜・きのこ,川魚,家畜の内臓類・野生生物の肉,東日本産の海産物)

 

7.政府・農林水産省や各関係自治体,JA/JF及び食品産業は,くだらないキャンペーンをやめて,飲食の安全確保・放射能汚染物の販売禁止へ向け全力を挙げよ,検査体制の抜本的拡充に加え,汚染物でも平気で販売する悪質業者の徹底排除を行え,そしてすべての費用は,消費者・国民に転嫁するのではなく,加害者・東京電力や原子力産業に負担させよ。

 

8.「御用仕事」しかできない大学教授達を大学から追放せよ

 

9.賢明な消費者・国民への「風評被害」誹謗中傷キャンペーンをやめよ。「原子力翼賛社会」を拒否しよう。

草々

 

 

2013年6月21日 (金)

どうなる,電気事業法改正 その問題点はどこにあるのか(院内集会報告)

前略,田中一郎です。

 

 昨日夜,衆議院第2議員会館にて「どうなる,電気事業法改正」と題した院内集会が,eシフトや日本消費者連盟などの主催で開催されました。別添PDFファイル2つはその際の資料です。

 

 <別添PDFファイル:データ量の関係で添付できませんでした>

(1)どうなる,電気事業法改正(2013620日第2回院内集会 :eシフト他)

(2)電力システム改革の推進について(20136月:経済産業省)

 

 ご承知の通り,電力業界の政治的圧力に負け,電気事業改革に消極的な自民党は,それでも福島第1原発事故後の電力業界のあまりの体たらくへの国民の憤りには勝てず,しぶしぶながら今国会に電気事業法の改正案を提出しております。その内容は別添PDFファイルに解説されておりますが,①本来,先に手当てしなければならない発送電分離を2018年以降に先送りし,情勢の変化を待って(国民の忘却を待って)なし崩し的にやめてしまうことをねらう,②それでも発送電分離に追い込まれた場合には,その形態を法的分離にとどめることで,電力会社本社の経営支配・影響力を温存する(本来は完全切り離しの所有分離でなければならない),③具体的な内容はほとんど全て参議院選挙後に先送りし,自民党安定政権成立後に,電力業界の意向をフルに反映させる形で格好だけの改革を行う,などの方針で望んできております。

 

 元々経済産業省は,どちらかと言えば電力業界や電力事業を,欧米の改革を参考にしつつ市場原理主義的に再編・改革する考え方が主流でした。しかし,故橋本龍太郎元総理に代表されるような,業界癒着型の自民党政治家達が大挙して電力業界の意向を反映する形で政治的に動き,電気事業法改革や核燃料サイクル見直しをつぶしてきた経緯があります。今回の電気事業法改正を巡る動きは,その第2ラウンドと見ておいていいでしょう。

 

 ところで,この電気事業法改正案や電気事業改革については,改革を進める経済産業省(自民党政治家の方はどちらかと言えば,その邪魔をする方)の(自民党や電力業界との政治的妥協によって打ち出された)改革案について,いくつかの根本的な欠陥があります。しかし,今回院内集会を主催した市民団体にせよ,講演をした講師にせよ,その根本問題に気が付いていないか,あるいは見て見ぬふりをしているか,あるいは政治的に実現可能性が低いからあきらめているか,いずれかは分かりませんが,この根本的な欠陥が電力システム改革の重要なポイントとして指摘されていないのは残念であるように思います。

 

 以下,院内集会の仔細は別添PDFファイルの資料をご覧いただくことにして,私は上記で申し上げた「根本的な問題点」を下記に列記しておきます。今後の議論の展開は,下記の根本問題が克服されていく形でなされることを期待いたしますが,現状のままでは「おいてけぼり」となる可能性が高いと言えます。我々,持続可能性のある社会と新しいエネルギー活用時代を展望する市民としては,この「おいてけぼり」を蹴飛ばして(坂本冬実「夜桜お七」),電気事業改革の議論をその本流へと戻すことを考えなくてはなりません。

 

1.電力システム改革の目的は何なのか

 電力システム改革や電気事業法の改正の目的がはっきりしていない。経済産業省のペーパーには,①安定供給,②電気料金の最大限抑制,③需要家の選択肢や事業者の事業機会の拡大,の3つが挙げられている。依然として「(電力の)安定供給」という「抵抗勢力」=電力会社の「錦の御旗」を真っ先に掲げていることや,電気料金の値下げとはせずに「最大限抑制」などとしていること,あるいは「需要家の選択肢」だけでなく「事業者の事業機会の拡大」なども付記しているところに,電力業界や産業界との政治的妥協や,現在の霞が関官僚達の頭脳が市場原理主義にイカれていることなどを感じさせるけれど,それはさておき,電力システム改革の目的は本当にこれでいいのか。

 

 私のイメージする電力システム改革は,電力などのエネルギーを大量消費する経済や社会を改革し,持続可能で消費者・国民の安全・安心で豊かな生活を保障する電力供給体制を創ること,従って,たとえは,①地域独占や総括原価主義の歪みきった電力システムを抜本的に切り替え,電力供給の適切な競争条件を整備することで,発電のコストは原子力が最も低コストだというでっちあげられた原子力安価神話を崩壊させるとか,②遠隔な過疎地域に巨大な発電所を建設し,それを複雑な配電網でユーザーに何の規制もなく青天井で限りなく使っていい状態で電力を供給するという,大量生産・大量(エネルギー)消費の構造を時間をかけて抜本的に改めるとか,③そのための方法が,自然再生可能エネルギー革命の推進であり,エネルギーの地産地消=分散型オンサイト電源の普及であり,また,電力需要構造の抜本的な転換,などではないかと思われるのだが,こうした新しい時代へ向けてのシグナルのようなものは,今回の電力システム改革の中にはほとんどビルトインされていないと言っていいように見える。

 

 電力システム改革の目的を,再度,浮き彫りにして,改革から期待される経済社会像をある程度明らかにしておく必要があるのではないか。原発などを改革後においても「ワンノブゼム」の電源などと位置づけしているようでは,何のための改革なのかがボケてきてしまうだろう。原発・核燃料施設に関わるこれまでの嘘八百を,消費者・国民の前に赤裸々に示して見せることも,この電力システム改革の大きな目的の一つであることも銘記しておくべきだろう。

 

2.電気事業改革を巡る2つの勢力の対立と「第三の道」

 私が上記で,改革の目的にこだわったもう一つの理由は,電力システム改革が市場原理主義によって,あらぬ方向に流されてしまう可能性が高いと危惧しているからである。2000年ころにアメリカ・カリフォルニア州で起きた大停電や,犯罪会社だったエネルギー総合企業・エンロンの経営破たんなど,電力システム改革にからんでいた市場原理主義勢力が,電力という現代社会に基礎的・不可欠なインフラに寄生して,甘い汁を吸い続けてシステム全体をおかしくしてしまった「前科」があることを決して忘れてはならない。

 

 また,電力業界ではないが,英国の国鉄民営化が市場原理主義的に展開されたために,鉄道事故の多発や鉄道労働者の疲弊,あるいは特権的経営者の出現と放漫経営・無責任経営の蔓延などが,少し前に出版された『Broken Rails』に詳しく書かれている(下記サイト参照)。間違っても,電力システム改革や電気事業法改革が,市場原理主義者達の「おもちゃ」にされてしまっては元も子もないし,更には,その無邪気な市場原理主義者達の背後に,したたかに日本の電気事業・電力エネルギー事業から甘い汁を吸おうと手ぐすねをひいている多国籍ファンドマネーがあることも警戒しておいた方がいいだろう。

 

 しかし,日本の場合には,歪みきった電力業界の伝統として,圧倒的な既存9電力会社の独占的支配力があって,改革を進めるためには,これに対抗するための「なんでもかんでも連合軍」を結成しなければ,ことが前に進められないという悲劇的情勢がある。しかし,だからといって,市場原理主義勢力にひさしを貸出し,結果的に母屋まで取られてしまったということになりかねないのが電力システム改革なのである。

 

 電力システム改革においては,市場原理主義勢力に万全の警戒をすること。これをスタート時点で,しかと認識しておかないと,ゆくゆく危なくなる。市場原理主義勢力の特徴は概ね下記のようなものである。

 

 <電力システム改革における市場原理主義勢力の特徴のいくつか>

・事業当事者にゆだねることを原則とし,公的ファクターの規制や介入を嫌う

・一に競争,二に競争,三四がなくて,五に競争

・外国資本をつれてきたがる(その手先の可能性あり)

・組織を機能で区切って細切れにしてしまう傾向がある

・経済成長至上主義で,電力をより安価に大量に供給することが最大価値だと考える

・消費者のことよりも(デマンドサイド)よりも,電力供給業界を優先しがち(サプライサイド優先)

・その割には中長期的な電力供給構造への関心が薄い(市場原理主義資本の草刈り場とされる危険性あり)

・原発については否定的だが,核燃料サイクルについては軍事面の問題があって,あまり言及しない

・自然再生可能エネルギーなどは信用していない(高コスト,おもちゃ扱い等)

・零細ユーザーや社会的弱者のことなど念頭にない

・時の支配権力側に立つことを優先する(ご都合主義)

・電力の供給も需要も血の通う生身の人間の営みであるという認識が欠如している

 

*クリスチャン・ウルマー『折れたレール イギリス国鉄民営化の失敗』

 http://homepage1.nifty.com/m-kasa/book/wolmar.htm

 

3.現在の電気事業・電力業界が抱える最大矛盾

 電力システム改革は,下記の3点を抜本改革しない限り,その改革目的は達成されることはあり得ない。本来であれば,経済産業省の説明ペーパーに「電力供給の適切な競争条件の整備」という文言がなければいけないはずですが,それは電力業界や,馬鹿もの政治家との妥協により,オミットされているのです。

 

(1)既存9電力会社の独占的支配力を解体すること

(2)原子力への様々な政策的肩入れ(国策民営)をやめること,また,原子力の嘘八百をきちんと否定すること

(3)自然再生可能エネルギーへの嫌悪をやめること(GDP至上主義・大量生産大量消費信仰)

 

(たとえば,院内集会当日の会場質問でも出ていたが,別添PDFファイルの経済産業省資料に,日本全国の電力供給系統網の図があり,そこに北海道電力と東北電力との連携電線が,わずか60万KWにすぎないことが書かれている。しかし,経済産業省はこれを今後,わずか30万KW分をプラスするだけで,目標90万KWの系統運用拡大にとどめる方針である。これでは自然再生可能エネルギーの宝庫である北海道の地の利は生かすことができない。関西電力と西日本の系統網並みの数百万KWまで拡大すべきである)

 

4.市場原理主義の電気事業改革はダメだ

 上記で申し上げたので繰り返さないが,電力システム改革を市場原理主義によって「横取り」されてはならない。地域独占の歪みきった現状システムでもなく,市場原理主義的な電力システム・電力業界再編でもなく,いわば電力システム改革の「第三の道」を,改革の目的を明確にさせた上で,改革後の経済社会のありようを念頭に置いた上で,市民の力で強力に推進していく必要がある。

 

5.電力システム改革がサプライサイドに偏っている

 その1つとして,現状での電力システム改革の議論が,供給サイド(サプライサイド)に偏っている傾向が見られる。電力システム改革は,電力需要構造の抜本的改革も並行して行われる必要がある。現在の日本の遅れた産業構造や消費構造をそのままの前提の上で,電力システム改革を構想することはよろしくない。脱原発はもちろんのことだが,二酸化炭素の大量排出や,エネルギーの大量生産・大量消費からの脱却など,デマンドサイドの改革についても並行して議論され,着手されていかなければ,新しい電力システム改革後の姿も歪んだものとなってしまうだろう。

草々

 

21世紀は「環境の世紀」であり,従ってまた,環境と持続可能性を巡っての支配権力に包摂された「似非科学」と「市民科学」との対決の時代である

 

前略,田中一郎です。


 このほど「市民と科学者の内部被曝問題研究会」が第2回総会を記念して講演会を開催いたしました。私もそれに参加し,意見交換の場で発言いたしました。下記はそれに加筆して取りまとめたものです。ご参考までにお送り申し上げます。拙くて長い文章でまことに申し訳ありませんが,少なくとも国民を愚弄し続け,福島県民をはじめとする被害者の方々を今もって踏みつけ続ける原子力ムラ・似非科学者に対する満身の怒りが少しでもお伝えできれば幸いと願っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

*「市民と科学者の内部被曝問題研究会」第2回総会記念講演から

・島薗進(東京大学名誉教授:宗教学):つくられた放射線「安全」論

・地脇美和(市民)、松井英介(医学者)、松井和子(大学教授):IAEAが福島に常駐する目的とは?(~IAEAとWHOがチェルノブイリで行ったことから考える

 

 <私=田中一郎の主張>

21世紀は「環境の世紀」であり,従ってまた,環境と持続可能性を巡っての,支配権力に包摂された「似非科学」と「市民科学」との対決の時代である」

 

 3.11福島第1原発事故とその後に見られた,原子力を巡るいわゆる「科学者」の醜態極まる言動やその姿は,多くの日本国民,いや全世界の人々に「科学とはいったい何か?」「科学者って,なんぼのもんなの?」という根本的・決定的な疑念を抱かせるに至っている。欧米の先進的な思想や哲学の世界,あるいはそれを先駆け的に摂取した日本の一部の論壇では,いわゆる「科学」は,20世紀の早い段階から疑問を呈され,「科学」のあり方に対して徹底した批判が展開されてきた。特に「社会科学」や「人文科学」などは,「自然科学」と同様のアナロジーや言葉遣いで「科学」と表現していいのか,それはあまりにも我田引水のナルシズムであって,単に「社会問題を扱う学(社会問題学)」「人文問題を扱う学(人文問題学)」でいいではないか,という議論さえなされてきた(藤田省三氏がその一例)。

 

 過去の「科学論」の詳細はともかくとして,私は現代の「科学」のありようについて,次の3点を強調しておきたいと思う。結論を先回りして申し上げれば,「学界」の権威づけされた支配的学説を牛耳る「科学」「科学者」なるものは,もはや「似非科学」(ニセモノ科学)・「似非科学者」以外の何ものでもなく,散々に批判された原子力ムラは,その有力な一派にすぎない。しかも,その「似非科学」「似非科学者」が,時の支配権力や大資本の手下となって,強大な影響力と環境破壊力を発揮してくることになるため,おのずとこれを阻止する「市民科学」が対抗的に形成され,21世紀はこの2つの対峙勢力の激しい闘争の世紀となるであろう,ということである。そして,この闘いは,市民というよりも全人類の生存と持続可能性を賭けた「最終戦争」とでも申し上げるべき熾烈な闘いであり,仮にこれに「市民科学」が敗北をするということになれば,それはそのまま人類や地球の滅亡につながりかねない,ということである。

 

 この「似非科学」が支配し,「市民科学」が反旗を翻す「環境の世紀」にあって,「科学」が「似非科学」に転落する態様には,下記のような特徴があることを申し上げておきたい。

 

(1)「科学」とは「経験科学」であったことを忘れている

 科学とは,仮説とその検証,実験等による「経験的」実証の繰り返しのループであり,これによって「真理」に近づかんとする人類の知の営みである。決して,固定化した最終的な「真理」を発見するものでもなければ,微動だにしない絶対的な「真理」をつかみうる方法論が「科学」にあるわけでもない。

 

 従ってまた,「科学」の基本的な方法論は,多くのファクトファンディングに基づく「帰納法」的なものであり(「似非科学」ではない「科学」においては,そもそも,どのようなものをファクトとして拾うのか,という点に,パラダイムや先験的なイデアが存在することは否定できないが,それはその後の検証・実証と,認識の相対化の中で鍛えられる運命にある),科学者の眼前で展開する諸事実に対して常に謙虚な姿勢で,深い洞察力と想像力でその諸事実を受け止め,それを整理し,それらをカオス状態から一定の「法則的」な「まとまり」へと組み立てあげて行くことが,科学の営みの基本であったはずである。

 

 ところが,原子力ムラに代表される「似非科学」「似非科学者」達は,あたかも自分達だけが原子力の絶対的な真理を知っている「英知にたけた原子力に関する全知全能者」であり,その「世紀の賢人」たる「(似非)科学者」が「(似非)科学」を駆使して諸問題や困難を解決し,かつ,勉強もしていない怠慢で無能で無知な下々市民・国民に対して,その持てる「知識」や「真理」を説き教えることで,原子力を巡る「不安」は解消していくのだ,それを「リスク・コミュニケーション」という,との「おふれ」を出している。つまりは,中世ヨーロッパのキリスト教会さながらに,絶対的真理を悟った「科学協会」の司教様達が,その「絶対的真理」を「演繹的」に信者・愚者に対して教え諭す,上から下への「演繹的」手法で,困難も不安も解消していく,それが現代社会における「科学」のあり方,「科学」のありようだというわけである。これを私は,現代版「科学アホダラ教」と名付けたい。

 

 この「アホダラ教会」においては,(似非)「科学司教」の「上から目線」と,信者・愚者の(似非)「科学司教」への「下から目線」がピタリとハーモナイズし,一丸となって自滅・没落への道を歩み続けることになる。

 

 我々一般市民は,権威づけられた支配的な「科学」や「科学者」への「下から目線」をやめ,自身の認識を「相対化」して,「科学者」とともに同じ立ち位置に立つ「水平目線」を保持するようにすべきである。いわば現代の「新水平(目線)宣言」である。全ての「見下されし民」は,過去の「科学技術」なるものの「成功宣伝」に惑わされてはならない。経済成長を達成した社会の経済生活が,昔と比較して豊かになったのは,何も「科学技術」のおかげではない。「科学」や「技術」を持つものが,そうでないものの「上を行く」のでもない。

 

 市民の認識も,科学者の科学的認識も,それぞれの置かれた使命や役割によって差があるにすぎず,両者は「水平関係」「相補関係」「協力共存関係」「相互刺激関係」にある。それぞれの自身の認識が「相対化」され,常に変化する可能性を認めた柔軟な態度をとる限りで,両者のどちらかに優位性があるわけではない。科学と市民は「水平」の関係で協力・協同して,ことにあたるのが21世紀のあるべき姿である。

 

(2)「科学」は狭い専門領域で深く掘り下げられるものであり,総合的な判断に優位性があるわけではない

 科学も科学者も,その活躍できる領域は,非常に狭い「専門領域」に限られており,その領域の中にいる限りで「専門家」であるにすぎない。一歩でも,その隣接領域を含む,専門領域の外に出れば,科学者といえども「ただの人」「一般市民」である。私の若い頃に大学におられた教授の方々は,私が親しくさせていただいた人達に限って言えば,この「専門領域」と「専門性」については「良心的」であり,「謙虚」な姿勢を貫いておられた。決して,自分の専門外のことに,さも自分が詳細を知り尽くしているがごときの態度はとらなかったし,時折専門領域外について発言する時も,科学者としての権威にすがることはなく,単なる一市民・一国民として,つつましく発言し振舞っておられたように思う。

 

 いつから「科学者」と称される馬鹿どもは,自分の専門外のことにまで,その歪みきった薄汚い発想や認識を垂れ流し,それを合理化するために「科学の権威」を振り回すようになったのだろうか。あの3.11後の原子力ムラ・似非学者どもの言動や態度をもう一度思い出してみていただきたい。大したこともない似非学者が,まるで原子力や放射能の全知全能者であるかのごとき振る舞いで,これまた唾棄すべき「マスごみ」の電波や紙面に乗せてもらって,あることないこと,べらべらべらべら,愚にもつかぬことを,市民・国民の前で醜態をさらし続けた,あの姿だ。そして,私が申し上げたいのは,あれこそが,現代の「科学」の実像である,まさに現代「科学」はあのように存在している,そしてそれは原子力の世界だけではない,ということだ。

 

*(参考)検証 原発事故報道(DAYS・JAPAN)

 http://www.daysjapan.net/

 

 解決が難しい諸々の困難に対処するには「科学的」でなければならぬ,と,阿呆ズラをした政治家がよく言う。しかし,本来科学とは「狭い狭い専門の学」であって,しかも仮説と検証のループ的な体系にすぎない(特定の観点より深く掘り下げられてはいる)。人間社会で起きてくる多くのことは,複雑で多面的で多様な連関を内に含んでいる。単純な「科学的解決」が,「科学者」から「自動販売機」のように出てくるなどと思うことは大間違いのことである。

 

 科学者は,せいぜいが,その狭い専門分野における経験知により,個々の問題を整理したり,一定の方向性や選択肢を提示できるに過ぎない。物事を最終的に決めるのは,何も科学的,技術的なことだけで済むものでもない。原子力の世界で言えば,原子力の科学や技術に加えて,社会的な問題とその価値判断や,倫理的哲学的な観点が決定的に求められる。そのような点について,(自然)科学者や技術者は,何ら優位性を持った見解を打ち出せるわけではないし,むしろ,(3)で申し上げるように,科学が支配権力や大資本によって包摂されてしまう時代にあっては,そうした「(似非)科学者」の説明し提唱することなどは,往々にしてマイナスの効果しか持ちえないことをしっかり認識しておくべきなのだ。ドイツにおける脱原発の成功は,ひとえに「倫理委員会」が決定的な影響を持ったのであり,逆にドイツにおいてさえ,原子力の「科学者」達は,脱原発への道に立ちはだかることはあっても,掃き清めることはなかったのである。

 

 科学は,狭い専門領域での「真理の探究」を行う営みであり,社会的な諸問題に対して総合的に適切な判断が下せるものでは決してない。むしろ,そうした問題の解決は,多くの市民が問題解決のテーブルに参加することで可能となるのである。判断を「科学者」にゆだねて,自身の決定責任を逃れるようなことをしてはならない,それが21世紀に生きる市民の「自己責任」である。

 

(3)支配権力や大資本による「科学」の「包摂」と「似非科学」化

 科学が営まれる場である,大学や研究所が危機的状況に陥って久しい。良心的な科学者達によって,数多くの抵抗がなされてきたのが,この数十年間の歴史だったが,世代交代とともに,いよいよいけなくなってきている。科学が,その営みの場も含めて,およそ社会的な存在である限り,科学に対する支配権力や大資本の「統制」の手は緩められることはない。それどころか,科学言論が,世の支配や既成秩序維持に決定的な影響力を持つことを鋭く認識した支配者達は,当然のことながら,科学を自分達の支配の道具として,科学者たちを支配のための「手下」として,丸ごと包摂せんとするのである。そのために使われる手段は,金,名誉,便宜,脅し,何でもありで,ありとあらゆる手を使って,科学・科学者・大学・研究所は,支配権力や大資本によって「包摂」されていくことになる。

 

 「包摂」とは,包み込む,という意味で,ぎりぎりと上から押さえつけて強制する,ということではなく,鞭とニンジンで,科学者を馬のごとく自分達の望む方向へ誘導し,科学者があたかも自分の意思で積極的に能動的に,支配権力や大資本に都合のいい方向で言動・活動してくれるよう誘導することである。つまり,科学者に魔法をかけて馬かロバにして,荷物を運ばせるということだ。科学の「フクシマ・エートス」化とでも言っていいかもしれない。

 

 しかも,現代社会においては,このことの例外を許さないという徹底した「馬化」「鹿化」(あわせて馬鹿化)「ロバ化」が行われる。少なくない科学者,及びその卵となる人達は,抵抗をするだろうが,その抵抗者には,見える形・見えない形で,徹底した弾圧的処分,ないしは「村八分」(消極的集団バッシング)が繰り返される。これに耐えられる剛健な科学者・科学者の卵は,レアーな存在だ。

 

 つまり,いわゆる科学とは(正確には「既成科学」「体制科学」),もはや現代社会においては「似非科学」でしか存在しえず,そうでない科学は,現代社会的な迫害に曝され続けるということである。そしてそれは,何も原子力や原発・核燃料施設に関してだけのことではなく,たとえば遺伝子組換え・バイオテクノロジーの世界も原子力の世界と瓜二つのようなありさまだし,化学物質問題(たとえば環境ホルモンや農薬,毒性学など)の世界でも,非常によく似た「似非科学」の蔓延が始まっている。3.11直後に出された40近い各学界の「福島第1原発事故に寄せての声明・所管・宣言・決議」を見れば,日本の「科学」や学問・学界がどれほどまでに無残に堕落し,転落して「似非科学」「似非学問」となり果てているか,一目瞭然であるように思える(例えば,気象学会長の3.11事故直後の表明を思い出されるとよい)。

 

 その典型事例が,あの頭狂(東京)大学である。この大学は,皆さまご承知の通り,日本の原子力推進の人材養成兼参謀本部のようなところであり,3.11以前も,以後も,変わることなき「似非科学」の牙城として,日本の諸学界を支配し続けている。

 

 ところで,現代社会における「科学の包摂」という危機的な情勢を念頭に置いた場合,いわゆる科学論争における「市民科学」の方法論は,それに対応して少し転換しなければならない。しなければならない,というよりも,そうせざるをえなくなると言った方がいいかもしれない。

 

 支配権力や大資本に「科学が包摂」されてしまえば,その「包摂された科学」は,支配権力や大資本の意向に沿った形でしか議論ができなくなり,従ってまた,科学に必要不可欠な実証や実験などの営みも,その歪んだ意向に大きく左右される。「似非」化した「科学者」達は,支配権力や大資本の意向に沿った代弁をする限りで,諸々の実証や実験の結果をとりまとめ,場合によっては「あることはないことに」「ないことはあることに」されて,その歪んだ先決的な結論(結論があらかじめ決められているという意味)やシェーマを似非実験で裏付けるのである。そして,「似非科学」に支配され操られる政府の政治権力がそれを補強する。

 

 しかし,これに市民の側が真正面から対抗するのは容易ではない。原子力や放射能・放射線被曝の問題について申し上げれば,動物実験や様々な検証・実証には,巨大な施設や設備が必要だし,要員も時間も必要だ。それに伴い巨額の予算・費用も必要になってくる。更に,そもそも放射線被曝ともなれば人間が相手なので,容易なことではデータの収集は難しく,行政や国家権力などのサポートがなければ,事実上,科学に不可欠は検証・実証は難しいだろう。疫学的な探求をするにしても,行政の全面協力なくしては容易にはできない。

 

 それに加えて,支配権力や大資本に不利益な方向で,その意向に逆らって科学したり実証・検証をせんとする科学者は,その科学が支配権力や大資本にとって脅威と感じられたその時から,様々な方法で妨害を受け,懐柔され,包摂されそうになり,頑固であれば弾圧される,そうした運命である。これには容易には耐えられない。

 

 こういう力関係の下での市民の側の科学論争の1つの方法論が「(1)原発・核燃料施設の安全性の立証責任・説明責任は彼らにある」なのだ。予算も,充実した施設も,高スキルの人材も,権限もない市民の側は,権力や資本の側のように,立証・検証・実証が容易ではない。だから,そもそも,それを事業主体の彼らにやらせよう,そして彼らが,それを満足にできないのであれば,彼らの言うことは肯定できない・信用できない,安全とは言えない,という,事業遂行責任の「論理学」や社会情勢を創りあげればいいのだ。言い換えれば,立証責任や説明責任の市民への転嫁を許さない,ということだ。

 

 20世紀的な発想で,何でも「似非科学」のウソを市民側が実験や実証を通じて反証していくというのは,場合によっては可能ではあるが,昔と比べてはるかに困難になっている。しかし,仮にそれができなくても,「似非科学」批判ができないわけではないし,逆に,相手の議論の矛盾を突くことで,彼らの嘘八百を暴露することも大いに可能である。そして,原子力の非「科学」性・「似非科学」性はとことんひどく,この方法論でも十分に闘えるのである。要は,非戦略的に,無邪気な善意で,反証の立証責任や説明責任を市民の側が背負い込んでしまわない方がいいということ,逆に彼らに徹底してやらせてみて,その出鱈目さ加減を赤裸々に衆目の下に置いてやれ,という方法論でも十分に太刀打ちできるということである。

 

(4)支配権力や大資本に包摂されて「似非」化した「科学」を市民の手に取り戻そう

 人類が手にしている科学や技術は,かつてとは違って,それが仮に似非であろうとなかろうと,地球環境に対して決定的な影響力とパワーを持ってしまっている。この扱いを一歩間違えば,人類は地球もろとも滅び去ることになるだろう。私は,この地球スケールの危機として,次の5つを指摘したい。そして,これに対抗し,人類が歩む方向を矯正できるできる思想は「持続可能性」であると考えている。

 a.「2つの核」=原子核(原子力)と細胞核(遺伝子組換え・バイオテクノロジー)

 b.化学物質の野放図な氾濫

 c.二酸化炭素の大量放出

 d.熱帯雨林や海洋生態系の破壊(行き過ぎた開発優先主義)

 

 21世紀は,上記の5つの「地球破滅の危機」を巡る「環境(争乱)の世紀」となるだろう。そして,その世紀に人類は,環境を破壊し,活動の利益の独占を狙う支配権力に包摂された「似非科学」「似非科学者」と,それを否定し,地球や環境の持続可能性と,多様な人間や生き方の共存を担保する「生まれ変わった科学」を構築していく「市民科学」との対決の場となるだろう。この対決は,地球の存立・持続を賭けた闘いだという意味で「最終戦争」であり,原子力を巡る原子力ムラとの闘争を私が繰り返し「最終戦争」と申し上げているのとほぼ同義である。

 

 「科学」と「科学者」を,「似非」化した権威から引きづり下ろし,「市民科学」として再構築せよ,全ての大学は解体されなければならない。これが21世紀の「科学」を巡る情勢分析である。

 

 <脱原子力へむけての「似非科学」撲滅と,市民のための「科学」の再建のためのスローガン>

 情報公開,市民参加,大学自治の復元など,従来から提唱されている問題解決策や方法論に加えて,私は下記の諸点を付け加えることを提唱したい。そしておそらくは「似非科学」・「似非科学者」との闘いが進むにつれて,更に多くの教訓や課題がもたらされるものと認識している。

 

(1)原発・核燃料施設の安全性の立証責任・説明責任は彼らにある

 決して,危険性の立証責任・説明責任が市民の側にあるわけではない。

 安全性が完璧に証明・実証できないのなら,原子力はやめる他ない。

 危険性が完璧に立証できないから,原子力は続けてもかまわない,のではない。

 大飯原発運転差止仮処分裁判の大阪地裁の裁判官3人(小野憲一,森鍵一,横地由美)の判決を徹底糾弾せよ,彼らを原子力業界に追従する背徳的司法官として世界的に有名にしてやろう。

 

(2)予防原則(慎重原則)

 「似非科学」がはびこる中で科学論争の結末を待っていては,リスクの顕在化を避けるのが極端に遅くなり,決着がついた頃には,環境が決定的に不可逆的に破壊されていたり,多くの犠牲者が出ていて取り返しがつかない,といった事態が生じかねない。従って,いわゆる「予防原則」という「慎重原則」に従い,私的利益や大資本の利益を抑制してでも,被害が生じることを避けるための規制や早めの手当てが必要である。

 よく「予防原則」に対抗して提唱される「科学主義」なるものは,事業を進めるものがその安全性や健全性を立証するのではなく,その事業によって被害を受けるであろう側が事業の危険性を立証し,被害の度合いを説得する責任を負わせられるという「立証責任の逆転」がおまけとしてビルトインされているので要注意である。ペテン師達の理屈に惑わされてはならない。

 

(3)原子力行政における「利益相反」を徹底排除せよ

 原子力の世界は,原子力を推進するものが全てを牛耳るという「利益相反」の塊のようなところである。この「利益相反」を原子力の世界から徹底排除する必要がある。下記に2,3の例を挙げておくが,実際はこんな程度ではない。

 

a.原子力推進の国際本部・国際原子力マフィアの司令部=IAEAは,放射能汚染や放射線被曝の評価をする資格はない(まるで利益相反そのものだ:福島県から帰れ!,二度と来るな!,IAEAに媚を売り,脱原発を誓う福島県にわざわざ招待までしている馬鹿知事の佐藤雄平を辞任に追い込もう。彼らがチェルノブイリ原発事故の後にやったことを自分の目と耳で確かめてみればいい)。

 

b.原子力推進の国内総本山=文部科学省(旧科学技術庁)に環境の放射能モニタリングや汚染状況調査をやる資格はないし,被曝医療を統括する権限を持たせる必要もない(まるで利益相反そのものである:文部科学省の中の旧科学技術庁を解体せよ)。

 

c.原子力「寄生」委員会傘下の検討委員会に抜擢されている委員の中には,電力業界をはじめ原子力産業界から金品や便宜を享受している人間が少なからずいる(まるで利益相反そのものである。全員即時更迭が必要。彼らは案の定,検討会の中で,電力会社の目先の利益を実現すべく,例えば規制基準の緩和や例外を求め続けるという背信的言動を繰り返しているようだ)。

 

(4)いわゆる「科学」への盲目的な信仰や媚び・へつらいをやめ,「科学者」への「下から目線」を放棄せよ

 

(5)自己認識を相対化し,一定の%で定説とは違うことがあり得ることを常に意識しておくこと(100%信じるな:「しらけつつのり,のりつつしらける」(浅田彰))

 

(6)全ての大学を解体せよ

 かつての全共闘のおじさま,おばさま,ふたたびヘルメットとゲバ棒と火炎瓶を持ちて(危ないから,持たない方がいいので,それに似た格好をして),まるで水道工事の作業員のようであっても,再び大学解体に立ちあがっていただきたい。今の日本の大半の大学は腐っている。今こそ,文字通りの「大学解体」が必要である。「包摂された大学」に「大学(科学)自治」を取り戻せ。支配権力や大資本の手下どもを,大学からたたき出せ!!!

 

(7)「似非科学」を「市民科学」に転化し,「科学」の本来のあり方を取り戻せ,「似非科学者」に対して徹底した批判を展開して,その出鱈目暴露によって権威から引きづり下ろし,社会的に葬り去れ。他方で多くの「市民科学者」を育て上げよう。

草々

 

2013年6月19日 (水)

海と魚が放射能で汚染されていく : 昨今の都道県別放射性セシウム汚染状況

前略,田中一郎です。

 

 今回より複数回に分けて,海と魚介類・水産物の汚染状況について,昨今の情報をお伝えしたいと思います。1回目の今日は,水産庁が毎日のようにとりまとめて発表をしている,各自治体による水産物の放射性セシウム検査の結果です。別添は,業界新聞に掲載されている一覧表を都道府県別にわけてPDFファイルにしてあります(全部で5つのファイル)。以下,ごく簡単に箇条書きでコメントいたします。

 

 なお,水産物の放射性セシウム汚染状況調査結果のとりまとめは,下記の水産庁HPに掲載されて日々更新されています。今回ご紹介する新聞記事は水産経済新聞ですが,この新聞に掲載された後,数日すると,水産庁のHPに掲載されてきますので,時折,このHPをご覧になるといいと思います。

 

*水産物の放射性物質調査の結果について~618日更新~

 http://www.jfa.maff.go.jp/j/housyanou/kekka.html

 

*(参考)グリーンピース 放射能測定室 シルベク

 http://www.greenpeace.org/japan/ja/campaign/monitoring/

 

 <別添PDFファイル:添付できませんでした>

(1)水産物の放射性セシウム汚染(北海道)(水産経済新聞 2013.6.5他)

(2)水産物の放射性セシウム汚染(岩手県・宮城県)(水産経済新聞 2013.6.18他)

(3)水産物の放射性セシウム汚染(茨城・千葉・東京)(水産経済新聞 2013.6.10他)

(4)水産物の放射性セシウム汚染(福島県)(水産経済新聞 2013.5.31

(5)魚の放射能汚染記事(河北新報:2013.6.6他)

 

1.全体概要:結論は「北海道を含む東日本産の水産物は危険である」ということです

(1)福島第1原発から海への放射能放出は,海岸壁の水面下などから滲み出る形で,3.11以降,ずっと続いていて,その量もはっきりしない。事態の悪化・深刻化は,ひとえに海洋汚染に対する政府や東京電力の汚染認識の乏しさや危機意識の欠如に起因している。海洋汚染を食い止める対策をほとんど何もしないどころか,福島第1原発敷地に累積していく汚染水タンクに閉口して,汚染水を海へぶん投げる算段を始めている始末である。この発狂者集団を何とかしないと,やがて東日本の太平洋周辺の海は「死の海」と化してしまうだろう。

 

(2)検査機器類や検査要員が決定的に不足しており,しかもそれが3.11事故以降,抜本的に補充強化された様子もない。水産物についても膨大な食品流通数量の中の,ほんのごく一部が検査されているだけであり,食品としての安全性は全く担保されていない。加えて,水産物には次のような懸念があり,事実上,東日本の太平洋産の水産物については極力近寄らない方がいい状態となっている。

 

a.放射性セシウム以外は全く検査されていない。特に水産物の場合には,放射性セシウム以外の放射性ストロンチウムやプルトニウム・ウラン・放射性銀・テルル・コバルト60など,危険な放射性核種の検査は必要不可欠であるが,それらは汚染状況を覆い隠すがごとく,全く検査・調査されていない。また,ベータ核種のトリチウム汚染についても気になるところである。

 

b.検査する対象の水産物が偏っている。北は北海道から南は神奈川県までの沿岸・沖合が放射能汚染の懸念される水域であるが,それぞれの水域での漁業形態は様々で,従ってまた,水揚される水産物も多種多様である。福島県や茨城県は底引網漁業が盛んだし,青森県であればイカ釣り,北海道や岩手県ならサケマスやホタテ・アワビ等々,といった具合だ。(一般的に日本海側は心配いらないような印象があるが,しかし,奥羽山脈や関東北部の山岳地帯に降下した放射性物質が,徐々に徐々に河川を通じて日本海側にも流れ出しており,北部日本海域での漁獲物についても安心はできない。しかし,危機意識の欠如から,新潟県・山形県・秋田県・青森県の日本海側水揚げ水産物の放射能検査は,太平洋側以上に,ほとんどなされていないのが実態である)

 

 しかし,検査された結果の一覧表を見ると,極端に魚種が偏っているように見え,とても多種多様の水産物が漏れなく検査・調査されているようには見えない。検査数が多い魚種は,タラ,ヒラメ・カレイ,スズキ,底魚類などだ。この意味するところは,汚染された水産物の摂取により消費者が被曝することを何としても防ぐ目的で検査が行われているのではなく,一旦規制値(100ベクレル/kg)を超える汚染が発見された魚種については,一刻も早く,それによる出荷制限を解除すべく,ひっきりなしに測って,100ベクレル/kg未満の検査実績を積み上げるために検査されているためと推定される,ということではないか。検査数が少なく,放射性セシウムしか調べず,しかも規制値を超えたら一刻も早くその解除のために検査をその魚種に集中する,いったい何を馬鹿なことをやっているのだろうか。

 

c.猛烈な汚染海域での漁業が屁理屈付きで再開され,その漁獲物が水産物流通に乗り始めている。常識的には福島県,及び隣接する宮城県・茨城県の沿岸・沖合での漁業は停止され,その海域での徹底した生態系調査・海洋生物汚染状況調査が実施されてしかるべきである。しかし,実際に行われているのは,まず被害を受け続ける漁業者への賠償・補償を切捨てて,生活苦に追いやられる漁業者が,漁業に伴う放射線被曝を覚悟して漁業を再開せざるを得ない状況を作り出し,他方で,被災地復興復旧キャンペーンを展開して,水産物の安全キャンペーンと,馬鹿な消費者が買い控えをしているという「風評被害」キャンペーンをセットで大宣伝することで,この出鱈目行為を覆い隠している。そして上記で申し上げた通り,水揚された水産物をロクすっぽ検査もせずに市場に出荷し,安全だ,安全だを繰り返しているのである。

 

d.水産物流通は,産地偽装・虚偽表示の宝庫である。一般的に流通している水産物の表示は全く信用できない。業界として,食品表示にほとんど節操がなく,かつ,水産庁や厚生労働省・消費者庁をはじめ,各自治体も,食品表示の適正化をはかろうという姿勢に乏しく,特に出荷サイドにある自治体は,消費者の危険性のことなどほとんど念頭に置いていない(生産者の方だけを向いている)と言っていいだろう。(その典型が,狭山茶に放射性セシウムが検出された際の,上田清司埼玉県知事の態度である)

 

(3)流通過程=特に小売り店舗における「抜き打ち検査」が行政の手で全くと言っていいほど実施されていない。汚染魚が流通している可能性は高く,実際,環境団体のグリーンピースが行った「抜き打ち検査」では,時折,汚染魚が発見されている。(放射性セシウムのみだが)

 

(4)検査によって発見された規制値超過の放射性セシウム汚染水産物が,食品流通から除去された後,どこへ行くのかが定かでない。福島県だけは,県庁がそれを引き受けて廃棄処分にしていることが少し前に確認されているが(その後は???),その他の県ではいったいどうなっているのか(闇を通じて再び食品流通に乗ってこない,あるいは家畜や養殖魚の餌やペットフード,あるいは肥料などの原料として「横流し」されることはない,という担保はできているのか?)。また,廃棄処分されるにしても,一般ゴミと同様な扱いを受け,処分地での汚染を広げる形になっている可能性も高い。要するに,放射能汚染への警戒が甘くゆるく,汚染物の扱いがいい加減なのは,水産物に限らない。

 

(5)およそ食品検査の主体が「利益相反」の状態で,汚染物隠しなど,検査上のインチキが排除される仕組みができていない。信用しきれない。出荷サイドの自治体などは,典型的な「利益相反団体」である。

 

2.北海道地区(別添PDFファイル「水産物の放射性セシウム汚染(北海道)(水産経済新聞 2013.6.5他)」)

 6月5日付水産経済新聞:北海道・青森県沖合で獲れたカラフトマスの放射性セシウム汚染 0.383ベクレル/kg

 6月17日付水産経済新聞:北見市沖で獲れたホタテガイの放射性セシウム汚染 0.392ベクレル/kg

 

 いずれもベクレル値は小さいが,これでもおそらく3.11事故前の10倍以上の数値である。カラフトマスに放射性セシウム汚染が出ていることもショックなら,特に北見市沖のホタテガイの汚染は更にショッキングで,福島第1原発事故による放射能汚染は,太平洋だけでなく,オホーツク海へと広がっていることを意味しているからである。水産物の検査結果については,私は次のように見ていて,ベクレル値が小さいことに楽観していない。

 

a.たまたま見つかった1匹のベクレル値が小さいだけで,この海域の同魚種の値が小さいとは限らない。汚染されていることは分かったということにすぎず,場合によっては,もっとひどい汚染状態の水産物が生息している可能性がある。

 

b.福島第1原発から放射能の放出が続いている以上,発見された魚種の放射能汚染は,半減期の長い放射性セシウム137やストロンチウム90などを中心に,これからさらに増えることはあっても,減ることは考えにくい。食物連鎖などを通じ,水産物体内での濃縮・滞留も気になるところである。

 

c.海洋の汚染は,海水が汚染することもさることながら,海底土・泥の汚染やその中に生息する海底生物類(底魚の餌),海中をさまようプランクトン類(浮魚の餌),あるいはウニなどの水産物の餌となる海藻の汚染も重要で,こうした海洋汚染の実態把握が必要不可欠なのだが,それについての本格調査はいつまでたっても始まりそうにない。

 

615日付の水産経済新聞には「東電に被害請求,放射能検査で出漁減,遠洋カツオ釣の船主,東電「因果関係認めぬ」」という記事も掲載されている。当然なされるべき被害を受けた漁業者への損害賠償・補償が,いとも簡単に加害者である東京電力により蹴飛ばされ,また,これに対して,原子力損害賠償紛争審査会も政府も漁業者のために動こうとする様子は全くない。いい加減なことをして原発事故を起こして海を放射能だらけにし,漁業者を苦境に追いやっても,賠償・補償が欲しけりゃ,損害の因果関係を厳密に立証しろ,でなきゃ,びた一文払わねえ,これが東京電力の態度である。これを救済・是正しようとする公権力の動きも出てこない。これが今日の日本という「国のかたち」である。明日は我々の番だ,と考えておいていい)

 

3.岩手県・宮城県(水産物の放射性セシウム汚染(岩手県・宮城県)(水産経済新聞 2013.6.18他))

 64日付と618日付の水産経済新聞掲載の検査結果一覧表から,下記の2点を指摘しておく

 

(1)岩手県沿岸・沖合は,放射性セシウムが検出される魚種は少ないが,たとえば釜石市沖合で獲れた(天然)ブリ(6/40.713ベクレル/kg6/180.773ベクレル/kg)などは気になるところ

 

(2)宮城県沿岸・沖合になると,放射性セシウムが検出される魚種が一気に増え,海域の放射能汚染が深刻であることが見て取れる。中にはクロダイやクロソイなどで数千~数万ベクレル/kgのものも発見されている。こういう海域での漁業はやめるべきである。

 

4.福島県(水産物の放射性セシウム汚染(福島県)(水産経済新聞 2013.5.31))

 放射性セシウムが検出される状態が宮城県よりも一層拡大していることが見て取れる。もちろんこうした汚染海域では漁業はしてはいけないが,上記で申し上げたように「試験操業」などと称して,事実上,沿岸・沖合漁業が再開され始めている。放射性セシウムだけを見て「安全だ,安全だ」などと騒いでいるが,そんなものだけを見ていても,水揚された水産物の安全性は,全く担保されていない。福島第1原発に近く,危険極まりない,と考えていていいだろう。

 

 加害者・東京電力や事故責任者・国は,まず真っ先に被害を受け続ける福島県の漁業者救済のため,万全の賠償・補償と,他地域での漁業再開のため,漁業者・漁業経営の移転のサポートに全力を挙げるべきである。過疎化が進む日本の漁村では,一定程度の他地域の漁業者受入れは,歓迎される地域もあるのではないか。

 

5.茨城県・千葉県・東京都(水産物の放射性セシウム汚染(茨城・千葉・東京)(水産経済新聞 2013.6.10他))

 茨城県沿岸・沖合もまた,福島県ほどではないが,放射性セシウム汚染の広がりが幅広い魚種で見られる。特に,茨城県北部は福島第1原発に近く,事故直後には放射能が南へ流れた,まさにその汚染海域に他ならず,また,漁業種類も底引網漁業が盛んであることから,放射能汚染の危険性は何度強調しても強調し過ぎることはない。漁業は当分の間,休漁とされるべきである。

 

 なお,茨城県の漁業団体は,漁獲物の放射性セシウムの自主規制として,厚生労働省の基準の半分の50ベクレル/kgを用いているが,これでもなお,安心できる水準とは言えない。しかも,損害賠償上の懸念もある(東京電力が支払わない)。解決策は,漁業を中止し,被害を受ける漁業者に万全の賠償・補償と移転・移住を促進することである。

 

 特に注目の魚種として,次の2つを挙げておきたい。

 

(1)610日付水産経済新聞 北茨城市沖で獲れたアンコウ 1.98ベクレル/kg(珍味のアンキモはあきらめた方がいいでしょう)

 

(2)同水産経済新聞 東京都江戸川区の江戸川河口で獲れたウナギ 22.6ベクレル/kg(これは少し前にお知らせいたしました。江戸川河口のウナギの汚染が判明しても,東京都も千葉県も水産庁も,全く無責任な対応をとり続けている。要するに,そんなところでウナギをとっている人間が自己責任で対処せよ,という態度である。何のための行政なのか)

 

 東京湾及びその沿岸での,釣りや潮干狩りは,当分の間はやめておいた方がいい。特に子ども連れは危険だ。放射線被曝することになりかねない。山や森林に降った放射性セシウムをはじめ,いろいろな放射性物質が,川から海へ流れ込んでいる。東京湾も同様だ。

 

6.魚の放射能汚染記事(河北新報:2013.6.6他)

(1)「スーパーマーケットで汚染された魚介類が慢性的に流通:マダラとサメからセシウム」(『週刊金曜日 2013.4.26』)

 「2012年初めからの調査結果を見ると,イトーヨーカドーの魚介類から最も多くの放射性物質が検出されている」「イトーヨーカドーの担当者は「特に新たな対応をとることはない」とコメント」などと書かれている。 

 

(2)「セシウム,北太平洋深海に到達,原発から2,000キロ,事故1か月」(201366日付河北新報)

 海洋研究開発機構は,福島第1原発事故で放出された放射性セシウムが,事故の1か月後には日本から約二千キロ離れた北太平洋の水深約4,800メートルまで到達していたと発表した。

 放射性セシウムのほとんどは,海水に溶けていて,深海に沈んだのはごく一部

 調査チームは,プランクトンの死骸を調べていた 等々が書かれている。

 

*山陰中央新報 - 太平洋深海にセシウム 原発から2千キロ

 http://www.sanin-chuo.co.jp/newspack/modules/news/article.php?storyid=1214435015

 

 最後に,水産物や海洋の放射能汚染を調査・検査するための費用は,全て加害者・東京電力が負担すべきであり,また,インチキが暴露されて久しい「原発のコスト」なるものにもカウントされておくべきである。そうすれば,高市早苗のような馬鹿なことを言う政治家も少なくなるだろう。

 

*自民党の高市早苗政調会長「原発事故による死亡者はいない。莫大な廃炉の費用を無視すれば、稼働中のコストは安い」 日々雑感

 http://hibi-zakkan.net/archives/28531261.html

草々

 

<追>

また,下記サイトURLは,『海と魚の汚染』の関連での重要情報です。合わせてご覧ください。

(本日付の夕刊各紙にも記事が出ております)

 

*福島第1、タービン建屋脇の地下水からストロンチウム90が1リットル当たり約1000ベクレル、トリチウムが同約50万ベクレル・・・ということは 日々雑感

 http://hibi-zakkan.net/archives/28581218.html

草々

 

2013年6月18日 (火)

昨今の放射性物質の降下量について (福島県と東京都:役所が公表しているものから)

前略,田中一郎です。

 

 下記サイトは,福島県及び東京都における放射性物質(放射性セシウム及び放射性ヨウ素のみ)の降下量の測定値,並びにその関連サイトです。放射性物質の降下量は,それぞれ東京都の外郭団体,及び福島県庁が測定して公表しているものです。

 

<福島県>

*福島県ホームページ - 組織別 - 定時降下物モニタリング結果

http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=27445

 

*定時降下物から放射性セシウムが比較的高い濃度で検出された要因について(201226日福島県災害対策本部(原子力班))

 http://wwwcms.pref.fukushima.jp/download/1/koukabutsu-youin0206.pdf

 

<東京都>

*環境放射線測定結果 - 1か月毎の降下物の放射能調査結果

 http://monitoring.tokyo-eiken.go.jp/mon_fallout_data_1month.html

 

*東京の放射性降下物(セシウム)が増加している。と話題 日々雑感

 http://hibi-zakkan.net/archives/26912967.html

 

<原子力「寄生」庁>

*東日本大震災関連情報 放射線モニタリング測定結果等 原子力規制委員会

 http://radioactivity.nsr.go.jp/ja/index.html

 

<東京電力:福島第1原発からの放射性物質放出量>

*原子炉建屋からの追加的放出量の評価結果(平成25年5月)(東京電力環境線量低減対策:2013530日)

 http://www.tepco.co.jp/life/custom/faq/images/d130530_05-j.pdf

 

*放射線・除染|東京電力

 http://www.tepco.co.jp/life/custom/faq/faq_02-j.html

 

<内部被ばくを考える市民研究会:川根眞也さん>

*内部被ばくを考える市民研究会 今日の雪には触れてはいけない

 http://radiationexposure.blog.fc2.com/blog-entry-33.html

 

<参考資料>

(1)福島県白河市で41,967μSv/時(6月2日16時50分)観測(ゆうなのブログ)

 http://ameblo.jp/yuuna7777777/entry-11543322973.html

 

(2)放射性セシウムの汚染されたスリッパの写真(警戒区域20km圏内)(村松志門さんの写真アルバム:

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=465696666850180&set=a.289647771121738.70465.100002295539167&type=1&theater

 

<コメント>

(1)福島第1原発事故が終息しない中,放射性物質は日々,大気中及び地下水・太平洋に向かって放出が続いております。そこで,今現在(201356月)で,放射性物質の大気中への放出量やその降下量がどれくらいなのか,簡単にネットで検索できる範囲で調べてみました。(くどいようですが,計測されているのは,放射性セシウムと放射性ヨウ素だけで,それ以外の放射性核種は全く不問にされていることをしっかりと認識しておく必要があります。放射性キセノンやクリプトンなどの希ガス,放射性ストロンチウムやプルトニウム,ウランなどの危険な放射性物質,あるいはトリチウムなどのベータ核種などが計測されもせずに野放しにされています。福島第1原発から放出されたのは放射性セシウムや放射性ヨウ素だけではありませんし,それ以外の放射性核種の放出量も,驚くほどの大量であったことも記憶しておくべきです)

 

(2)まず,上記の「内部被ばくを考える市民研究会:川根眞也さん」のサイト,及び「参考資料」のサイト以外は,福島県庁や東京都(の外郭団体),原子力「寄生」庁や東京電力のサイトのデータであり,これらの団体・組織は,これまで福島第1原発事故による放射能汚染の実態や放射線被曝の状況,及びその危険性について,歪曲・過小評価・隠蔽を繰り返してきた経緯があります。つまり,それらの公表データは「マユツバ」で見ておく必要があるということです(信じ込んではいけない)。

 

(その典型事例が,福島県その他の自治体の環境放射能モニタリングポストが,いくつかの理由から実際の汚染状況とかけ離れているとか,東京都をはじめ東日本の多くの自治体の放射能モニターが,例えばビルの屋上で放射能を計測するなどの,福島第1原発事故後の汚染実態を現さないような計測をしていたことなどです。東京電力や原子力「寄生」庁などは論外で,特に原子力「寄生」庁は,データの改竄やゴマカシのしやすい「シーベルト」(線量)の計測値は公表しておりますが,放射能の降下量そのものの値であるベクレル値の公表は,一般の人が容易に検索できるサイトには掲載されていないようです:電話で確認しようとしましたが,担当者不在を理由に確認できませんでした)

 

(3)更に,一般論ですが,放射能の量や,それに基づく対応・対策を考える場合には,線量を現す数値である「シーベルト」を基準に考えることは,いくつかの理由から,判断を誤り,また,原子力ムラの「策略」に乗せられてしまう危険性があります。放射能汚染の状況把握や対策・対応の判断基準などは,あくまで「ベクレル」値でなされるべきです。土壌汚染や海洋汚染などもそうですし,今回問題にした放射性物質の降下量などもそうです。

 

(①「シーベルト」値は,時々刻々,様々な理由で変化し,測定したい地点の放射能汚染の状況をストレートには現さない,②「シーベルト」値を計測する機器類にビルトインされている「アルゴリズム」に疑義が出始めている(値が小さく出るように仕組まれている可能性),③「シーベルト」という概念が,外部被曝はともかく,内部被曝については,その実態と大きくかけ離れ,およそ内部被曝の危険性を推し量る尺度としては現状のままでは不適切であること,④従って「シーベルト」という線量単位・放射線被曝の単位は,放射能汚染やその危険性を改竄したりゴマカシたりしやすい「原子力ムラの小道具」と言ってもいいような代物です等)

 

(4)放射性物質の降下量は,大きく分けて,福島第1原発から新たに放出された放射性物質と,既に放出されていた放射性物質が,たとえば地面から舞い上がる,あるいは森林などから風で運ばれてくる,などの二次的なものの2つに区分出来ます。しかし,観測される値は,この2つを区分することはできません。

 

(5)上記のうち,福島第1原発から新たに放出される放射性物質の量については東京電力が発表しておりますが,これが「利益相反」丸出しのデータであるために,全く信用が置けません。たとえば1号機ですが,昨今,1号機からの放射性物質の環境放出を少しでも少なくするために設置されていた樹脂製の建屋カバーが取り壊されることになりました。しかし,何故,取り壊すのかについての納得できる説明はありません。また,3号機については,核爆発の疑いを掛けられている使用済み核燃料プールが外から見えなくするように「ふた」のようなものをかぶせる算段もなされているようです。これも説明責任ゼロのまま強行されています。

 事故後2年以上が経過しているのに,事故原因の究明もせず,福島第1原発敷地を報道陣に公開もしない,事故後対策について説明責任を果たさない,放射性物質の放出を防ぐような手立てを打とうとしない,福島第1原発で働く・働いた現場作業員への取材活動を妨害する,福島第1原発事故関連情報の情報を公開しない・公開請求すると「まっくろけ」の墨塗り状態を平気で提出してくる,危険極まりない4号機の使用済み核燃料プールをはじめ福島第1原発をいつ襲うかもしれない次の大地震・大津波に対して全くの無防備状態,・・・・・これが東京電力,およびそれを指導監督する立場にある原子力「寄生」委員会・「寄生」庁の実態なのです。

 

(6)(上記の公表データから)おおざっぱに申し上げますと,福島県の放射性物質降下量は,毎日数十~100ベクレル/m2のペースであり,東京都の場合は,1か月合計で数~数十ベクレル/m2ということです。福島県と東京都では放射性物質の降下量に大きな差があります。(日々ベースか,月次ベースかの違いなどで,300倍以上の開き)

 しかし,福島県も東京都も,時折「異常」と思われる突出した大量の放射性物質が計測されたりもしておりますので,放射能汚染の推移が落ち着いてきたなどとはとても言えない状況です。(たとえば,福島県では2012年の年初に,通常時の測定結果の何倍もの放射性物質が検出されたり,東京都でも,2013年の1月から3月にかけて,放射性物質の降下量の増加が計測されるなどしています)

 

(7)更に更に,上記<参考資料>サイト(「福島県白河市で41,967μSv/時(6月2日16時50分)観測(ゆうなのブログ」)にあるような,驚くような観測値も時折ありますので,福島第1原発の周辺のかなり広範囲の地域は,依然として危険なままと言っていいでしょう。

 

(8)こんな汚染のひどいところ=放射性物質降下のひどいところへ,避難をしている住民を帰還させたり,今も住み続ける住民に本当のことを知らせないまま,子どもや若い妊婦さんも含めて定住させ続けていることは,許されない「未必の故意」の「殺人未遂」「障害未遂」の犯罪的行為であることを強く申し上げておきたいと思います。これは何も福島県だけに限った話ではなく,栃木や群馬の北部山地地域や,茨城・宮城・千葉・岩手・埼玉・東京・新潟などの各都県のホット・スポット地域についても言えることです。

 

(9)政府や汚染地域の多くの自治体は,まず真っ先に求められている避難や疎開などの住民対策には一瞥もくれずに「一に除染,二に除染,三四がなくて,五に除染」を繰り返しておりますが,たとえば農地や森林の除染は容易なことでは進展せず,また上記で申し上げた放射性物質の大量の降下によって,除染後数カ月したら「元のもくあみ」に戻るなど,むなしくも愚かな対応を繰り返しております(それはまるで安部公房著作の小説『砂の女』のごとくであります)。もちろん,住宅地の除染作業もずさんで,環境省が定めた杓子定規な「除染作業基準」に振り回されて,費用対効果の面でも劣悪なパフォーマンスが続いています。

 

10)いすれにせよ,福島県をはじめ福島第1原発周辺の県はもちろんのこと,200km以上離れた東京でも,福島第1原発事故後の継続的な放出放射能の降下による汚染は今も続いており,それぞれの地域に住む住民は,外部被曝と内部被曝の両面から,徐々に徐々に被曝させられ,健康をむしばまれているということです。許し難いことであって,私は福島第1原発事故被害者による1,000万人訴訟を東京電力と原子力産業,及び政府に対して起こしていいのではないかと思っているところです。

 また,福島第1原発から今も放出される放射能は,大気中への放出のみならず,地下水や海洋への放出が深刻さを増しており,地下水や海の汚染を通じて(つまり飲料水や食品や生態系の汚染を通じて),こちらも徐々に徐々に我々日本国民の首を締め始めているのです。

 

 こうした中,自民党と安倍晋三政権は,全国の原発・核燃料施設を再稼働させるべく,原子力「寄生」委員会・「寄生」庁を手下に従えて,全力で駆け出し始めています。

草々

 

<追>

*朝日新聞デジタル:政府、再除染認めない方針 自治体に非公式伝達 - 3.11 震災・復興

 http://www.asahi.com/shinsai_fukkou/articles/TKY201306150427.html

 

 これは何を意味しているか,簡単に申し上げれば,次のようなことです。

 

(1)除染は住民の生活や放射線被曝防止のために行われているのではなく,①政治や行政の「汚染対策やってまっせ」のアリバイ行為や宣伝のため,②被害者住民に帰還・定住を押し付ける口実として(=東京電力の賠償負担軽減のため),③除染事業の利権の山分けのため(財政資金へのシロアリ行為),に行われていること

 

(2)「除染」なるものが始まった2011年の当初から申し上げているように,除染など「できもせん除染」であること,従って「除染よりも避難,除染するにしても避難」であること

 

(3)このまま行けば,被害者・被曝者切捨てと,原子力推進・原発・核燃料施設再稼働が始まること。

 

 国民は一刻も早く,国政選挙を含む様々な方法で,自民党などの原子力ムラ・原子力複合体を退治しなければ,やがて彼らに「心中」を強要され,または「切り捨て」られる運命にあることを認識すべきです。

早々

 

2013年6月10日 (月)

「福島県民健康管理調査」の結果について(2013年6月5日付「福島県民健康管理調査検討委員会」資料)

「福島県民健康管理調査」の結果について

201365日付「福島県民健康管理調査検討委員会」資料)


本文  「koujousenngankensa.doc」をダウンロード


資料 「kno11_ennminnkenkoukanrityousakekka.pdf」をダウンロード

(上記は「第11回福島県民健康管理調査検討委員会」の資料から抜粋し,著者が若干の記入を行ったものです)

(注)「福島県民健康管理調査検討委員会」の模様が録画されているようです。

*【ライブ配信】1015~福島県「県民健康管理調査」検討委員会  OurPlanet-TV:特定非営利活動法人 アワープラネット・ティービー
 http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1594

6月5日(水)
10時15分~12時30分 第11回福島県「県民健康管理調査」検討委員会
12時40分~13時10分 記者会見

*記者会見
 http://www.ustream.tv/recorded/33841993

*「福島県民健康管理調査検討委員会」HP
 http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=24809

(明日以降,近々,本日の第11回の資料がこのサイトに掲載されるものと思われます)

以上

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